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願い*
「ん…………」
青年の漏らす声が少しずつ少なくなってくる。
まだ時折ピクリと痙攣を続けているが、そろそろ良いかと男がそれを抜こうとする。
「あ……。やだ……抜かない、で……っん……」
リンデルに止められて、男が一つため息を零した。
「抜かないでどうする。言っておくが、ねだられても俺はもう無理だからな?」
「ん……もう、ちょっと……だけ……」
潤んだ瞳で見上げられ、男はもう一つ息を吐いた。
「しようのない奴だな……」
まあいい。たとえ春までだとしても、まだ時間はある。
今のこいつは俺だけのものだ。
こんな風に日の高いうちから抱き合っていたって、誰にも咎められやしないだろう。
そう思うと、男の口元に自然と笑みが浮かんだ。
「……カース……?」
不思議そうに見つめる金色の瞳。
「いや、なんでもない」
男は口元を隠すと、苦笑して答えた。
まさか、目の前の青年が自分だけのものだと認識して、うっかりにやけてるだなんて言えるはずがない。
それでも、男の纏う柔らかな空気に青年がつられて心を弛ませる。
「カース、俺……本当は……」
「ん?」
「……っ。やっぱりいい」
頬をまた少しだけ赤らめて、リンデルが俯く。
「なんだ。そこでやめたら気になるだろ」
「……だって、カースに嫌われるかも知れないから……」
「ああ? 余計聞き逃せねぇな」
カースが森と空の色を半分ずつにして、じとりと青年を見る。
「だって、カース……さっきちょっと、引いてたでしょ……?」
子どもっぽい言い草に、カースが苦笑する。
「お前があまりにやる気で、ちょっと驚いただけだ」
言って、男は思う。
この青年と自分とは二十歳近くも離れている。
まだこいつは若い。
毎日求められても、俺はこいつを十分満足させてやれないだろう。
たとえ、リンデルが生涯を俺と共にと思ってくれたとしても、俺はこいつを置いて逝ってしまうほかないんだろう……。
ふっと男の瞳に暗い影が差して、リンデルは男の頬へ指を伸ばした。
「カース……。俺と繋がってる時に、悲しい事は考えないで……?」
言われて、そっと口付けられる。
「ん……」
唇を離すと、青年はふわりと微笑んだ。
「リンデル……」
青年はほんの少し恥ずかしそうに目を伏せて、それから少し照れ臭そうに告げた。
「俺……、本当は、ずっとカースと繋がったままでいたいんだ」
言われて、男の顔が小さく引き攣る。
「……お前………………」
「うううう、やっぱりカース引いてる……」
「まあ……ちょっと、な……けど別に、嫌ったりはしねぇよ」
涙目の青年へ、男が苦笑とともに返す。
「俺の……本当の。一番の願い。カースに聞いてほしくなったから……」
ちょっと悔しそうな顔をして男を見上げる青年に、男は堪えきれず笑った。
「ハハッ、お前、そんなのが一番の願い事なのか?」
男が笑うと、振動で萎えたそれがずるりと抜ける。
「……ぁぁ……」
リンデルが淋しげに肩を落とす。
そんな青年の仕草に、男はほんのりと罪悪感を感じつつ「お前の願いはもっと崇高なやつなんだと思ってたよ」と零しながら、枕元から手拭いを手繰り寄せ自身と青年を拭いてやる。
「騎士としては、皆の笑顔を守るのが願いだし、使命だとも思ってるよ」
「そうか」
男は器用に片手で手を拭うと、ベッドに座り込んでいる青年の頭を撫でる。
「だからこれは、俺の個人的な願い。誰にも内緒の、本当の、俺の……」
呟きながら、青年は自身の両手をゆっくり握って、また開いた。
まるでそれは見えない何か……鎖のようなものを掴んでいるようにも見えた。
「……笑ったりして、悪かったな」
男はそんな青年の前髪を指先で割ると、その額に口付ける。
「ううん」
青年は少しだけ憂いを残したまま、微笑む。
「じゃあ……今日は、なるべく繋がっとくか?」
カースに低く囁かれて、リンデルは金色の瞳を丸くした。
「……いいの?」
「特別、な」
カースは目を細め、口端だけを持ち上げて笑うと、支度をするから待ってろ。と言い残して部屋を出て行った。
リンデルは、ごそごそと二人用の布団を両腕一杯に抱き寄せると、そこに期待に染まった頬を突っ込んで、ふふっと小さく笑う。
こんな幸せな時が、ずっと続けばいいのに。
そう思ってしまってから、リンデルはもう一度、そのために自分が為すべき事について静かに考えた。
今この時も、どこかで誰かが魔物によって、あるべきだった幸せを奪われているかも知れない。
今この時も、新たな勇者は魔物と剣を交えているかも知れない。
どちらも、もしもの話だったが、今この時もロッソが新たな勇者の元で尽力しているだろう事は疑いようがなかった。
残してきた隊員達の顔が次々と浮かぶ。
ぐい、と見えない鎖に首を絞められたような気がして、息が詰まりそうになる。
リンデルは首元を掴むようにして、その重みにじっと堪えた。
皆、ごめん……。
でも今日だけ……、今日だけだから。
どうか、許してほしい……。
リンデルが自身の幸せに重苦しい罪悪感を抱えて蹲っていると、ギィと寝室の扉を軋ませて男が戻ってきた。
その音に、リンデルはハッと顔を上げる。
少し前から止んでいた水音にも気付かなかったなんて、気が緩みすぎていたのかも知れない。
キッと一瞬で気を引き締めて、青年は慎重に男へ微笑みかけた。
男は内心驚いていた。
ほんの一瞬だけだったが、男は扉を開いた瞬間の青年の表情を目にしてしまっていた。
あんなに嬉しそうに、期待に満ちた眼差しで自分を見送った青年が、まさかこんなに苦しげに眉を寄せて膝を抱えているとは、思いもしなかった。
今までこの青年は、ただ俺の事だけを考えているように、そう見えるようにしてくれていただけだったのだ、と。気付くと同時に、今の青年にはその余裕すらないのだということを男は知る。
「待たせたな」
なるべく優しく声をかけた男に、青年は笑ってうそぶいた。
「ううん、カースのこと考えてたら、あっという間だったよ」
素肌に長めの上着を羽織っただけの男が、ベッドに上がる。
上等のベッドは音を立てることもなく、体重をかけた分だけが静かに沈んだ。
悲しげに揺らめく空と森の色をした瞳に、じっと物言いたげに見つめられて、リンデルはじわりと焦る。
先程の顔を、見られてしまっただろうか。
カースはせっかく俺のために準備をしてきてくれたのに、俺がこんなことでは……。
金色の瞳に焦りと悲しみが宿る。
男は黙って青年を抱き寄せた。
「なあ……俺はそんなに、頼りにならないか?」
耳元で低く響く声に、青年は小さく肩を揺らした。
「え……」
「お前が成長したのは良くわかってる。もう子どもじゃない。俺に隠したい事だって、たくさんあるだろうよ」
「そん、なこと……」
「隠し事は構わない。俺だってそうだ。だが、隠しきれない事なら……、お前にとって、抱えきれない事なら……」
男がじわりと体を離し、青年の瞳を真摯に覗き込む。
濃く深い色をした森と、どこまでも透き通るような空に、リンデルは吸い込まれそうな気がした。
「俺にも、その荷を分けてくれないか……?」
「……カース……」
青年の瞳が戸惑うように揺れる。
「俺…………。俺は、大丈夫だよ……」
「リンデル……」
「何も問題ない。困ってる事なんて、何もないよ……?」
青年は伏せかけた睫毛をもう一度持ち上げて、ふわりと微笑む。
けれど、男にはそんな仕草すらどこか儚く消えてしまいそうに見えた。
「……分かった」
男はそれだけ答えると、青年の頭を胸に引き寄せる。
ゆっくり、ゆっくり青年の髪を撫でてやると、青年は次第に表情を弛める。
「お前が、どうして自分を責めてるのかは知らねぇが……」
頭上から男の優しい声が降ってくるのをリンデルは目を細めて聞いている。
「俺は、お前が何をしたって、全部許してやるよ……」
慰めるように囁かれて、リンデルが顔をあげる。
「カース……?」
「なんだ?」
男がその瞳で青年を見る。
青年の心の底で澱のように溜まり続けていた罪悪感は、男の瞳を見つめているだけで、するすると森の奥へ空の向こうへと吸い上げられてゆくような気がした。
「カースは、俺に、甘すぎない?」
言われて男が苦笑する。
「……そうだな」
男は黒髪を揺らして艶やかに笑うと「昔からな」と付け足した。
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