13 / 16
第13話 酔い
だらだらと歩きながら話す間、高槻は一昨日の出来事には一切触れなかった。駅に辿り着くと、大通りから数本ずれた細い道に入っていった。小さめの飲食店や雑貨屋等が並んでいる。
本来なら夜に灯すのだろう古びた赤い提灯に、既に明かりがついている店がある。辺りがまだ明るいせいで目立たない。高槻は昭和っぽいレトロな磨りガラスの入った引き戸を躊躇いなく開けた。
「あぁ、いらっしゃい」
「上、借りるぜ」
「はいよー」
馴染みの店なのだろう、狭いキッチンの中にいる白髪交じりの男女は高槻をちらりと見て気取らない声を掛け、すぐに何かの作業に戻った。
数人座れるカウンターと、二人掛けの小さなテーブルが二つ並べられている一階を通り過ぎる。
狭くて急な階段を上って二階に行くと、こちらはテーブルが三つあり、それぞれ奥がソファ席になっていて、手前に椅子が一脚ずつ並べられていた。時間が早いせいか、他の客はいない。
「なんでも好きに飲んで食えよ、奢るから」
高槻に促されて水無月がソファに、高槻が手前の椅子に座った。向かい合わせだが距離があり、生の匂いがやや離れているのがせめてもの救いだ。
「はぁ……」
水無月の曖昧な相槌に高槻が苦笑した。
「これでも先輩だってのに、お前には水か缶コーヒーくらいしか奢ったことないし、こういう店にも来たことなかっただろ」
それは水無月が全ての誘いを断ったからだ。その距離感が心地好かった、とはこのタイミングでは言えない。
「可愛げがなくてすみません。外食とかもあんまりしなくて……」
同じ空間に誰かと一緒に存在すること自体が苦手だし、食への興味も薄い。空腹と栄養を満たせれば十分だ。
百円くらいの食パンやゆで卵、バナナ、魚肉ソーセージにカップ麺でも食べていれば満足で、野菜が足りない気分の時にはカット野菜に市販のドレッシングかマヨネーズをかけて食べる。
アイリの作ったフレンチトーストとサラダは、久しぶりに食べたまともな料理だった。
「自炊してんのか?」
高槻がメニューを開いて差し出してくれた。
「出来合いのものを買ってきてるだけです」
居酒屋らしいのだろうと思われるメニューが並んでいるが、どれも馴染みがなくてわからない。見るでもなくメニューを捲りながら答えた。写真も載っていない。
こういう時には何を頼むのが丁度良いんだろう。高すぎなくて万人受けするやつがどれなのかすら、よくわからない。
「いつもすぐ帰るし、恋人でもいるのかと思った」
やっぱり、高槻さんがいつもと違う気がする。いつもはこんなにプライベートに踏み込んでこないのに、変だ。高槻さんも疲れてるんだろうか。今までよりも踏み込まれるのは少し、結構、不快だ。
「いるわけないじゃないですか、一人暮らしです。高槻さんとは違いますよ」
「いや、なんつーか、顔っていうか、目? 視線、みたいなやつが陰があって女にモテそうな……」
「そんなことは……」
ごく普通の、日本人的な目だと思う。高槻さんにここまで言われたのも初めてだ。高槻さんなりに場の雰囲気を解そうとしてくれているのかもしれないが、居心地が悪い。
口籠っていると階段を上る足音が聞こえ、店員の女性が現れた。面倒な話題を切ってくれてありがたい。
「はいよ、お通し」
「さんきゅ、おばちゃん」
高槻が小皿を二つ受け取り、それぞれ自分と水無月の前に置いた。小皿には立方体に切られた小さな冷ややっこが入っている。
「水無月の分」
すぐ飲み物も持ってきますからね、と言いながら女性が下がっていく。本当にすぐに戻ってきた女性の両手にはジョッキが握られていた。
「こいつ、緊張してるみたいだからさ、美味いやつを頼むぜ」
二人の前に置かれたジョッキはキンキンに冷えていた。白く結露したジョッキには白い泡と黄金色の液体が綺麗に分かれたビールが注がれている。
「とびきりおいしいものを作らせますよ」
力強く請け負った女性がまた一階に戻っていく。
「ビールで良いか?」
よくなかったが、頷いた。普段殆ど酒は飲まない。たまになんとなく美味しそうに見えたチューハイを買って帰ることもあるが、度数の低いものばかりだ。まして、外で酒を飲んだことはない。
「じゃ、おつかれさまー」
高槻に倣ってジョッキを持ち上げると、高槻の方からジョッキをぶつけてきた。カチンと小さな音がして、小さな泡がしゅわしゅわと水面に向かって弾ける。
高槻はジョッキを思いきり傾けてぐびぐび勢いよく飲んでいる。水無月も生ビールを口に運んだ。唇に当てた瞬間、グラスが冷たい。
ゆっくり傾けると苦いものがぬるりと口の中に入り込んできて、二口だけ喉の奥に流し込んでからジョッキを置いた。口の中に苦さが残る。何が美味しいのかわからない、と思いながら冷ややっこに箸を伸ばした。
「おいしいですね」
「どっちが?」
「冷ややっこが」
普段はパックのまま醤油をかけて食べているが、きちんとショウガや小葱、鰹節が乗せられた冷ややっこは、さわやかな香りがしていつもとは全く違った。
「一人暮らしの食事って雑になるもんな。俺なんか年中ここに来ちゃう」
「そうですね。豆腐をこんなにちゃんと食べたりしないですし」
小さな豆腐はさっぱりしていてあっという間に食べ終えてしまう。女性がまた二階に上ってきて二人の間に鉢を置いた。イカと大根の煮つけのようだ。湯気と共に醤油の匂いがふわりと香る。
「金落としていきなさいよ」
「任せろ。後輩にはきちんと食べさせないといけないからさ。特製梅酒一つ、ソーダ多めで」
「はいはい」
白髪の方が多い女性は目を細めながら、雑で穏やかな声で言った。
「たまにはちゃんと食って体力つけろよ。肉と魚、どっちが好きだ?」
高槻の豆腐は手付かずなのにジョッキはもう殆ど空だ。豆腐の小皿を水無月の方へ押しやってくる。
「ありがとうございます。肉、でしょうか」
魚は骨を取るのが面倒だ。味は別にどっちでもいい。
「同じだな。俺も肉派」
高槻が満面の笑みを浮かべた。また足音がして、料理が運ばれてくる。野菜炒め、チャーハン等々。
梅酒のソーダ割は高槻ではなく水無月の前に置かれた。高槻がさらに唐揚げを追加する。肉が好きだと言ったからかもしれない。
「ビール苦手なんだろ?」
水無月の飲みかけのビールを自分の方へ引き寄せ、当たり前のように飲んだ。気付かれたらしい。
「その梅酒、ここのおばちゃんが自分で作ってるんだぜ。売ってるやつより甘いし、長く熟成してるからまろやかできっと飲みやすい。けど駄目だったら俺が飲むからすぐにノンアルに変えろよ」
「すみません、気を遣わせてしまって……」
誰かと食事をするのはあまりに久しぶりで、どう振舞えばいいのかわからない。アルコールに不安を持ちながらも梅酒に口をつける。
「あ、これ、おいしいですね。ジュースみたいで」
酒特有のつんと鼻につくアルコール臭がなく、甘く、梅の酸味がしっかりときいていて梅ソーダみたいだ。
「飲みやすいから気を付けろよ?」
言いながら、高槻は水無月の飲みかけのビールを飲み干した。
「すみません」
「なんで謝るんだよ」
「お酒に付き合えないなと……」
酒に強くても弱くても付き合いたくなんかない。誰かが飲食をするところを見るのも、見られるのも、抵抗がある。
けど、心配してくれるのはありがたいし、このまま高槻さんに気に入られていればこの仕事を無難に続けられるかも、という打算も働く。勢いのままに梅酒を喉の奥へ流し込んだ。身体が段々あたたかくなってくる。
「そんなこと気にするなって。食うのに付き合ってくれよ。な? それに、弱いのは悪い事じゃない。俺なんて、まあまあ飲まないと酔えないから、金かかって大変なんだぜ?」
水無月の酒への発言に苦笑し、高槻は首を横に振った。
「食わないと筋肉付かないしな。落ち着いたらこき使うつもりだから覚悟しとけよ? 大変だっただろ、変なことがあって」
遺体事件のことにはあまり触れないまま未来のことを話してくれるのも気遣いかもしれない。しかも料理をあれこれと取り皿に盛ってくれる。
本当ならば自分がやるべき立場だろう、とわかってはいても、慣れない酒のせいで身体がふわふわとしてしまって何もできなかった。食べるのも一つの礼儀だろうと、黙々と箸を動かす。料理が生の匂いを掻き消してくれるから大分マシだ。
どれも美味しい。イカはやわらかいし大根は味が染みてるし、野菜炒めはしゃきしゃきしてて、炒飯は米がくっついてなくてぱらぱらで胡麻の香りが程良い。
その間も高槻は色々と話してくれていて水無月から話題を作る必要がなかったから、気楽だった。答えを求めてくるわけでもなく、頷いていればいいのもありがたい。あえてそうしてくれているのがわかる。
追加で運ばれてきた鶏の唐揚げの衣はカリカリで中からは肉汁がじゅわっと広がった。
「一応社長に報告してきた。社長は『葬儀を大切にする水無月くんが遺体を盗むわけがない』って」
「社長が? なんで僕のことを?」
ろくに話したこともないのに。
「社長は結構目が利くし、記憶力も完璧なんだよ。俺が報告した内容はもちろん、当然、俺と一緒に部屋に入ったお前のことや、お前が話した一言二言も、全部覚えてる」
「すごい、ですね……」
社長が一社員のことを覚えてくれてるのに、俺はろくに覚えてない。確かに、失礼しますと失礼しましたくらいは言った、はずだ。
あとは……なんだっけ。入社したばっかりのころ、仕事に慣れましたかとか、そんなことを聞かれたっけ? なんて答えたっけ。緊張しててうまく話せなくて、何か後悔したような気もするけど、誰かと話した後に後悔するのはいつものことだ。
「今度、お礼兼ねて挨拶行っとくか」
「そう、ですね。行った方が良いですよね」
アルコールのおかげか、普段よりは何かをやろうという気が起きていたが、気は重い。
慣れない相手と話すだけでも苦手なのに、まして相手が社長では、申し訳ありませんとありがとうございます以外に何を伝えていいかわからない。
「そんなに緊張しなくたって、あの人なら平気へーき」
タイミングを見計らったかのように、日本酒の入った徳利と、猪口が二つ運ばれてきた。
高槻はつまみを時折口に運ぶ程度でろくに食べないが酒は進んでいて、いつもよりも饒舌になってあれこれと話をしてくれる。
好きな酒や料理の話のような他愛ない話から、遺族とうまくやれた話、やれなかった話、有名人の葬儀のどたばたやちょっとしたミスのような、守秘義務に違反しない程度の仕事の話。
酒を飲むといろいろなものがあいまいになるらしい。アルコールを呷る社会人の気持ちが少しわかった気もした。誰だって毎日なにかで緊張したりしてるんだろう。
「やっぱさ、遺体には最大限の敬意を払うべきって思うわけよ。どんな宗教でも、宗教じゃなくてもさ」
中でも、高槻なりの葬儀に対する考え方やポリシーは聴いていて面白かった。
水無月が猪口に注がれた僅かな酒をちびちび舐めている間に、高槻は徳利を何本も飲み干していた。酒を焼酎に変えた高槻は、頬をうっすら赤くしながら熱を込める。
「葬儀は遺族が故人の社会的死を受け入れるためのものだとか、区切りをつけるための通過儀礼とかって言ったりするけどさ、遺体自体だって、なにか考えてるかもしれないじゃん。もしそうだったら、大切にされたいに決まってる。火葬だって、なんかなって思う瞬間、あったりすんだよ、実は」
「僕も、そう思います」
熱弁に、それまでで一番深く頷いた。
死者に口はない。心臓が止まったらただの物体だと考えて葬儀を重視しない人も増えているし、金銭的な問題もあって葬儀を行わずすぐに火葬する直葬も多い。どちらも悪いこととは全く思わない。俺の葬儀も要らない。誰も来ない葬儀に意味はない。
だが、葬儀の有無はともかく、遺体とは、死者とは、むしろ生者よりも確かなものだと思う。物言わず、どこまでも生者に寄り添ってくれるのだ。
「水無月ならそう言ってくれると思ったよ。仕事は仕事って割り切らないとやってられないことも多いけどさ、お前は結構、色々考えて大切にしてるだろ」
相槌の熱が伝わったのか、高槻さんは目を細めて笑った。瞳の中に、熱を見た。高槻さんは思っていた以上に仕事のことを考えてるし、俺を気に掛けてくれてるらしい。
仕事の話をもっと聞いていたい。だが、味見に、と言われながら数ミリずつ注がれた何種類もの日本酒や焼酎を少しずつ舐めているうちに、水無月の頭はすっかり雲か霧みたいなぼんやりとして掴みどころのない何かになっていた。
アルコールによる気持ち悪さはないが、ぽわぽわと眠い。自分の酒の許容量などさっぱりわかっていなかったが、もう限界らしい。
ともだちにシェアしよう!

