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第十二話
夜もほどよく更けた頃。
新渓 の大通り。
大小様々な店が並ぶなか、その中にひときわ豪奢な二階建ての旅館があった。
その旅館の亭主が数人の下女を引き連れ、二階の客間へと向かっている。
亭主は角にある客間の前に着くと、下女たちにはここで待つよう伝え、自分は客間の中にいる人物に向かって声をかけた。
「御前様 」
「……どうぞ」
部屋の中から落ち着いた、しかし澄んだ声が聞こえた。
「失礼致します」
亭主がそっと戸を引いて、下女たちを残したまま客間に入ると、客間の中央に長椅子に座って足を組み、煙管(きせる)を燻らせ佇む女とその傍にはその女に向けて扇子を扇いでる少年がいた。
一人は昼間、大通りの四辻で踊っていた女で、もう一人は馬を引いていた少年だ。
淡い薄紅色の軽装に身を包んだ女は、なにやら妖艶な笑みを亭主に向ける。
「何か? 」
亭主は女の美しさに思わず生唾を飲み込んだ。
「あっ、いえ。御前様のあまりの美しさに、つい惚けてしまいました」
「まぁ、お上手ですこと」
女は小さく微笑むと、亭主から顔を逸らし煙管を吸った。
亭主は女の完璧な横顔を静かに見守った。
女が煙を吐き出すと、それは複数のなだらかな龍線を描きながら漂い、そのうちの一つが亭主の鼻腔にそっと届いた。
亭主は最大限に鼻腔を広げると、その煙、といっても残り香のような微かな煙だが、めいいっぱいに吸い込んだ。
煙はかすかに花の甘い香りと香木の澄んだ香りがして、なんとも心地よい。
亭主は鼻から吸った煙が肺を満たし、全身へと行き渡る。
すると、何やら頭がふわふわして、多幸感とともに亭主の心には抑えきれない欲望が沸々と湧いてきた。
亭主は本人を目の前に、女が自分の腕の中で狂おしく乱れる姿を想像したのだ。
亭主は思わず頬が緩んだ。
「どうかされましたか、ご亭主? 」
女が口角の片端をほんのわずか、軽く上げながら言った。
「あっ、いえいえ、なんでもございません」
亭主はわざと咳払いをして誤魔化した。
そして、この旅館の主人として体裁を守るべく、理性を総動員して不意に訪れたあらぬ欲望を押さえつけた。
女は亭主の一瞬の変化を感じとったが、女にとってはよくある光景で、いつものように見て見ぬ振りをした。
「ご用は何かしら? 」
女はそう言いながら、もう一口吸った。
そして今度は亭主に向かって小さくふぅと吐き出した。
煙は女の周囲を燻らせるだけで、少し離れたところにいる亭主のところまで届かない。
しかし、亭主は女の吐き出した煙をいま一度と吸い込もうと鼻をヒクヒクさせている。
見るに耐えない絵面に、女のそばに控えていた少年は思わず目を吊り上げ、あからさまな嫌悪感を示した。
「それで、ご用件は? 」
少年は無愛想に言った。
「あっ、はい」
見たところ、年の端十五、六才の少年の前で、いい年した大の大人が鼻の下伸ばしているのだ。
亭主は少年の射すくめるような言葉に我に返ると、取り繕うような笑顔を見せた。
「御前様に御礼を申し上げに参りました。今宵は手前どもの無理なお願いを快くお引き受け下さり、感謝の言葉もございません。宴も無事、盛況のうちに終わり、これらみなすべて、御前様と御一行様のお陰にございます」
亭主は深々と頭を下げた。
「まぁ、お礼だなんて。どうぞ、お顔を上げてくださいな」
「恐れ入ります……」
亭主はやおら頭をあげた。
「最後に、もう一口だけよろしいかしら? 」
「どうぞ、どうぞ、お気になさらず、お好きなだけお吸いになってください」
(そして、あなた様の口から吐き出される甘い香りを、どうか私に吹きかけてくださいませ……)
亭主は心に願いながら、愛想良く言った。
「まぁ」
女は少し驚いたように、それでいて亭主を揶揄うような視線を向けた。
ふふっと小さく笑うと、女はまた煙管を吸い、もう一度亭主に向けて、ふぅーっと煙を吐き出した。
今度は亭主の顔にまんべんなく煙が吹きかけられると、喜んで煙に身を任せ、煙が静かに消えるにまかせた。
大人のだらしのないその姿を黙って見ていた少年は、呆れたように首を小さく横に振ると、女の手元に灰落 としをのせた盆を差し出した。
女は煙管の灰を静かに落とした。
「ふふっ、困った時はお互い様ですわ。ご亭主のお役に立てたのなら、嬉しいことだわ」
「いや、もうお役に立てたなんてものじゃございません。本当に大助かりでございました。先ほどもお話しいたしましたが、今宵の大事な宴だというのに、踊り子たちが来なくなりましてね。急なことで、どうしようかと困り果てていたんでございますよ」
亭主はそう答えると、半ば忘れかけていた、廊下に控えている下女たちに声をかけた。
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