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3話『本当の勇者』(4/5)

 ***  街の中心にそびえる王城を、月の光が静かに照らしている。  日中は街の中心を通る街道のど真ん中に魔物が現れ騒然としていた町も、夜には落ち着きを取り戻していた。 「ぅ……」  リンデルが目を覚ましたのはベッドの上だった。  ここ最近過ごすようになった城の中にある勇者専用の部屋は、現在のリンデルの私室にあたる。  うつ伏せの体を仰向けにしようとすると、後頭部と背中が酷く痛んだ。  そうだ……、俺、怪我して……。  蟻は隊長達が全部倒したんだろうか……。  リンデルはベッドの上で慎重に身体を起こす。  どうやら自覚している箇所以外の怪我はなさそうだ。  くらりと小さく眩暈がする。  揺れた頭を押さえれば、酷く熱かった。  ああ、怪我で熱が出てるのか。  ポトリと布団の上に落ちたのは、どうやら俺の頭に乗せられていた手拭いのようだ。  喉が……渇いたな……。  水がないかと視線で探れば、水差しや桶の手前で椅子に座ったまま寝息を立てているロッソの姿があった。  どうやら俺の看病をしながら寝落ちてしまったようだ。  無理もない。  ここしばらく式典の準備やら何やらでろくに寝ていないようだったのに、その上あんな戦闘があった後だ。  見れば小柄な従者の体のあちこちには治療の形跡が残っていた。  肩も腕も……、右手は指の一本ずつにみっちりと包帯が巻かれている。  利き手のはずなのに、大丈夫だろうか……。  深い傷なのか、巻かれた包帯にはほんのり血が滲み出しているようだ。  何でこんなに傷だらけなんだろうか。  テラスにいた時は、無傷だった気がするのに……。  リンデルは気を失う直前に見た光景を思い出す。  ああ……、あの時ロッソは本当に、蟻の群れの中を突っ切って俺を助けに来てくれたのか……。  そんな無茶をする人じゃないと思っていたから、あれは俺の願いが生んだ勝手な幻なのかと思っていた。  リンデルは、眠るロッソの顔をじっと見る。  いつも俺より遅く寝て俺より早く起きるロッソの寝顔を見たのは、これが初めてだった。  十一歳年上のはずだが、小柄で小顔なロッソの寝顔は自分とそう変わらないくらいの歳にも見えた。  リンデルは、なんとなく先週のロッソとのやりとりを思い出す。  その日俺は遠征先からヘトヘトで帰ってきた。  あと一歩のところで救えなかった命があって、無力さと後悔に打ちのめされていた俺に、ロッソは手紙の山をひと箱渡してきた。 「勇者様、お手紙です。危険物はありません、全てに目を通してください」  既に封の開いてある手紙達は、そのすべてがロッソの手によって中身を確かめられた後らしい。  こんなに沢山……。  俺達と一緒に討伐にも参加しているのに、ロッソはやっぱり凄いな。  ちゃんと寝ているのかは、ちょっと心配だったが……。  何か嬉しいことが書いてあれば元気が出るかな、と思って開いた手紙は丁寧ながらも批判的な内容で、俺が勇者にふさわしくないとする根拠や前勇者との比較が延々と書かれていた。  そう……だよな……。  前の勇者さんは立派な人だったもんな……。  情けないことに涙が滲んでしまって、俺はギュッと目を閉じた。  この箱全部がこんな内容だとは思わないけれど……。  それでも、この手紙を全て見るのは苦しいな、と思ってしまう。  手を止めてしまった俺に気づいたのか、ロッソが俺の背に「勇者様……?」と尋ねる。 「……えっとさ……情けないこと言ってもいいかな……」  俺の言葉に、ロッソは少しだけ迷ったような間をおいてから、答えた。 「……この場だけでしたら」  俺は許されたことにほんの少し安堵して、胸の内を伝えた。 「正直、今は……酷評を見たくないんだ……」 「正直ですね」と言ったロッソは少しだけ優しい声で続けた。 「下手に我慢されるより良いです。これからは私が内容を確認してお渡しします」  俺はロッソの仕事をさらに増やしてしまう事を申し訳なく思いながらも、否定されなかったことに胸をなでおろす。 「――ただし、ご指摘いただいた問題点や改善案は、私が勇者様のお世話に直接反映させていただきますので、ご承知おきください」  う……。  そ、それはそうか……。 「よ……よろしくお願いします……」  俺が頭を下げれば、ロッソはにっこりと営業スマイルを返した。  ロッソの完璧な笑顔も美しくて俺は好きだけど、作りものじゃないロッソの笑顔を俺はまだ見たことがなかった。  この先もっとロッソと仲良くなったら、ロッソの本当の笑顔を見られる日がくるんだろうか。  それとも、勇者と従者という関係でいる限り、そんな日はずっとこないんだろうか。  俺は、俺に初めて寝顔を見せているロッソの姿をもう一度見つめる。  ロッソはいつも、俺のために自分の時間を全部使ってくれてる。  ロッソにも、もっと自分を大事にしてほしい……なんて、こんなに手のかかる今の俺が言えたことではないんだろうけど。  ロッソに安心して休んでもらうためにも、もっと頑張らないとな。とリンデルは思う。  不意に、ロッソが目を開けた。  真っ黒な瞳はすぐに俺の姿を見つけると、ほんの少しだけ安堵するように細められた、ような気がする。 「お目覚めでしたか、申し訳ありません」 「こっちこそ起こしちゃってごめん。まだ夜だから、ロッソも自室で寝た方がいいよ。俺はもう大丈夫だから」  俺の言葉に、ロッソの視線が迷うように揺れる。  なんだろう、まだ俺が心配なのかな……? 「失礼します」と断りを入れてロッソが俺の額に右手を伸ばしかけ、怪我に気づいてか左手に変え、手を当てる。 「まだ熱は高いですね。お水はいかがですか?」 「あ、そういえば、喉が渇いてたんだ」  俺の言葉にロッソはうっかり右手で水差しを持ち上げかけてから、びくりと水面を揺らした。俺は腕を伸ばして水差しを横から受け取る。 「っと、怪我してるんだろ。このくらい自分でやるから」 「すみません……」  ロッソは左手で覆うようにして右手を隠した。  隠さなくてもいいのに。  俺に心配をかけないようにしてくれたのか。  また今ので傷が開いたのか、包帯にはさらに血が滲み出している。  ロッソが我慢できないほどの痛みだとしたら、右手の怪我は治るまでにしばらくはかかりそうだ。  蟻の顎にでも噛まれたんだろうか。いや、それだと千切れているか。  何にせよ、ロッソの怪我が俺のうかつな行動のせいであるのは間違いない。  俺はコップにたっぷり水を注ぐと、ひといきに飲んだ。

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