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少年

 そこには少年がいたはずだった。  殺気を放たぬよう慎重に振り返ると、そこには魔物ではなく虚な表情を浮かべた少年が立っていた。  リンデルは気を引き締め直す。  幼い少年の姿に、どこか気が緩んでいたのかも知れない。 「そいつ、アイラの子孫……なのか?」  まだそればかりが気になる様子の少年の前に、リンデルは膝を付くと視線を合わせる。  資料には実験体の子孫の追跡もいくつか残っていたが、それも長くて百年ほどだった。何しろ、三百年も前の話だ。 「……そうかも知れないね」  リンデルは、はっきりと答えを返せないながらも、そう微笑んだ。 「そう……か……」  どこかに想いを馳せるように俯いた少年の輪郭が、また少しだけ闇に滲む。 「挨拶が遅れてすまない。私は……」  勇者時代にすっかり身に付いた口上を述べそうになって、リンデルは一度口を閉じる。 「いや、俺はリンデル。呼び捨ててくれたらいいよ」  知らず引き締めていた表情を、ふわりと和らげて微笑む。  気は引き締めても、態度は穏やかでなくてはいけない。  相手はこちらを敵だと思っているのだから。 「リンデル……」  久々に紹介された他人の名を、少年は思わず繰り返した。 「君の話を、聞かせてもらってもいいかい?」  なるべく優しい声で尋ねるリンデルに、少年は、淡い緑の瞳に警戒を浮かべて聞き返した。 「オレの話なんか聞いて……どうする気だ」  リンデルは金色の瞳を柔らかく細めて、少年の姿を見る。  ツリ目は生まれつきなのか、環境のせいか。  赤い髪は目にも襟にもまばらにかかっているが、自分で切ったのか、それともこれ以上伸びないのだろうか。  歳は三百を超えているはずだが見た目は八つか九つほどで、資料にあった『実験後は体の成長が止まっている』という表記の通りに見えた。 「どうすれば君を助けられるのか、俺も考えたいから」  まっすぐにそう言われて、少年は息をのんだ。  自分を優しく見つめている金色の瞳。  こんな風に正面から悪意なく見られたことが、今までどれだけあっただろうか。  ……けれど、話したところできっと何も変わらない。  いや、むしろ……。  話せば、こいつはオレを殺すしかないと思うかも知れない。  でも話を聞きたいと言われたことが、助けたいと言われたことが堪らなく嬉しくて、それに飛びつきそうになる。  躊躇いと切望が、じりじりと少年の輪郭を崩す。  暗い闇が少年の周りで渦巻くと、少し離れた場所にアリ型の魔物が姿を現した。  リンデルが背後に素早く視線を投げると、ロッソが頷きを返す。  リンデルは焦りを表に出さないよう細心の注意を払いながら、少年に囁いた。 「君に、触れてもいいかい?」  その言葉に、少年は驚きと戸惑いを浮かべる。  拘束される? いや、それならわざわざ尋ねたりしないはずだ。  少年はその意図を読めないまま、金色の光に誘われるように頷いた。  リンデルは少年をそっと抱き寄せる。少年に人らしい体温は無かった。  それでも、手に触れる感触は人のようで、リンデルは小さな肩を壊れないように包んだ。  向こうでは三体目のアリをロッソが沈めている。  カースが起きあがろうとしているが、まだ難しいようだ。  揺らいでいた少年の輪郭が人らしい形に戻ると、それ以上魔物は発生しなくなった。  リンデルは少し考えてから「ちょっと待ってね」と少年に告げ、甲冑を脱ぎ始めた。  勇者時代のそれとは違い、今は一般隊員が身につける軽くて動きやすい小型のものを身につけていたが、それでも、少年を温めるには邪魔な気がした。 「主人様……」  ロッソの心配そうな声が聞こえたが、リンデルが笑顔を返すと小柄な従者は黙って主人の甲冑を外す手伝いを始めた。  少年は、リンデルが装備を外すのを不思議そうに眺めている。  その瞳に僅かながらも期待の色が滲んでいるのを、リンデルは光栄に思いながら、応えるように微笑んでみせた。  途端、少年は顔を赤くして視線を逸らす。 「君の名前を、教えてくれる?」  尋ねられ、少年はびくりと肩を揺らした。 「…………ケルト……」 「ケルトか。いい名前だね」  リンデルは資料通りの名であることを確認しながら、そう答えた。  従者は外し終えた甲冑をまとめると、リンデルのそばに敷物を敷いて下がった。  リンデルは「ありがとう」と礼を告げて、そこへ座ると少年を呼んだ。 「おいで」 「!?」  リンデルの手は、自身の横ではなく、膝の上を示している。 「なっ、だっ……え!?」  予測出来ない出来事に固まってしまった少年へ、リンデルは首を傾げてしょんぼりと尋ねる。 「あ……、嫌だったかな……?」  しゅんと寂しそうに揺れる金色の瞳に、少年が動揺する。 「っ!! べ、べ……つに、嫌じゃ、ない、けど……」  少年の言葉は段々と小さくなり、今にも消え入りそうだ。 「ほんと? よかった」  リンデルが金の瞳を細めて嬉しそうに微笑むと、少年は完全に真っ赤になった。  少年の小さな手を、リンデルの長い指がそっとすくって優しく引き寄せる。  ストンと膝の上に乗せられて、少年はドギマギと視線を彷徨わせた。  リンデルも、決して無意味に接触しているわけではない。  先程の様子を見る限り、この先話を聞くにあたって、なるべく早急にこの少年を慰められるようにしておかなければ、魔物の発生数がとんでもないことになりかねないと判断したからだ。  けれど、恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに膝におさまるこの少年を、リンデルは見せかけではなく本当に大切にしたいと願う。  リンデルは少年の赤い髪を優しく撫でた。  少年は一瞬びくりと肩を揺らしたが、そのまま大人しくリンデルに撫でられている。  少年はリンデルの右膝に腰掛ける形で横向きに抱かれていた。 「ケルトの事を、教えてほしい……」  頭上から降ってくる温かい言葉は、少年の中に直接染み込んでくるような気がした。  少年は、記憶を辿りながら、ぽつりぽつりと話し始める。  ずっと昔の……、三百年も前の、自分がまだ本当に人だった頃の話を……。

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