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訣別│外された首輪
「あ……」
その瞬間、嵐は凪との朝の会話を鮮明に思い出す。仕事に行く前、嵐が何時に帰ってくるか、凪は気にしていた。
気付いた時、嵐は膝から崩れ落ちそうになった。けれどすぐに思い直す。やはり、嵐が帰ってくるまでに、きっとなにかあったはずだ。
もう一度、当たれるところは全部当たろう。嵐はそう考えて、シャワーを浴びて着替えようと脱衣所に向かう。
その時、洗濯物カゴの中に凪の服が紛れていることに気が付いた。凪が昨日の朝の時点で着ていた服だ。
なぜそれがそこに置いてあるのか、数秒考える。凪が着替えたのか。……なら、どんな格好で外に出た。それがわかれば、少なくとも捜索の役に立つはずだ。
嵐はクローゼットを開ける。凪に買ってやった服はそれほど多くない。それを思い出しながら、嵐は中を漁る。ふと、嵐の手が奥にあった紙袋を掴んだ。
「なんだ……?」
紙袋の中は空だった。なぜこんなものがここにと思った途端、そこに入っていたものを思い出す。それが嵐の中で符号する。
――ない。凪が家に来た時に着ていた、毛玉だらけの汚いセーターと、穴のあいたズボンだけがなかった。洗濯したあとで結局着ることもなく、クローゼットの中にずっとしまっていた。
ㅤまさか、あれに着替えたのか。
嵐の中で、凪の着ていたものがわかった一方、それに着替える理由がわからなくて、余計に混乱した。
袋を戻そうと奥に手を伸ばした時、嵐はさらに、クローゼットの隅に置かれていた、黒いベルベットの小箱を見付けた。影に紛れるようにして隠れていたそれに気付いた嵐は、なんだこれは、と考えるより先に手が動いていた。
ㅤ黒い革の、シンプルな首輪だった。嵐が百貨店で買って、凪に贈ったものだ。
なんでこれが、わざわざ箱に。
「……なぎ」
思わず名前を呼び、首輪の縁を指で撫でる。黒い革は柔らかく、内側に残る微かな体温の気配だけが、そこにいた証だった。
凪が倒れて入院した時の病院にも、定期健診で通っている病院にも電話をした。白瀬凪という患者はいないか、倒れて搬送されていないか。けれど病院は「個人情報のためお答えできません」の一点張りだった。
「ご家族の方ですか?」
ㅤその問いに、嵐は答えられなかった。
警察にも足を運んだ。
「恋人ですか? 番?」
「……いいえ。ただの同居人です」
嵐の言葉に、警官は怪訝な顔をした。一通り話しを聞いてはくれたが、どこか深刻に捉えていない表情に、嵐は自分が空回りしているだけのように感じて仕方がなかった。
「……単なる家出じゃなさそうですね。成人なので、本人の意思で出ていった可能性もあります」
ㅤ……そう言われた時、嵐の頭はすっと冷えた。
「捜索は、していただけるんですか」
ㅤそれでもそうどうにか絞り出すと、警官は神妙な顔で頷く。
「行方不明届けは受理します。見つかったら連絡しますが、本人が望んでいない場合はお教えできません」
「……わかりました。よろしくお願いします」
書類を手早く書き、警官はそれを受け取る。一筋の希望が見えた気がしたが、「本人が望んでいない場合」という言葉が重くのしかかった。
もし凪が、嵐との生活を望んでいなかったなら。
警察署を後にした嵐は、歩みを止める。
ㅤそもそも出て行くなら、一言あってもいいはずだ。なぜ、なにも言わないで出て行く。熱いなにかが腹の底から沸き起こる。舌打ちしそうになったが、すぐに、言えなかった、言えないなにかがあったのだろうと思い直す。妊娠していた時も、そうだった。
もし凪が自分の意思で出て行ったなら、きっかけはなんだ。
嫌気が差したのか。それとも、自分に迷惑をかけると思ったのか。
だが凪には婚約解消のことは話していない。誰かが教えない限りは、凪は知らないはずだ。
「……まさか」
胸騒ぎがして、嵐はプライベート用のスマホを開く。メッセージアプリに新着通知が一件入っている。送り主は明日香からだった。
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