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爆弾│拒絶と導火線①
発情期が来ない理由。単に周期の乱れか、本当に抑制剤で抑えているのか。それとも、あれは金稼ぎではなく外での処理だったのか。
初め、わざと薬を飲まないことで、発情期を利用して番になる気ではないかとも考えた。しかしアルファ側から番を解除された時のデメリットを考えて、凪はそんなことはしないだろうと結論づける。なら、他の可能性は。発情期が来なくなる他の理由は、と考えながら嵐はバスルームの扉を開けようとする。
まさか、既に番がいるのか。
そこまで考えて、嵐は眉を寄せる。その可能性が頭を過ぎった瞬間、バスルームへと踏み出そうとした嵐の歩みが止まった。けれどすぐにその可能性を打ち消した。それほど大事なことを、普通は黙っておくはずがないと思ったのだ。深読みのしすぎだと、首を振った嵐はようやくバスルームへと足を踏み入れた。
ふと、シャワーを浴びているあいだ、嵐は考える。風呂は外からの情報が一番入ってこない時間なだけあって、思い浮かぶのは取り留めのないことばかりだった。
嵐には、オメガは発情期が来たら甘い匂いが強くなる、抑制剤を使うと弱くなるという、その程度の知識しかない。甘い、と一言で言っても個人差や感じ方には幅があるらしい。焼き菓子のような匂いか、果実や花のような匂いか、あるいは人工的な甘味料のようなものか。
――凪は、どれだ。
そこまで考えて、なにを想像している、と正気になった。
凪の普段静かな呼吸が乱れ、いつも無表情な瞳が、濡れて熱を帯びている。嵐の頭の中で、普段は考えもしないようなそんな想像が巡る。
けれど、誰がそれを見るのか。顔を寄せる自分が一瞬浮かんだその刹那、嵐の舌打ちが水音に紛れた。誤魔化すように、いつもより深く息を吸う。
次の日まで、嵐は凪と必要最低限の会話しかできなかった。
凪がいつも通り朝食を用意しているのを見て、なおさらネクタイを強く引き締めた。
数日後、朝起きた嵐がいつも通りリビングに向かうと、いつものように朝食を作っている凪が見えた。けれど手元がどこか覚束無い。時々キッチンの縁に手をついて、何度か深呼吸をしている。
「おい、どうした」
「なんでもありません」
「ふらふらじゃないか」
「平気です……」
凪はそう言うが、嵐は気が気ではなかった。凪の言う「大丈夫」はいつも信用ならない。嵐はネクタイを結ぶ手を止め、凪をじっと見る。
その時、バランスを崩した凪が倒れる。
「おい!」
頼りない背中に、だから食べろといつも言っているのに、という静かな怒りを抑えながら、嵐は駆け寄る。抱き寄せた凪の顔を見る。顔は青白く、唇は震えていて息切れをしている。どう見ても様子を見るレベルではない。嵐は咄嗟に凪の細い手首を掴んだ。
「……っ、病院に行くぞ」
しかし凪は頑なに首を振って、立ち上がろうともしない。
「大丈夫です」
「いいから行くぞ」
はぁと息をついた嵐はスマホを取り出し、それから会社へ電話を掛ける。
「俺だ。今日は午前は出られない」
それだけを言って、嵐は電話を切る。凪がゆっくりと目を開け、顔を上げる。
「本当に、大丈夫ですから……お仕事、遅れます……」
「構うな」
凪はぎゅっと裾を掴んだまま、固く唇を噛み締めていた。なにをそんなに堪えているのかわからなくて、嵐は肩を掴んで問い質したくなる。けれど奥歯を噛み締めて、嵐は凪の肩の下に体を入れる。凪はなおも身動ぎをして抵抗する。嵐から逃げた凪が、床にへたり込む。
「行ってもお金、払えません」
息切れの合間に、凪の声がそう小さく聞こえた。その瞬間嵐の中でなにかがぷつんと切れた。
また、金か。
俺は、お前のなんだ。
腹の奥がかっと熱くなったかと思うや否や、嵐は素早く息を吸っていた。
「……っ、うるさい!」
肺の中に貯めた空気に精一杯の声を載せ、嵐は凪に初めてそう怒鳴った。凪の体が、雷にでも打たれたかのように強張る。
金の問題で、お前を見殺しに出来ると思うのか。
そう言えるなら、嵐は凪にそれをぶつけたかった。けれど喉まで出かけた言葉を、最後まで言えなかった。
嵐は肩で息をする。怒鳴り慣れていないせいで、手が震えている。凪が驚いたような目で嵐を見ているが、嵐は無視して凪を再び背負うように、肩の下に体を入れて抱き上げた。
凪を無理やり車に乗せ、病院まで走らせる。後部座席に座らせた凪はぐったりしたまま、目を閉じている。シートベルトをしていても、曲がり角の度やブレーキの度に体が傾く。凪は時々なにかを呟いていたが、よく聞こえなかった。
黄色信号が赤に変わる直前、嵐は強めにアクセルを踏んで直進した。
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