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アクアリウム│ジェリーフィッシュ
ㅤふと、寝る前の歯磨きをしていた凪に向かって嵐は言った。
「明日、出かけるか」
「……お買い物ですか?」
口をゆすいだあとで、隣で同じく歯を磨いていた凪は軽く目を見開き、わずかに首を傾げる。歯磨き粉が唇の端についているのをタオルで拭うと、凪がびくっと肩を竦めた。
「散歩だ。しばらく外に出ていないだろう。気晴らしになる」
ㅤ朝起きて、嵐はリビングに出た。凪はいつもより少し早く起きていたようだった。着替えてソファに座っていた凪はすぐに姿勢を正す。
「……おはようございます」
「ああ。……おはよう」
短く返しながら、凪を一瞥する。ソファに座る凪の服装はいつもと変わらないが、どこか整っている。髪もいつもよりまとまっている気がした。無意識に気を遣っているのかと思ったが、嵐はなにも言わなかった。
ㅤ軽く食事をして、家を出る。凪がいつもみたいに後部座席に座ろうとしているのを見て、嵐は眉をひそめた。
「前に乗れ。……その方が運転に集中できる」
そう言うと、凪はおずおずと助手席に座る。
「それ、キツくないか」
「大丈夫です」
凪のシートベルトを確認して、嵐もまた運転席に乗り込んだ。凪が鼻を啜る。嵐は凪の足をちらと見た。まだ冷えるな、と嵐は思った。
「あの、散歩って、どこへ」
道のりの半分ほどまで来た時、凪は嵐に尋ねる。そういえば行先を告げていなかったかと思い、嵐は答える。
「水族館だ」
「……魚、ですか?」
凪は不思議そうに目を瞬かせた。
凪が動物番組が好きでよく見ていたことを、嵐は思い出す。動物園も候補としてはあったが、屋外はまだ肌寒いし、天候にも左右される。静かに見て回れるものなら美術館もいいかと思ったが、凪が楽しめるかはわからなかった。
水族館に入る。入り口に入った時、凪は少し困惑していた。
「……暗いですね」
「足元気を付けろ」
「はい」
少し大きくなった腹を庇いながら歩く凪の横で、嵐は自然と歩幅を合わせて歩いた。
ゆらゆらとクラゲの浮かんでいる水槽に、凪が顔を近付ける。ぼんやりとした光に、凪の輪郭が柔らかく照らされている。頬のラインが以前より少しふっくらしてきている気がした。とはいえ、もともと痩せぎすだった凪にとっては標準へ近付いたというだけの話で、もっと食べさせなければいけないことには変わりない。
水の中をゆっくり漂っているだけのクラゲを、凪はじっと見つめている。半透明の体の中に、四つの輪のようなものが浮かんでいる。不規則に拍動しては水の流れに身を任せ、ふわふわと漂っている。
「……クラゲも、考えごとをするんでしょうか」
なにか面白いことでもあるのかと気になった嵐が同じように水槽を覗き込むと、凪は雫が落ちるような声でそう言った。
「どうだろうな」
嵐がそう返すと、凪はしばらく考えて言う。
「考えることも、悩むこともないなら……」
ㅤ凪が少し間を開ける。嵐が「言え」と言うと、凪は再び唇を開く。
「……少し、羨ましいです」
「……そうか」
ㅤ嵐はそう返したが、その意味までは測りかねていた。
そして凪は静かに顔を離した。
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