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第28話 望まない再会

「会えてうれしい?」  メフィスが水無月の猿轡を解いた。 「っ、アイ、リ」  声を出せるようになったのに、言葉が出なかった。何を言えばいいかわからず、意味もなく名前を呼んだ。 「いつ、から」  アイリがふらりと立ち上がる。  同じ体勢を強いられていたせいでやや身体が軋んで痛むが、動けないような痛みではない。だが、立ち上がれなかった。  身体に力が入らない。  アイリに近付きたいのか逃げ出したいのか、わからなかった。 「ずっと見てたよね。最初から最後までぜーんぶ。アイリに感想教えてあげたら?」 「っ、見たかったわけじゃ、ない。こいつらの……」  メフィスに無理矢理見させられたのだ、双子のせいだ、と言い訳を紡ぎそうになって、猿轡のせいで腫れた下唇を噛んだ。  そうじゃない。目を瞑ろうと思えば瞑れた。そうしなかった。自分の意思で、アイリが他の誰かとセックスをするのを見ていたのだ。だから、誰かのせいにできない。 「ごめ、ん。見られたいわけ、ないのに」  仕事として行為をしたのだとわかっている。アイリが誰かとこういうことをしていることくらい、察しはついていた。仕事なのか遊びなのか、過去の経験なのかはわからなかったが、手馴れていたからだ。  わかっていても、間近に見て穏やかでいられるわけがない。アイリだって見られてうれしいわけがない。あぁそれとも、アイリにとって俺はそういう人間のうちの一人だから、見られてもどうでもいいんだろうか。俺を騙すのに失敗したって、少し残念に思うくらいなんだろうか。 「ごめんね、皐」  アイリは、不意に、ふわりとあいまいに薄く微笑んで首を横に振った。 「皐は何も悪くないから、謝る必要なんかない。こんなことに巻き込んだのは、俺のせいだから」 「ちが……」  わけがわからないまま咄嗟にアイリの言葉を否定しようとして、メフィスに背後からぎゅっと抱き締められた。 「そうだよ、アイリのせいだ」  メフィスのあどけない笑みはアイリとは対照的だ。 「大切なものを見つけたなら、そのことだけ考えなきゃ」  メフィスが言うと、フェレスも水無月の方へ近付いてきた。右腕を抱えるように抱き締められる。 「僕たちはアイリのことが好きだよ? 綺麗だし、馬鹿で可愛いから」  水無月の背後にいるメフィスと、腕をしっかり掴んでいるフェレスが視線を合わせ、ねー、と頷く。 「でも、一番大切なことのためになら、それ以外は全部犠牲にする。それくらいわかってたんじゃない?」 「……そうだね。それは正しいし……俺には何も言えない」  アイリは力なく俯いた。  なんで。なんで言い訳してくれないんだ。なんでもっと手を伸ばして、俺の手を取ってくれないんだ。 「僕たちを信用して皐を連れてきた時点で間違いなんだよ。ね、お兄ちゃん」  フェレスがアイリを嘲笑う。 「だって皐は《箱庭》のためには必要なんだから」  きっぱりと言い切るメフィスの言葉も、アイリを揶揄うフェレスの言葉も、水無月の表面を微かに撫でていくだけで響かない。  そんなことはどうでもよかった。  アイリと過ごした短い時間を無条件に受け入れていたかった。その時間が自分のどこかを満たしてくれたのだと、今になってわかって。それが全て仮初の時間だったのだとしても、それをそのまま信じ込んで、銀食器の手入れをするみたいに、毎日その記憶を磨き続けたい。  アイリ以外の誰かの言葉で上書きして消してしまいたくない。 「ねぇねぇ、皐は吸血鬼になりたいんだよね?」  フェレスが大きな瞳をきらきらさせて見上げてくる。 「……あぁ」  投げやりな自暴自棄だった。  吸血鬼になりたいと強く願ったわけじゃない。興味はあったが、吸血鬼自体にではなく、アイリに興味があったからだ。  アイリはこんなことがあっても詳しいことは何も言わず謝るだけで、どう話していいのかもわからない。 「アイリはしてくれなかったんでしょ? かわいそ」  メフィスが言う。 「結局アイリは皐のことも信用してないってことじゃない?」  フェレスが言う。  信用も信頼もわからない。ただ、心地良さは本当だった。誰かといて眠れたのも、穏やかでいられたのも、アイリが初めてだった。 「吸血鬼に、なりたい」  メフィスにそう言ってしまったのは、気を許したにもかかわらず応えてくれなかったアイリに対する幼い反抗心だったかもしれない。  アイリはどんな顔をするだろうと思った。泣くだろうかとか、手を伸ばしてくれるんじゃないかとか。 「いいよ、吸血鬼にしてあげる」  メフィスはアイリよりも遥かに気軽に、頷いた。 「っ、皐、だめ」  アイリの口から思わずという風に飛び出した言葉に、心が揺れた。  もっと見てほしい。見ていてほしい。 「……知らない」  拒絶も全部、幼いわがまま。初めて縋りたいと思った相手だから、わがままを言っても許されるんじゃないかって、馬鹿みたいに駄々を捏ねる子供になっていた。  それがどういう結果を導くかなんて、考えられなかった。何をどこで間違えたんだろう。  フェレスが水無月の腕を一層強く抱きしめる。 「僕にならできるよ」  メフィスの吐息が、首筋に掛かった。 「だめ、だ。それだけは……」  アイリが声を絞り出す。アイリの方を見ても、目が合わない。水無月から目を背けていて瞼を固く閉じている。形の良い唇は噛み締められて歪み、白くなっている。 「だったら、お前が、」  俺を吸血鬼にすればいい。俺はアイリと同じになりたいのに。アイリに近付きたいのに。 「アイリはこわくてできなかったんでしょ? 弱虫だから無理だよ」  フェレスがせせら笑う。フェレスに腕を、メフィスに身体をがっしりと固定されていて動けない。 「だから僕に任せて? やさしくするから」  愛らしく、甘く、軽い猫撫で声。透き通る声に流されてしまいたくなって、そのまま。 「痛いのは最初だけ、ほんのちょっとだよ」  肩を強く抱かれる。首筋に固く、つるりとしたものが触れる。牙。皮膚に先端が触れて、ゆっくり、ゆっくり、肌が引き攣れていく。 「あ……」  注射をする前にアルコールで拭かれるみたいに、小さな舌で舐められた。ざらつく熱い舌で何度か首筋を舐められると、愛撫されたときにも似た、痺れるような、熱いような、形容しがたい感覚が広がっていく。 「っ、まさか、本当に……それなら、お前らがそれをするくらいなら、俺が……ッ」  焦ったアイリがメフィスに手を伸ばすが、部屋の外からやって来た執事達に雁字搦めに拘束された。  動揺するアイリの声に僅かな優越感が襲ってきて、自分が嫌になった。 「ざんねーん、今更もう遅いよ」  フェレスがくすくす忍び笑う。 「うーん、吸いたかったけど、あとにしよっか。アイリがうるさいから、とりあえず飲んで」  想像していた痛みは襲ってこず、代わりにフェレスに両手で口を抉じ開けられた。 「っ! んぐ……な……?」  予想外のことに抵抗すると、鼻を摘まれ強制的に口を開けさせられる。 「全部残さず飲んでね」  子供のものとは思えない力の強さで顔を上向きに固定され、メフィスと視線が合う。細い子供の腕が目の前に差し出された。メフィスが自分の手首にナイフを宛がう。 「メフィス! 邪魔しないから、せめて、先に皐の血を……」 「邪魔しないんじゃなくて、出来ないんでしょ。結局怖がって、自分では選べなくて動けない。本当にどうにかしようとするなら、狼にでも姿を変えればいいんだ」  アイリの懇願は届かず、刃がメフィスの手首を切り裂いた。  ぱたぱたと、真っ赤な血が水無月に降り注ぐ。 「っ、皐……ッ!」  アイリの声だけが聞こえて、姿は見えなかった。腕の向こうには手首を切りながら笑みに満ちたメフィスの顔と、真っ白な天井。 「ッ! あ……?」  メフィスの血は全て水無月の口の中に滴り落ちた。  血液らしい鉄っぽい香りよりも、死の匂いが強い。故に酷く甘かった。  甘い甘い、甘すぎる蜜は食虫植物の囮で、毒。  こく、と喉を鳴らしながら奥に流し込めば、かぁっと身体が一息に熱くなった。酒を飲んだ時の比ではなく、身体全体が一瞬で火照ったようだ。  高熱を出した時にも似ていて、飲んだにも関わらずかえって喉は渇いた。 「も、もっと……ッ」  自分が何を口走っているのかわからないまま、メフィスの腕を両手で掴み、口元へとぐいっと引き寄せた。 「さつ、き……」  掠れた悲鳴のような声が聞こえた。誰の声だろう。  それよりも、喉が渇いた。目の前にある肉しか視界に入らない。  とくとくと血を溢れさせ、桃色の肉が見えている傷口は真夏に見る冷たい泉だ。どうしようもない渇きに襲われ、傷口にむしゃぶりついた。 「ふふっ、くすぐったいよ、皐。焦らなくてもいっぱいあげるから」  くしゃりと髪を撫でられても待てるわけがなく、傷口に舌を這わせ、血を啜った。一口、渇きがゆっくり満たされて指先まで熱くなる。二口、腹の奥から熱の塊のようなものが込み上げてきて、全身が心臓みたいになる。  三口で、心臓が暴走した。 「っ、ふぁ……ッぐ……ぅ……ァ……? あ、あぁ、ぐ、あぁぁ!」  痛い。熱すぎて痛い。  全身が傷口になって外気に晒されているようだった。ひりつくような、じくじく疼くような渇きは、ずんずんと脈打つ激しい痛みに取って代わった。 「ひぎ、ぁ……あぁッ! あ、ぐ……」  四肢が引き裂かれるような痛み。四肢のみならず指の一本一本、関節の一つ一つ。あらゆる場所が膨らんで弾け飛びそうな、内側から軋む痛み。  痛い。いたいいたい。くるしい、つらい、あつい、いたい。たすけて。  たすけて。  おれは、だれに言って? 「あれ? だめだったかー」  水無月は床に頽れ、雨に溺れるミミズのようにのたうちまわった。 「結構面白いからあいつも来るかもって思ったのに来ないし、皐は《出来損ない》になっちゃったし」  メフィスがむすりと不貞腐れる。 「大丈夫だよ、お兄ちゃん。ふたりでずっと永遠に一緒に探せばいいんだから、《箱庭》を」  フェレスが微笑んでメフィスを宥める。 「皐……ッ!」  アイリは泣き声に似た悲鳴を上げて水無月に駆け寄った。膝をつき、床の上で暴れる水無月の身体を抱き締める。 「適応できなかったみたいだね、残念」  フェレスは、よく遊んでいた玩具が壊れてしまった、くらいの軽い調子で言った。 「でも調教すれば番犬くらいにはなるでしょ、《出来損ない》になっても嗅覚がなくなるわけじゃないし……どっちかっていうと鋭くなるんじゃないかな」  メフィスは軽く肩を竦めて水無月のことを見下ろした。 「メフィス、せめてお前が皐の血を先に飲めば、もしかしたらこんなことには……」 「大切なはずの相手が望んでいることすらできないアイリには何も言われたくないんだけど」  アイリの強い抗議をメフィスは切って捨てた。  水無月には三人の会話は何も聞こえなかった。なにかを話しているが、言葉ではなく音としてしか捉えられていなかった。ただの雑音だ。  体内のあちこちでばちばちと弾けていた痛みがおさまってくると、腹か喉かよくわからない場所がぐるぐると音を立てた。  腹が減った。  痛いくらいだ。  気持ち悪い。何かを口にして胃におさめたい。  目の前には血の滴る肉がある。  舌なめずりをして、そのまま牙を突き立てた。牙が伸びていて肉に齧りつきやすい。 「っ、皐、お行儀悪いよ。血はあげるけど、肉はダメ」  腕を振り払われて、腹を蹴られて、床に転がった。だが、痛くなかった。何かやわらかいものに受け止められた。 「皐……ごめん。お腹空いた?」 「っぐ……あ……?」  薔薇の香る死の匂いが目の前にあった。とてもとても好きな匂いだ。食欲をそそる匂いだ。  金色の目がきれいでおいしそうだ。蜂蜜みたいで、甘そうだ。  首筋に鼻先を埋めてくんくんと匂いを嗅ぐ。夜のいきものの匂い。吸血鬼の良い香り。  俺は腐った肉みたいなにおいがするのにこれはすごくいい匂いだ。べろり、舐めると程良いしょっぱさ。ぐぅ、と腹が鳴る。  ますます、腹が減った。やわらかい肌。血の匂い。これを食べれば腹が満たされるかもしれない。  俺もこの匂いのいきものになれるかもしれない。 「こうなるまで何も出来なかった俺のせい、で……」 「ぅあ?」  頭を引き寄せられ、唇が首筋に埋もれた。肉が向こうからやってきた。 「健気ー」 「そんなことするくらいなら、最初から自分で皐を吸血鬼にしておけばよかったのに、責任は持ちたくないんだよね」  五月蠅い、煩い、鬱陶しい。 「っ、ぐ……」  肩の肉に牙を埋める。声がする。ぷつん、と肉が千切れた。口の中に広がる香りは芳醇で、鼻に抜けた。頭がくらくらする。何も考えられない。もっとほしい。それだけ。 「おいしい? よかった」  やさしい声に包み込まれた。頭を更に強く引き寄せられて、血の溢れる肉を頬張る。  ぶちぶちと肉の千切れる音がする。肉だけじゃ足りない。もっと血も欲しい。  もっと熱いものが欲しい。  肉と血と、それから?  あと何だろう。  身体の中の、どくどく脈打つこの熱は、なんだろう。  腹が減ってるだけじゃない。  良い匂い。  俺はこの匂いを知ってて、好きで、もっと欲しくて。  腹の下の方がからっぽな感じがして、足りなくて、熱い。感じたことのない、これは。  身体が熱いのに、熱がもっと欲しい。  肉が被っている布を剥がしてしまう。びりびり、音がする。邪魔だ。 「……皐?」  服があると、あたたかくない。ない方が、もっとあたたかい。 「っ、皐……」  腕に噛みつくと、肉が震えた。動くと食べにくい。床に押し付けてしまう。  溢れてきた血を啜る。肉を齧って飲み込む。  これじゃなかった。  欲しいものはこれじゃない。なんだろう?    【選択肢】  1 腹の中を埋めたい →水無月受けの場合29話へ  2 腹の中に入りたい →水無月攻めの場合30話へ

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