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第23話 吸血鬼を訪ねて

「なりたい、って言ったら、どうなるんだよ」  なんで突然、そんなことを聞かれたんだろう。アイリと同じになる?  不老の身体と、ファンタジー小説の設定みたいな能力。そんな意味不明な、理屈やら科学やらを無視した存在がいるわけないって思う。  実際に翼を生やしたり犬になったりするのを見ていなければ、絶対に信じなかった。だって、それ以外で生きている人間と違うのは匂いだけだ。スマホを弄って料理をして、食事をして、悪夢を見て魘されて、性行為をする。  吸血鬼の存在を信じるとしても、そんな小説の出来事みたいなことが自分の身に降ってくるなんて思ってもいなかった。  若くして名を揚げた社長とか仕事の出来る高槻さんとか、そういう人ならまだわかるが、俺は日々の物語の主人公じゃないし、世界の中心でもない。  でもたとえば。  俺がなにか超常的な力を持っていたり、吸血鬼だったりしたら、過去のあの時にあんなことは起こらなかったんじゃないかとか。巻き戻せるんじゃないかとか。  それか、吸血鬼だったらアイリと一緒にいられるんじゃないかとか。  そんなことを一通り考えたら、好奇心と欲が勝った。 「そう、だね。ちょっと考えさせてほしい、かな」  二つ返事で「吸血鬼にしてあげる」なんて答えが返ってくるとは思っていなかったが、少し拍子抜けした。やっぱりそんなことは出来ないんじゃないかという疑問が頭を擡げる。 「考えるって、何を?」  アイリは目を細めて、薄い微笑とともに口を噤んだ。。しばらく黙っていて、それから口を開いた。 「俺が……後悔してるから」  それは誰かを殺したことについてなのか、とは口に出来なかった。 「後悔って、何に」  思い切って一歩、踏み込んでみる。 「俺は吸血鬼になりたかったわけじゃない。偶然、なのかな、偶然吸血鬼になったけど、それで良かったのかどうか、今もわからないんだ。人間の血を吸って死なずに長く生きていくことに覚悟が出来てるわけじゃない」  そんなに強くなれなかった、とアイリが呟いた。 「吸血鬼になる覚悟?」 「うん。血を吸うのは好きじゃない。血を奪うことは時には命を奪うことだし、不老や永遠の命が必ずしも素晴らしいものだとは、俺は思わない」  すぐにがぶりと噛みつかれ血を飲まれて飲まされて吸血鬼にされなくて、残念なような、がっかりしたような、ほっとしたような。  アイリの声は真摯で、決して水無月を茶化そうとしたわけでも、鼻先に人参をぶら下げた後に取り下げて馬鹿にしようとしたわけでもないのだとわかった。 「お前の後悔は……取り戻せないものなのか?」 「失った過去は取り戻せないと、俺は思ってる。それでも少しは過去をマシにできるかもって自分勝手に思うから、目的はあるよ、一応。それが正しいのかも自信は持てないけど」  しん、と帳が下りて、俺とアイリを隔てた。 「……ごめん、俺から質問したのに、結局応えられなくて。でもなんだか、皐のことが放っておけなくて」  どうでもいいことはぺらぺらしゃべるくせに、肝心なことには悩んで、慎重。手慣れてるみたいなのに急に自信を失くして退いたりする。  アイリのそんな態度が不思議だったが、少し、わかるような気がしてきていた。父さんや俺が見てくれをどうにか繕って生きているのと同じだ。 「応えられないことを言うべきじゃなかった」  アイリは水無月と目を合わせようとしない。  アイリの背後にあるテディベアが視界に入った。テディベアを引き寄せ、アイリとまとめて腕の中に抱き寄せた。アイリが水無月とテディベアで挟まれる。 「別に、そんなに吸血鬼になりたいってわけじゃないし。吸血鬼がどんなものなのかは、ちょっと気になるけど」  こんな言葉でも、アイリの中にわだかまる後悔が少しは晴れたりするだろうか。 「ありがと」 「なんで、お礼」  言葉を声にすると、いつも後悔する。嫌な思いをさせたかもしれないって。 「吸血鬼に興味持ってくれたってことは、俺に興味持ってくれたってことでしょ?」  掴みどころのない態度に戻りかけていて、何故かほっとした。 「べ、つに、お前に興味があるってわけじゃ……」 「じゃあさ、他の吸血鬼に会いに行ってみようか?」  水無月の言い訳はアイリに遮られた。 「お前の他にもいるのか?」  思いもよらない提案だった。こんな奇妙な存在が複数いるのかと思うと頭が痛い気もしたが、一人いるなら他に何人もいても不思議ではない。 「うん、人間ほどいっぱいってわけじゃないけどね。ほら、ショートブレッドをくれた友達だよ。興味ある?」 「ない、わけじゃない」 「じゃ、カレー食べ終えたら早速行こうか」  よかった、と微笑むアイリは水無月の手からテディベアを取り上げ、頭を撫でてから枕元に戻した。      アイリは黒ずくめで、黒のニットに同じく黒のコートを羽織っている。  水無月はいつものスーツにいつものコートを着ただけだ。基本的に部屋着レベルの服か仕事用のスーツくらいしか選択肢がない。選ぶのも買うのも面倒だし、実際、それで大抵のことは事足りる。  どこに向かうのかわからず、コンビニに行ける程度の格好というわけにも流石に行かず、やむなくスーツを着た。仕事でもないのにこの格好で出かけるのはなんとなく違和感がある。  部屋を出て半外の階段を降り、マンションの外に出た。 「っ……」  太陽が沈んだばかりの黄昏過ぎ、思ったよりも寒く、首を縮こませた。アイリは当然のように自分のマフラーを水無月に掛けてくれた。巻いてくれようとする手が気恥ずかしく、マフラーを受け取って自分で巻いた。アイリの匂いがする。  アイリのもののはずのマフラーは水無月のものになりかけていた。 「自分で付けてろよ」  寒いから着てるんだろうに、俺に寄越す必要なんかない。 「俺は平気。もらいものだから付けてただけで」  ふんわり巻いたマフラーの端をぎゅっと掴んだ。小説の中とかだと、マフラーなんかあげるのは大抵恋人か何かで。マフラーの向こうにいる誰かのことを考えながら、アイリの香りに満たされた。  いつもの習慣で駅に向かって歩き始めて、しばらくしてから足を止めた。 「どうしたの?」 「駅で良いのか? 吸血鬼に会いに行くって、どこに……」  吸血鬼の住んでそうな所……古城? 森? ドイツかなにかの古城とか、鬱蒼としてじめじめした陽の射さない森とか、そういう場所が似合う気がする。  そんなのは東京の郊外、ベッドタウンのこんな場所にはない。ちょっとした茂みはあっても、高齢者の憩いの場や犬の散歩コースになっていて、神秘を隠せそうな場所はない。 「もちろん駅でいいよ。電車に乗っていくから」  聞けば、行先は都心部の駅だった。六十階建てのビルがランドマークになっている街だ。 「そんな場所に……?」  並んで歩くと、アイリの方が大分ゆったりと歩いているように見える。身長の差は頭半分くらいだが、足の長さが違うのかもしれない。 「吸血鬼がそんな街中に、ってこと? 生活しやすい場所は人間とそんなには変わらないよ。人間の血が必要だしね」  行き交う人の流れの中で、吸血鬼の話をする。道行く人々に二人の会話は聞こえていないだろうが。 「そんな話、こんなところでしてもいいのか?」 「漫画かドラマの話でもしてるって思われるだけだからね」  いつもよりも他人の視線を感じる。アイリが目立つせいだ。俳優かモデルのような華やかな煌めきはどこにいても目減りすることはない。そんな男が空想染みた話をしていたら、確かにフィクションだと思うだろう。 「……やっぱり俺、騙されてる?」 「信じてくれたのうれしかったのに……やっぱり俺のこと信用できない?」  アイリはわざとらしく落ち込んでみせて、水無月の手をさりげなく握ってきた。手袋をしていない指を絡めて繋がれる。そのまま顔を覗き込まれると居心地が悪くなって、マフラーで鼻の頭まで隠した。  最寄りの私鉄駅まで徒歩十五分。その時間が気まずいのに、繫いだ手を無理矢理解くこともできない。 「ていうか、吸血鬼なんだろ。昼間出歩いてたけど平気なのか? 日光とか」  他の誰かといても静寂は気にならないのに、アイリといると何故か不安になった。間を繋ごうとして適当な質問を紡ぐ。気恥ずかしい打ち明け話が、今更ますます恥ずかしくなっていた。 「好きでもないしたくさん浴びると疲れるけど、致命的じゃない。その辺は個体差だね」  駅に近付くにつれ、人が増えてくる。誰だって見知らぬ誰かと触れ合いたくはなく、人混みの中を歩くのに慣れている人々はぶつかったりすることもあまりない。 「おっと、失礼しました」 「いえ……」  駅の目の前まで来たとき、通りすがりの男と肩同志がぶつかった。男は一言謝ってすぐに立ち去って行く。だがその姿に見覚えがあって、アイリと繫いだ手を離して後ろ姿を視線で追った。  薄い灰色のモッズコートとやや猫背気味の後ろ姿。まただ。水無月の家に押しかけて来た記者、棗学人。  肩がぶつかった瞬間、ずしりと奇妙に重いものにぶつかられた感触があって、底冷えした。生の匂いへの嫌悪とは別の感覚だった。 「今の人、前にもいたよね?」 「……通信社の記者らしい」  さすがにもう一度下手な嘘を吐くわけにはいかず、事実をそのまま伝えた。 「皐のことを言いふらしたのはあいつ? まさか、吸血鬼とかじゃ」  アイリが振り返り追いかけようとする素振りを見せたが、棗の姿はすでに雑踏の中に消えて見えなくなっていた。 「いや、普通の人間の匂いがしたからお前を狙ってるわけじゃないと思う」  生の匂いがするから普通の人間のはずだが、違和感は上手く言葉にできなかった。 「俺のこと、心配してくれたの?」  アイリは言い表しにくい表情を浮かべていた。不安と、僅かな喜びが混ざったような。 「……少しは」  躊躇いながら肯定すると、アイリの顔がぱぁっと輝いた。 「ありがと」  言いながら繫ごうとしてくる手から逃げた。 「どうしたの? 繋ぐの、嫌になった?」 「むしろよく人前でこんなことできるよな……」  駅前は家の近くに比べると人通りが多い。さっきまで触れ合っていた手が離れていくと、冬の空気は冷たすぎた。だがこれ以上手を繋いでいたらどくどくと脈打つ心臓が破裂してしまいそうだった。 「手を繫ぐくらい……」  こういう美形にとっては普通なのかもしれない。アイリが恋人みたいな仕草に慣れてることに苛立つ自分に苛立つ。  アイリは不服そうだったが、繋いでいた右手のあたたかな体温を左手に擦り込みながら自分の爪先を見て歩く。マフラー越しに溢れていく白い息を眺める。  ベッドタウンの駅には似合わない長身と芸能人もかくやというオーラのせいでちらちらと見てくる人がいて、同時に自分までが誰かの視界に入っていると思うと堪らず、小さくなった。

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