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爆弾│影と心音
「凪くんは妊娠しています。十八週目です」
医師に呼ばれて、診察室に入った時のことだった。
凪は着ていたパーカーを胸まで上げられ、腹にジェルを塗られていた。なんだその格好はと思ったのもつかの間、静かな診察室で、医者の声が嵐の耳朶を打った。
耳鳴りがして、世界が白く狭くなる。そんなはずがない、という自分の声が内側で聞こえた。
「まず倒れた原因ですが、鉄欠乏性貧血の疑いがあります。母体の栄養状態がかなり悪く、このままでは危険です」
その言葉を聞いて、ようやく我に返る。凪は診察ベッドで上体を起こしたままだった。嵐が凪を見ると、凪は顔を逸らす。嵐が眉を顰めたのもつかの間、凪の腹が目に入った。よく見ればわかる程度に丸みがある。痩せているのに、そこだけ違う。
「それでですが……」
医者がプローブを当てる。凪が「ん」と小さく声を出す。
「これが心臓です」
モニターを嵐の方へ傾ける。嵐はその方へ視線を移した。白黒のエコーの映像の中、それはたしかに人の形をしていた。手のような影が動く。嵐は固まる。
生きている。
「現時点では心拍も確認できています」
医者が今度はスピーカーにする。大人よりも速く、ドクドクと規則的な拍動が聞こえてくる。
無意識に一歩ベッドへと近寄り、凪の手を探す。手を握ろうとした一瞬、凪は嵐の手を避けた。嵐の指が宙を掻く。凪は俯いてこちらを見ない。凪の真意がわからないまま、嵐は再度モニターに視線を移す。
「大きな異常は今のところ見られませんが、母体の回復が必要です。今日はこのまま入院しましょう」
異常がない、と聞いて肩の力が抜ける感覚がした。医者のその提案に、「わかりました」と返事をした嵐とは裏腹に、凪は必死で首を振る。
「……っ、平気です」
「数字はそうに見えないです。入院して、点滴を行います。ご同意いただけますか?」
医者は静かに、しかししっかりとそう否定する。看護師が嵐に書類を差し出す。
「あの、個室にできますか」
名前を書く間際にそう尋ねる。病室の状況を確認した看護師は嵐に微笑みを向ける。
「はい、空きがあります」
「ではそれでお願いします」
そう言って、嵐は同意書を書く。その時、凪は久しぶりに嵐を見た。視線がかち合う。凪は目を見開いて、唇を震わせている。嵐は一瞥して、すぐに目を逸らす。見ているだけで、今この場で凪を責めてしまいそうだった。
守る側に立っていたはずだった。それでも、守れなかった気がした。
自分は凪にとって、なんのつもりだったんだ?
凪の入院手続きを終わらせ、病棟に向かう。横になった凪の腕に点滴の管が繋がっている。部屋に入ると、看護師が点滴の本数、夕食の内容、面会時間を説明してくれる。嵐は一通り環境を確認する。特に大きな問題はなさそうと判断して、嵐は一度部屋を出る。ナースステーションで担当医の予定を確認し、必要な持ち物を聞く。入院保証金や書類の不足がないかも再確認する。やることを潰す。動いていないと、どうにかなりそうだった。
ようやく、嵐は病室で凪に歩み寄る。凪はどこかぼんやりしている。そばに来ても目を合わせないままの凪に、嵐は尋ねる。
「……大丈夫か」
「平気です」
「平気なものか」
嵐は凪の顔を覗き込む。凪の喉が鳴る。嵐はさらに凪に尋ねる。空腹はないか、必要なものはないか。けれど凪の返事は「大丈夫です」「ありません」の一辺倒だった。
「あの、お仕事、は」
そしてそう恐る恐る嵐に尋ねる。嵐は「ああ」と頷いて言う。
「仕事は休みを取った」
「い、いいんですか……?」
「案ずるな。会社は俺がいなくても回る」
そう言うと、凪は不安そうな顔をしながらも目を伏せる。それからつと、凪は口を開く。
「……堕ろすのって、やっぱりお金がかかるんですよね……?」
嵐は一瞬言葉に詰まる。さっきのやり取りが、一瞬だけ頭をよぎる。だが嵐はすぐにそれを切り捨てた。
それとこれとは、話が違う。凪の懸念は違うところにあると気付いて、嵐は目を見開く。堕ろす、という言葉に口の中が妙に乾く。
「堕ろしたいのか」
もしかして、と思ったのもつかの間、思わずそう聞いていた。
「……おれじゃ、産まれてきても育てられません」
凪は視線を床に向ける。嵐は凪のその選択肢を、すぐには拒否できなかった。誰の子か、気にはなったが今は考えるべきではない。
診察室で聞いた、小さな、けれど確かな心拍音を思い出す。嵐は落ち着いた声で答える。
「……俺は、どちらでもお前を支える。金がかかるから、は理由にならない」
体を使って交渉してきた凪に、体ではなく、意思と言葉で人生を決めさせる。凪は悩むだろう。だが嵐はどんな決定であっても、凪を支えるつもりだった。優しさではない。責任だ。
そこまで言うと、凪が肩からふっと力を抜くのがわかった。目はまだ完全には上がらないが、少しだけ安心したような柔らかさがそこにあった。
「とにかく、今は安静にしろ。いいな」
凪は一瞬、動きを止めた。口を開いてはなにか言いたそうにするが、結局、なにも言わず小さく頷く。
面会時間が終了し、嵐は一人で病室を去る。車に乗り込み、エンジンをかける。
嵐は強くハンドルを握ったが、しばらくそのまま、車を出せないでいた。
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