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訣別│期限切れ
嵐は額を押さえ、ゆっくり息を吐く。けれど次の瞬間、嵐は弾かれたように顔を上げた。
「……また締め出されたか」
玄関のドアを開けて、外に出る。もしかすると鍵を忘れたまま外出しただけかもしれない。以前も似たようなことがあった。買い出しに出た凪が鍵とスマホを忘れて、何時間も部屋の外で待っていたことが。だから、きっと今回もそうだろうと思った。
嵐は探しに出る。内廊下の静かな空気が流れ込む。誰もいない。宅配ボックスの影、各階のエントランス。非常階段の踊り場。屋上はさすがに入ることはできなかった。けれど、凪の姿はどこにもなかった。
日付が変わる時間まで探し回っても、結局、凪の姿を見つけることはできなかった。
もしかしたら入れ違いで先に帰っているかもしれないという淡い期待はあったが、案の定家の中は空っぽのままだった。
ㅤ嵐はいよいよ冷静さを欠きそうになった。落ち着けと自分に言い聞かせながらソファに座る。嵐の体が沈んだ拍子に、ちょこんと置かれていたぬいぐるみが嵐の太ももに倒れてくる。凪がテレビを見ながらよく撫でていたからか、頭の部分が少しへたっている。嵐はそれを抱き寄せる。珍しく動揺している自分を落ち着かせようと嵐はテレビをつける。けれどすぐに消す。
凪は、どこだ。
行ける範囲のところはすぐに探した。腹の大きい妊夫はいないか聞いて回ったが、店員たちは首を振るばかりだった。
他に凪が行きそうな場所はどこだ。考える。だが、思い当たらない。凪は外出をほとんどしない。スーパーとクリーニング屋を行き来するだけだ。土地勘もなければ、友人もいない。
それなのに、夜になっても帰らない。
嵐はたまらず顔を覆った。
自分は、凪のことをなにも知らない。行きたい場所も。好きな場所も。逃げ込めそうな場所も。
その時、ふと視線が玄関へ向く。
靴がある。凪が普段履いていた、疲れにくさを重視したスニーカー。嵐は眉を寄せた。
凪は、なにを履いて出た。思い出そうとして、嫌な予感が背筋を這い上がる。
連れ出された、という、もっとも考えたくない可能性が頭をよぎった。嵐はすぐに否定する。証拠はない。だが、一度浮かんだ考えは消えなかった。
父親は妊娠を知っていた。万が一居場所まで知られていたら。接触したら。そう考えた瞬間、嵐は痛いほど唇を噛み締めていた。
――もしそうなら、本気で殺してしまうかもしれない。
ㅤそうするうちに朝になった。眠れなかった嵐はシャワーも浴びないで、そのまま会社に向かう。
会社では、表面上はいつものように振舞った。ただ頭の中はずっと凪のことを考えていた。メールを読んでるのに内容が入らず目が滑る。三浦に話しかけられて、一瞬止まる。資料の数字を見間違える。そんなミスの連続だった。けれど嵐は止まらなかった。仕事をしている方が、まだ正気を保てる気がした。
ㅤ嵐はメールの送信ボタンを押す。しばらくして、取引先から電話が掛かってくる。
「お世話になっております、黒川商事の黒川です」
『あっどうもー担当の林田です。一点確認なんですが、さっきいただいたメールに資料が添付されてなくて……お手隙の際にご確認いただけますか?』
「……っ、失礼しました。早急に手配致します、申し訳ありません」
『あっいえいえー、それでは』
嵐は電話を置く。メールを開き直し、画面を見つめる。その時ふっと我に返る。……まさか、この俺が?
嵐はエナジードリンクを一口飲み、改めて資料を添付して送り直す。ふと何気なく顔を上げると、三浦や他の社員がぽかんと口を開けてこちらを見ていることに気付いた。嵐は手を止める。そして口を開きかけるが、すぐにかぶりを振った。違う。やはり、手が付かない。
「……すまない。今日は早退する。体調が優れない。あとはメールで報告してくれ」
嵐は残っていたエナジードリンクを飲み干し、タイムカードの退勤ボタンを押す。早退申請を出してから時計を見ると、時刻は昼近くだった。
家に着く。凪はまだ帰ってきていない。
漠然とした不安をどうにか収めながら、嵐は冷蔵庫を開ける。帰る途中で買ってきたエナジードリンクと完全栄養食を入れようとした時、嵐は冷蔵庫になにかあることに気付いた。
「ん……?」
なにか茶色いものが、四角いタッパーの中に入っている。嵐が作った覚えのないものだ。取り出すと、奥にもう一つ、小さな白い箱を見つけた。嵐は息を吸い、ゆっくりとそれらを取り出す。片手で取り出せる見覚えのない箱には、近所の洋菓子店のシールが貼られていた。
ㅤ中を開けると、タッパーの中にはサバ味噌が、白い箱の方にはショートケーキが向かい合わせに二つ、綺麗に収まっている。消費期限は昨日の日付になっていた。なぜ、と思った矢先に、ふと嵐は思い出す。
……昨日は、自分の誕生日だった。
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