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爆弾│捨てないで
朝起きると、凪が布団に丸まって蹲っていた。
「朝飯、食べれるか」
上からそう聞くと、凪は毛布に顔を埋めたままふるふると首を振る。少し呼吸が荒い。……もしや。
ため息をついた嵐は無理やり毛布を剥がし、それから凪の額に手を当てる。
「……熱があるのか」
「大丈夫、です」
か細い声でそう返した凪の額から少し手を離し、嵐は腕を組む。スマホを取り出した嵐は会社に遅刻すると連絡して、そのままスマホで検索する。薬局に向かった嵐は冷却シート、ゼリー飲料、スポーツ飲料とミネラルウォーターをカゴに入れ、それから店員に尋ねる。
「妊夫が飲める解熱剤は、どれですか」
家に戻ると、凪がふらつきながらリビングから出てきた。嵐は凪を寝室に連れ戻し、布団に寝かせる。
そのまま、少しだけ様子を見るつもりで凪の額に触れる。
ㅤ熱い。呼吸も浅く、首筋に汗が滲んでいた。
指先に触れた体温が、妙に強く残った。
一瞬、意識が違う感覚を拾う。
柔らかい、と思った。
次の瞬間、嵐は手を離す。自分の指先を見て、眉を顰める。
――なにを考えている。
舌打ちをしそうになる。今のは違う。余計な思考を追いやるように、嵐は冷却シートを乱暴に貼った。
「薬と飲み物はここに置いておく。冷蔵庫にはゼリーと、ヨーグルトのドリンクもある。飲めそうなものだけ飲め。無理はするな」
それだけを素っ気なく言って、嵐は仕事に向かう準備をする。
「ごめんなさい……」
ふと、布団の中からそう聞こえてきた。見下ろすと、凪が布団の中で丸くなって震えている。嵐は息を吐く。
「できない時もある。なにかあったら連絡しろ」
そしてなんでもないように言う。それでも、凪はただでさえ具合が悪いというのに、青ざめた顔でなおも嵐に言う。
「ここまでしなくていいです……」
本当に申し訳なさそうなその態度に、嵐は「案ずるな」と続けようとした。けれど凪に遮られた。
「嵐さんの子じゃ、ないのに」
その言葉に、嵐は即座に言い返せなかった。少し間を置いて、それから静かに返す。
「俺の子じゃないというなら、なんだ。お前は俺を、身重の人間を見捨てるような人間にしたいのか」
凪が身を竦め、かたつむりのように一瞬布団の中に戻る。
「俺がやりたいから、やっている」
以前にも口にした言葉を、嵐は再度口にする。自分に言い聞かせるようにも聞こえるその言葉に、凪はそろそろと布団から頭を出して嵐を見つめる。けれどその顔には、不安気な色が浮かんでいた。
「あの、おれ、やっぱり……」
仕事に行く支度をしている嵐に向かって、凪が言う。
「いない方が、いいですよね」
凪を見る。その言葉の意味を測る。迷惑を掛ける、金、――さっきの話。
ㅤ子供のことだとすぐに気付いた。
彼に、選ばせるつもりだった。だがもう、決めていた。
凪が産むなら守る。凪が堕ろすなら、それも守る。
それだけだった。
「……なぜ」
短く問う。凪は困ったような顔をする。
「う、産まれたら、もっと迷惑を掛けます」
「……掛かるだろうな。だからどうした」
「お金もかかります」
「それは俺の問題だ」
「いつか、おれが、この子に手をあげるかもしれません」
その言葉に、嵐は一瞬だけ目を細める。
「……そうか。なら、その前に止める」
凪の言葉に、嵐は淡々とそう言う。凪は目を見開いて、嵐を見ていた。
それでも、まだなにかを探すように視線が彷徨う。否定される理由を、探している。
嵐はそれ以上言わなかった。凪が自分で辿り着くのを待つ。
数秒の沈黙ののち、凪は布団の中からぽつりと言う。
「……消さなくても、いいんですか」
嵐は答える。
「いい」
それだけだった。
仕事から帰って来ると、凪の顔色は少しばかりよくなっていた。
夕食に、味噌汁と形の悪いおにぎり、それから雑な卵焼きを出す。
ジャリ、と砂を噛むような食感に背筋がぞっとして、思わず固まった。凪も固まっている。嵐が視線をやると、凪はなんでもないようにもぐもぐと再び口を動かし始める。
「……おいしいです」
「嫌味か」
口の中から殻を出しながら、嵐は凪を睨んだ。
風呂を済ませた嵐が軽く部屋の片付けをし、それから寝室に向かう。凪は布団の中で眠っていた。様子を確認するように、顔を覗き込む。
「ん……」
起こしてしまったかと思い、一瞬焦る。けれど凪は目を瞑ったまま、起きる気配はなかった。睫毛が震えている。口がなにか言いたげにぱくぱくと動いている。普段と違うその様子に嵐は膝をついてしゃがみ込み、手を伸ばそうとすると、ふと凪の口から小さな声が漏れた。
「すてないで……ちゃんとするから……」
聞こえてきたそのうわ言に、はっとして手を止める。途端に嵐の胸の奥が締め付けられる。自分の意思すら出せずに生きてきた凪の、ほんの一瞬の、か弱くもはっきりした願いのかけら。夢の中でしか言えない素直な声に、嵐はゆっくりと手を伸ばす。
「わかってる」
短く、けれど力のこもった声で迷わずそう応え、嵐は凪の肩口にかかっていた毛布を引き上げる。そして乱れたそれを整え、額に張り付いた髪を指で軽く払った。
触れるのは、そこまでだった。指先に残る体温に、嵐は一瞬だけ目を伏せる。
それ以上はなにもせず、静かに手を離した。
しばらくして、凪の表情がわずかに緩む。呼吸も、さっきより落ち着いている。それを見て嵐は乱れた毛布をもう一度整えてやり、静かに距離を取った。そして自分のベッドへと入る。
横になりながら、凪の様子をじっと見る。
しばらくして規則的な寝息が聞こえてきたのを確かめて、嵐は目を閉じた。
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