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初めての恋

 ----------  一時的に作られた簡易な盗賊の里の中を、俯いたままカースは足早に歩いていた。  彼は動揺していた。  自分にしか分からないはずの願いを、会って間もないあんな小さな子に容易く見破られてしまったようで。  誰かに分かってもらおうと思った事すら、未だかつて一度だってなかったというのに。  あんな、小さな……。  里を抜け、林の中で男は足を止めた。  自身の手を見つめる。  その指には、あの少年のふわふわと柔らかな髪の手触りが、まだ鮮やかに残っていた。  麦穂のような黄金色の髪。  それと同じ色で煌めく瞳。  そのどちらもが、あたたかく輝いていた。  それらが揺れて微笑むと、男には眩し過ぎてとても直視できなかった。  胸がグッと押さえられるような苦しさに、男は胸元を掻き毟る。  俺のこんな、左右で全く違う色の目を、あの少年は綺麗だと言った。  親ですら、大丈夫だとか怖がらなくていいと言うばかりで、結局俺は城の中ではずっと眼帯をつけていた。  それを……、綺麗だと、言った。  うっとりと見つめて……。あれは、心からの言葉だった。 「どうして……」  思わず漏れた自分の声は驚くほど細く、頼りなかった。  もう一度自身の手を見る。  限りなく人生を奪われ続けた男にとって、人に触れられる事は自身を失う事と同義だった。  人に触れられたいなどと思った事はないし、触れたいと思った事もなかった。  なのに俺は、あの少年にそれを許した。  あまつさえ、触りたいと……。  自ら、触れたいと願ってしまった。  男は真っ赤に染まった顔を両手で覆い、その場にしゃがみ込む。  頬が、とかじゃない。顔全体が熱い。  耳までが真っ赤になっているのが自分でも分かった。  こんな顔は、最中のあいつにだって見せたことがない。  どんなに愛を囁かれても、いまだかつてこんな気持ちになる事はなかった。  自分だってこんな……こんな情けない顔をする自分は知らなかった。 「……なんなんだよ、これは……」  男は、生まれて初めての感情を、まだどうする事も出来ずにいた。  ----------  夜更けに男が足を引き摺るようにしてテントへ戻った時、少年は男のベッドで眠っていた。 「……なんでだよ。お前の寝床はこっちに用意してるだろ……」  小さく呻きながら見た、姉の横に並べておいた少年のためのベッドは、やはり空いている。  かといって俺があそこに寝るわけにもいかないだろう。  まだ小さいとは言え、レディーの隣は流石にいただけない。 「はぁ……」  男は痛む体を堪えつつ、少年の隣に腰を下ろす。  下腹部へ響いた振動に、苦々しく眉を寄せた。  反射的にさっきまでの情事を思い出しそうになって、かぶりを振る。  こちらが断れないのをいい事に、あいつめ無茶苦茶しやがって……。  堪えきれなかった悔しさに、ギリっと鳴った奥歯の音。  そう大きい音でもなかったにもかかわらず、少年がふっと目を開いた。 「カース? おかえり……」  その目が開いて初めて、男は自分が少年の顔をずっと見ていた事に気付いた。 「あ、ああ。ただいま……」  反射的に答えてから、ただいまなどと口にしたのはいつぶりだろうかと思う。  そういえば、この少年は昼頃ここを出る際にも「いってらっしゃい」と口にしていた。  自分のことで精一杯で、それに答えなかった事を、男は今頃になって不甲斐なく思う。 「……俺を、待っていてくれたのか」  思わずこぼれた言葉に、男はハッと自身の口を手で塞ぐ。  が、一度口から出た言葉は、もう戻せなかった。 「い、いや……その……」 「うん、待ってたよ。カースが帰ってくるの」  少年が、ふわりと微笑んだ。  男がその微笑みに魅了されていると、少年は少し恥ずかしそうに目を伏せる。 「でも途中で寝ちゃった。僕、昼間もいっぱい寝てたから起きてられると思ったんだけど……」  伏せられてしまった金色が酷く淋しくて、縋るようにカースは指を伸ばした。  するりと目元に触れられて、少年の金の瞳は大きく揺れ、男を見上げた。 「……カース?」 「……」  しばらく無言で見つめ合う。  先に我に返ったのはカースだった。 「あっ、いや、悪い。急にーー」  慌てて引っ込めようとした手を、少年が強く握った。 「いいよ。僕。カースに触られるの、嫌じゃないよ」 「……っ」  言葉とは裏腹に、少年は酷く悲しそうな顔をしていた。  どうしてリンデルがそんな顔をするのか、カースには分からない。  ただその悲しげな瞳を見るのが苦しくて、男は目を逸らした。  ガサガサと音がして、少年がベッドの上に立ち上がったのが分かる。  視線を合わせないままの男へ、リンデルが手を伸ばした。  夜風にさらされ冷え切っていた男の頬を、少年の小さな温かい手が優しく撫でる。  誘われたような気がして男がぎごちなく視線を戻すと、少年はもう片方の手を反対の頬に伸ばす。  リンデルは両手で男の頬を包むと、ふんわりと花のように微笑んだ。 「ど、うして……」  カースの喉から、掠れるような僅かな声が漏れる。 「?」  少年がキョトンと首を傾げる。  少年の少し見開かれた瞳が丸くて、月のようだと男は思う。  しばらくの沈黙の後、男が続けた。 「……どうしてお前は、俺に触れるんだ……」 「えっ、カース、触られるの嫌だった?」  問われて少年が慌てて両手を離す。  離された頬が急速に熱を失う様に、息苦しくなって男は戸惑う。 「……い、嫌じゃ、ない……が」 「が?」  少年が、可愛く小首を傾げた。 「他の奴に触られるのは、ごめんだ」  言ってしまって、男は軽く絶望する。  自分はこんなに軽々しく心の内を晒すような奴ではなかったはずだ。  それなのに、この少年にだけは、易々と胸の内を見せてしまう。  自覚してしまうと、もう顔が赤くなるのを止められない。 「…………っ!」  男は、勢いよく少年に背を向けた。  ドッと何かが落ちて、ガササと藁の音がする。  男が背を向けた勢いで、長い服の裾に叩かれた少年がベッドに尻餅をついた。 「あっ……んっ……」  傷が傷んだのか、少年が甘く嬌声を漏らした。  男はわずかに肩を揺らす。  その声に自身が反応してしまった事が、男には信じられなかった。  それと同時に、背後の少年のこんな声を、あの男はどれほど聞いたのだろうかと思う。  こんな……。こんなに、蕩けるような、甘い声を……。  全ては、自分がかけた術のせいだ。  間違いだらけの人生を選んでしまった男は、ここでまた自身が大きな間違いを犯した事を痛烈に悔やむ。  ギリリと軋んだ男の歯の音に、少年は心が痛んだ。  またこの男は、一人きりで何かに耐えようとしている。  多分、ここに帰るまでも、ずっと我慢していたはずなのに。  少年は気付いていた。  カースの匂いが今朝とは違う事に。  昨日、たっぷり少年に染み込んだゼフイアの少し煙いような毛皮の匂い。  それと同じ匂いが、今のカースからは漂っていた。 「カース、こっちを向いて?」  男は背中にかけられた声に、びくりと肩を揺らす。  それは甘く誘うような、柔らかな囁きだった。 「ね、その綺麗な眼を、見せてほしいんだ……」  懇願するような少年の声に、男の心臓が跳ねる。  なぜこうも俺のほしい言葉ばかりを紡げるのか、その口は。  ドクドクと早鐘を叩く音が、やたら耳元で聞こえた。

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