62 / 62

横顔

 リンデルと共に行くと決めてから、カースは毎日鍛錬を続けていた。  元々、盗賊時代は良く動く方だった。  二刀のダガーを振るう二刀流を主にしていたが、生憎と今は片腕しかない。  物心付く頃から国を焼け出されるまでずっと剣術の指南も受けていたが、いざリンデルの剣を借りて振ってみると、これがまた片腕では長剣の重みに対してバランスが取れない。  結局カースはダガーを一本と、どこか癪ではあるが盗賊の頃あいつに教わった鞭を持っていくことにした。  扉の音がして、青年が家に戻ってくる。  外は雪がそこそこ舞っていたらしく、玄関先でリンデルはパタパタとフードの雪を落としていた。 「カース腕立て? 頑張ってるね」 「……お前ほどじゃ、ねぇよ」  片腕で腕立てを続ける男にじとりと半眼で見られて、青年はキョトンと男を見返した。 「俺は、現役の頃の半分もやってないよ」  苦笑を浮かべて答えるリンデルは、この村を三周ほど走ってきた後だった。  ほとんど息も切らさず、疲労の色もないその姿を一瞥して、男はそっと腕立ての残り回数を増やした。  ぽた。と男の汗が顎を伝い落ちるのを見て、リンデルがその隣へしゃがみ込む。 「あんまり、無理しなくていいんだよ? 俺、カースに戦ってもらおうとは思ってないから」 「分かってる……、よっ。ただ、荷物に……なりたくねぇん、だ、よっ」  雪が溶けてから向かうにしても、北の山が過酷であることは間違いない。  少なくとも、今のままの体力ではカースがリンデルやロッソの足手まといとなる事は避けられないだろう。  二人は、冬祭りに誘う手紙をロッソに送ってみたのだが「残念ですが……」と丁寧な断りの文が返ってきた。  やはり向こうは一年だけと定めて過密なスケジュールで色々と詰め込んでいるらしい。 「あんまり無茶してないと良いけど……」と呟くリンデルに、カースも苦笑していた。  そんなわけで、この冬二人は生まれて初めて、誰にも邪魔されず二人きりの時を過ごしていた。  暖炉の中で、パチパチと音を立てて薪が燃える。  それをぼんやりと眺めながら、リンデルが呟いた。 「ねぇ、カース……」  暖炉の前に敷かれたラグマットの上に、カースが毛布に包まるようにしてあぐらをかいている。  その男の脚の間に、リンデルは膝を抱えるようにしておさまっていた。 「なんだ?」  男が短く、しかし柔らかな声で応じる。 「来年も、あの灯を一緒に見られるといいね……」  どうやらリンデルはこの炎の向こうに昨日の夜空を見ているらしい。  男は青年の顔を覗き込もうと、背を傾ける。  そんなカースの気配に気付いてか、リンデルが男にもたれるようにして首を反らした。  不意に至近距離に現れた青年の唇に、男はそっと口付ける。 「……いちいち物騒な話をするんじゃねぇよ」  唇を離されて、ほんの少し淋しそうに金色の瞳を細めてから青年が聞き返す。 「ん……。物騒なの?」 「お前は俺が絶対に死なせやしない。もう考えるな」  男は青年を背からそっと抱き締める。  決意の篭った低い声に、青年はどうしようもなく胸が震える。  毎日、彼が鍛錬を欠かさないのも、全ては俺の為だ。  カースは決して恩着せがましいことは言わないけれど、彼の時間は俺の為だけに使われている、とリンデルは思う。  ロッソも同じだろう。  今この時も、きっと机で事務書類を抱えて……いや、事務書類を抱える新従者の横で、処理に間違いがないかと目を光らせているに違いない。  俺の為に。  俺の元に、春が終わるまでに駆け付ける為に……。  こんなに……、こんなに二人に注いでもらえて、それをただ受け止めるだけではいられない事は、リンデルにももう分かっていた。  俺が受け取ってきた愛を、渡さないといけない。  いや、このあたたかさを分けてあげたい。  あの北に住む何か…………違うな。……誰か。に。  炎に照らされて、金色の瞳が深い決意の篭った輝きを放つ。  カースは、ふと覗き込んだリンデルの表情に、その荘厳さに、息をする事すら忘れた。  歴代の勇者を遥かに超える、真の勇者の横顔を見たのは、まだこの時、この男一人だった。

ともだちにシェアしよう!