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爆弾│来ない発情期
嵐はオフィスに残り、発情期で急遽休暇に入ったオメガ社員の案件の引き継ぎに追われていた。
「あー、発情期で休めるっていいっすね〜」
ふと、嵐から少し離れた席からそんな声がした。嵐が手を止め、声がした方へと目を向ける。若手の彼がオフィスチェアにだらしなく背を預け、天井を見上げているのが見えた。嵐は再びPCへと視線を戻す。
「三浦、仕事をしろ。……あと、その発言はハラスメントになる。ここでは零すな」
「はいはい」
嵐はそう釘を刺す。しかし発情期で休んだ社員の、打ち合わせ資料作成の続きを引き受けたのは彼だった。
「黒川主任も早く帰ったらどうです?」
「それはそうだが……連絡はしたからいい」
「連絡? 誰か家で待ってるんすか?」
三浦がふと顔を上げる。言ってから、嵐は口を噤んだ。三浦には凪のことは家政婦と説明してあったことを思い出す。
「明日香だ」
三浦は「ああ」と納得したように口にした。
嵐はデスクの端に置いてあるスマホが少しだけ気になりながら、作業を進めた。
「……よし、ここまででいい。残りは明日だ」
「うぃー!ㅤおつかれっす」
端末を落とし、最低限の片付けだけ済ませる。鞄を持って立ち上がると、足が自然と速くなる。
外に出ると、夜気が冷たかった。車に乗り込み、エンジンをかける。信号の列に滑り込みながら、再びスマホに視線を落とす。まだ既読はない。
――寝ているのか。
それならそれでいい。起きていても、無理をしていないならいい。
そう思うのに、アクセルを踏む足に少しだけ力が入る。
ようやく家に帰れたのは、日付が変わるぎりぎりの時間だった。
「お帰りなさい。……今日は、いつもよりお疲れですね」
凪が時計を見る。嵐は凪に鞄を預け、コートを脱ぐ。
「すまない。今日から女性社員が一人産休に入るのと、後輩が一人発情期で休みに入った。その分の業務に追われていただけだ」
「そうだったんですね」
「産休も発情期も、重なると現場が回らない。管理ぐらいちゃんとするべきだ」
嵐はそう言って、凪にコートを渡す。凪の手が止まる。どうした、と思い視線を止めた瞬間、嵐は凪もオメガであることを思い出した。どこか緊張した空気が張り詰める。しかし凪はなにごともなかったかのように、淡々と自分の仕事をこなす。
「先に風呂に入る」
「はい。……ご飯、あたためておきますね」
「ああ」
そうして嵐は風呂に向かう。
その時ふと、嵐は違和感に気付いた。
凪がこの家に来て、二ヶ月ほどが経つ。オメガの発情期は個人差はあるものの、だいたいが一ヶ月おきに一週間ほど続くことがある。けれど凪にはそれがない。発情期特有の甘い匂いもない。
下着になってからそれに気付いた嵐は、ふとリビングに戻る。ほとんど裸の状態で現れた嵐に、凪は見るからにたじろいだ。
「なあお前、発情期はどうした。……抑制剤は?」
構わずそう聞くと、凪は目を逸らす。
「あ……市販の薬で調節してます」
「見せろ」
嵐は凪に迫る。凪は一歩後ずさった。
「……ちょうど切れてしまったので、今度買った時に見せます」
「そうか」
凪が静かにそう答える。だが、まだ引っかかる。
家の中で、薬のゴミを見たことがない。薬局のレシートには、あっただろうか。
とはいえ掃除と洗濯は完璧だし、凪はいつもゴミをすぐに出してしまう。最近はそんなにレシートをいちいち細かく見ているわけでもないし、オメガが薬をどこで入手しているのか、嵐は詳しく知らない。もしかしたら抑制剤が市販薬として出回っているのかもしれない。
そう考えた嵐は、静かにバスルームへと戻ろうと引き返す。
――自分の気のせいか。
改めて、洗面所を見回す。洗面所に置いてある歯磨き粉のチューブがもう薄くなっていて、歯ブラシの毛先が開きかけている。そろそろ新しいのを買ってやらなければいけない。
けれどそれ以外は綺麗に整っていて、ゴミはない。やはり凪がただ几帳面なだけだと、そう思うことにした。
なにか隠されているような気がして、嵐は壁の向こう、凪がいるはずの場所へと顔を向ける。
まさか、既に番がいるのか。
その可能性が頭を過ぎった瞬間、バスルームへと踏み出そうとした嵐の歩みが止まった。けれどすぐにその可能性を打ち消した。それほど大事なことを、普通は黙っておくはずがないと思ったのだ。深読みのしすぎだと、首を振った嵐はようやくバスルームへと足を踏み入れた。
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