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第21話 息奪う過去
『スーパータイムセールです!』
駅前のありふれたスーパーは人でごった返していた。セールの開催を繰り返し告げるアナウンスが主張し、お目当ての特売品に向かう人の波が出来ているが、殺伐としているという程ではない。賑やかでごく普通の、人々の生活があった。
「牛肉が安いのかー」
セールやスーパーみたいな「日常」が全く似合わないアイリは、だが案外庶民感覚らしい。のんびりと歩きながら物色しているが、庶民側はそうもいかない。都心ならばまだしも、ベッドタウンのスーパーに現れた冗談のような存在に、ややざわめきが走る。
セールに慣れた道行く猛者たちが「何かの撮影だろうか」とアイリと水無月の方を見てくるが、カメラが見つからずに首を傾げる。有名人だろうかとしげしげ眺めてきて居心地が悪い。
「さっさと買えよ」
満員電車ほどではないが人が多く、生の匂いに満ち満ちている。客たちは当然にやってくる明日を迎えるための食材を買い、生を過ごしている。
それが酷く、気持ち悪かった。
アイリは思いの外楽しそうに買い物をしていて、邪魔をしたくない。徐々に増してくる吐き気を抑え込もうと長い息を吐き出した。
「お腹空いてるんだし、早く食べられるものがいいよね」
注目をされること自体に慣れているのか、視線を集めてもどこ吹く風でいくつかの食材を手に取っていく。
「そう、だな……」
声が僅かに震えてしまった。
「具合悪い?」
ほんの僅かだったのに、アイリの声はたちまち曇った。
「別に平気……いつものことだし」
嘘ではない。満員電車でも同じことだ。生の匂いに包まれると、いつもこうなってしまう。それでもいつも一人耐えて過ごしている。だから慣れている。
「汗かいてる……ごめんね、俺が人混みに連れてきたから」
結局アイリの前ではささやかな不調も隠せず、そっと頭を撫でられた。そんな様子さえ周りから見られていていたたまれない。ふわりとアイリの香りがして、胸の奥にわだかまる吐き気が軽くなる。
「この時間が混んでるなんて、俺も知らなかったし……外で待ってる」
アイリは何も悪くないのに、泣きそうな顔をする。俺の苦しさをそのまま受け止める。
「うん、すぐに行くから気を付けて」
少し心配そうに手を振るアイリに背を向け、吐き気を抑えながら人々の間をすり抜けた。
スーパーの自動ドアを抜けて外の冷たい空気を吸うと僅かに身体が軽くなった。空いているベンチに座り、背もたれに頼って空を仰いだ。冬の空は澄んでいて他の季節よりも遥か遠くにあるように見え、人の気配を寄せ付けない。
今どき珍しく、隣のベンチには黒く毛の長い大きな犬が繋がれていた。水無月の方をじっと見ている。
なんでこうなんだろう、と思う。
吐き出した溜息が白く長くたなびいて消えていく。
俺だって生きてて、それなのに生きてるものが苦手で、気持ち悪い。死の匂いの近くにいたいと思ってしまう。
生きているのは気持ち悪い。自分自身のことが、気持ち悪い。
どうせいつか死ぬのに。母さんも父さんも死んだのに、俺は生きてる。
なんで生きてるんだろう。俺が死ねばこんな気持ち悪さも何もかもなくなるのに、母さんのおかげで今もある生を手放すこともできない。
冷たい冬の風が頬を撫でると、どんよりとした吐き気が少し引いた。
アイリは浮世離れした雰囲気もあるし、すぐに人に絡まれるし、大丈夫だろうかと気になった。様子でも見に行こうと立ち上がろうとしたとき、声を掛けられた。
「水無月皐さんですか?」
「……なんですか」
水無月と同じかやや上の年齢に見える見知らぬ女だった。黒の無難なパンツスーツを着てヒールの低い靴を履いている。
「私、こういうものでして、少々お話をお伺いしたく……」
控えめに差し出された名刺は、名のある新聞社のものだった。記者という肩書を見て体温が下がった。嫌な汗が背中にじわり、滲んだ。
「水無月さんが一家心中事件の生き残りというのは、本当ですか?」
「っ」
なんで今頃になって、それを。
あの頃は、幼い水無月に人だかりが出来た。だがもうとっくに風化したものだと思っていたし、忘れようとしていた。
「その時、ご両親のご遺体と一週間程過ごされたのですよね?」
質問の無遠慮さは、あの時以上だ。オブラート一枚すらない言葉は悪意ではなく記者の若さゆえのものかもしれない。だが、人は悪意のみに傷つけられるわけではない。
「私もお伺いしたいことがありまして……数日前にまた遺体がなくなりましたよね? その現場の第一発見者があなただという話も耳にしました」
今度は男に話しかけられた。やはり若い、水無月と同年代の男だ。差し出された名刺を受け取らずにちらりと見ると、テレビ局の名前が書いてある。
「あなたが遺体に執拗に触れているのを見たという証言もあるのですが……」
そんな話を誰が漏らしたのか。いつも全員が帰った後でしか話しかけてないから誰にも見られてないはずなのに。それに、そんなには触ってない、はずだ。
三人目、そして四人目。気付けばベンチの周りを記者に囲まれていた。
何故遺体に触れたんですか。何故あなただけ生き残ったんですか。あなたがご両親を? 何故一週間もそのまま……。
次々と掛けられる声が頭の中で不快に響く。それは煩い不協和音で、視界はぐるぐると周り、吐き気はいや増し、目の前が真っ暗になっていく。
「っ、な、んで……」
俺は遺体を盗んでいない。動揺を見せたら駄目だとわかっていても、言葉に詰まってしまった。
呼吸が浅くなる。息ができない。苦しい。心臓がばくばくと大きな音で響く。鼓動が早くなる。
「っ、は……ッ」
空気を矢継ぎ早に吸ってしまって、吐けない。苦しい。
「水無月さん」
誰かの声が遠ざかる。手足が動かない。身体が冷えていく錯覚。錯覚じゃないかもしれない。死んだ身体みたいに、動かず、冷えて、声も出せず、息もできず、このまま。
くらくらする。澄んだ空が見えて、真っ逆様に吸い込まれそうに――
「皐!」
その声だけがはっきり聞こえた。
「皐……聞こえる? 俺の声だけ聴いて。息、吸おうとしないで」
背中を擦る大きな手。耳を通して身体全体に響く低めの声。身体は落ち着きのある声に自然と従おうとして、息を止めた。
「そう、上手。大丈夫。出来てる。ゆっくり吐いて。ゆっくりね」
どこからか飛んできてくれたアイリは、ぽん、ぽん、と背中と肩をやさしく撫でてくれた。手に促されて、浅く長い息をそっと吐き出す。
「吸おうとしなくていいから。そう……よくできたね」
息を吐き出しきると、肺が自然と広がろうとして空気が流れ込んでくる。それをまた、アイリが背中を撫でるゆっくりとした動きに合わせて吐き出す。
何度か繰り返すと、早かった呼吸が徐々におさまっていく。
「何、したの」
アイリの氷よりも冷たい声が、ベンチで背中を丸めている水無月を取り巻く記者たちを一蹴した。
「申し訳ございませんでした」
過呼吸を起こした水無月に慌てふためいていた若い記者たちが深く腰を折った。
「謝れって言ってるんじゃなくて、何をしたのかって聞いてるんだけど」
アイリの声は酷薄で、記者たちの表情が固まった。。
「その、過去の事件と遺体盗難事件の繋がりを調べていて……」
記者の内の一人が出した「過去の事件」という単語に、身体がびくりと強張った。また早くなりそうな呼吸は、背に添えられた手のひらのお陰でどうにか収まる。
「やっぱり話さなくていい。皐が具合悪そうだから」
アイリは首を横に振って記者の話を遮った。迫力のある美形と蹲る成人男性と記者の集まりは、否が応でも人目を引いた。周囲に無関係の人だかりができていく。耳の近くを飛び回る蚊みたいなざわめきが煩い。
「どこで知った? 誰から聞いたんだ」
アイリはそれを人質にするかのように、所在なく差し出されたままだった記者たちの名刺を全て奪った。
「知り合いの記者から水無月さんの話と容姿を教えられて、このあたりにいると言われて……」
アイリの詰問に怖気づいた記者の内の一人がおずおずと口を開いた。
この話を水無月に持ってきた記者は、棗しかいない。棗とは、さっきすれ違ったばかりだ。
「その知り合いの名前は?」
アイリが問いただしたが、記者たちは口を噤んだ。はぁ、とアイリの溜息に記者たちがぎくりと息を呑んだが、アイリはもう記者たちの方は見なかった。地面に膝をついて水無月を覗き込んでくる。ふわりとやわらかな微笑みを刷いていた。
「立てる? 負ぶった方がいい?」
「へい、き」
息は大分落ち着いたが、人酔いしてしまった上に記者に囲まれたせいで吐き気はまだおさまっていない。
「じゃあゆっくり帰ろうか」
アイリに支えられながら帰路に付く。好奇を増した記者たちの視線が追ってきていたが、それ以上質問を浴びせられることはなかった。
階段を登るにも肩を借りる有様で、アイリに頼り切りになりながら家に戻った。
「ごめんね」
「何も悪くないのに、謝るなよ」
アイリのせいじゃない。全部、俺のこの意味不明な体質が悪い。アイリはいつも謝ってばかりだ。
「カレー作るつもりだったけど……食べられる?」
「……多分」
体調が悪いのは風邪のせいじゃない。しばらくすれば落ち着くはずだ。
アイリは荷物をキッチンに下ろし、水無月は床にごろりと寝転がった。身体に気味の悪い生の臭いが沁みついている気がして、ベッドで寝たくなかった。
「食べられなかったら明日食べればいいしね」
アイリはまた水無月の部屋着を着込んで髪をポニーテールにまとめ、キッチンに立った。ワンルームの狭いキッチンはアイリが一人立つだけで窮屈で、何をしているのか手元も見えない。思いの外軽快な包丁の音が聞こえ始めて、気になって近寄った。
「手伝う」
「ありがと。でもベッドで休んだ方がいいんじゃない? まだ顔色悪い」
アイリはじゃがいもの皮を剥く手を止め、目を細めながら水無月を見てくる。
「その、匂い、が……」
ベッドに生の匂いが付くのが嫌だ。
「匂い?」
鼻先を首筋に寄せられ、くん、と匂いを嗅がれた。
「っ、やめ……」
「皐の良い匂いしかしないよ」
気のせいなのかもしれない。でも確かに、自分からする生の匂いが気持ち悪い。
「シャワー浴びてくる」
「調子悪くなったらいつでも言って」
ちゅ、と額にキスをされて、咄嗟にアイリを突き放した。
「ごめ、んね」
腕の長さ分だけ皐から離れたアイリが言葉を詰まらせながら、また謝る。
「そう、じゃない」
俺に触ったらアイリまで駄目になる気がした。
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