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訣別│ハッピーバースデー

 嵐が会社についた時、三浦は珍しく嵐よりも早めに来ていた。というより、嵐の方がぎりぎりだった。三浦は驚いた顔をしていた。 「どうしたんスか?」 「……ああ、いや」  うまく受け止めきれずに生返事になる。流石の三浦も、心配するような面持ちで嵐を見る。 「主任、最近変すよ? なんかあったんすか?」  そう尋ねられて、嵐は説明するかどうか逡巡した。けれど自分の力だけでは足りない。そう思った嵐は、やっとの思いで唇を開いた。 「いなくなった同居人を探している。……凪という、十八のオメガだ」 「十八? 主任って明日香さんと婚約解消してから随分遊んで……あ、いや、でも、それぐらいだったら自分でなんとかなるんじゃないすか?」 「……凪は妊娠している」  そう言うと、三浦が驚いたように口を抑えた。 「しゅ、主任の子なんすか?」  嵐は答えない。三浦は珍しく眉間に皺を寄せる。しばらくして、三浦が「あ」と声を上げる。 「明日香さんとの縁談を断ったのって、もしかしてその子のために……?ㅤあ、明日香さんってホテルタチバナのご令嬢でしょ。そんなに、オメガの子が大事なんです?」 「ああ」 「……好きなんすか?」 「ああ」  嵐は返事に迷わなかった。三浦は黙る。なにがどうなっているのか、整理できたらしい三浦はそれでも口を開く。 「……でも、それ、嵐さんになんのメリットが――」 「メリット?」  嵐は言葉に詰まる。損得かどうかで凪を見たことがなかった嵐にとって、思ってもみない言葉だった。 「だって、そうじゃないすか。婚約解消しなくたって、アルファならオメガを囲って、好きな時に呼んで――」 「……っ、違う。凪はそういう相手じゃない!」  まるでペットみたいな三浦の物言いに、嵐はデスクを強く叩いていた。並んでいたファイルが崩れ、三浦はびくっと肩を竦める。その姿が凪と重なって、嵐の胸には一気に罪悪感が沸き起こる。それと同時に、自分がなぜこんなにも怒り、動揺しているのかもわからなかった。 「……すまない。少し、外の空気を吸ってくる」  じんと痛む拳を抑え、嵐はオフィスの廊下へと出る。誰もなにも言わない。 「主任。……大丈夫ですか?」  嵐を追いかけて、そう声を掛けたのはオメガの新人だった。先日まで発情期で会社を休んでいた彼は、すっと無糖の缶コーヒーを差し出してくる。 「よければこれ……どうぞ」 ㅤ普段なら気にするなと一刀両断するところだったが、嵐は静かにそれを受け取った。 「……悪い。気を遣わせたな」 「いえ。主任のお話、聞いてました。心配ですよね。……その人の写真って、ありますか?」 「……この子だ」  嵐は写真を、彼のチャットアカウントに送る。通知を確認して、彼は頷いた。 「わかりました。僕も、見かけたらすぐに連絡しますね。いつも迷惑ばかりかけてしまって、すみません」 「いや、いい。……俺の方こそ、すまない」 ㅤそう言うと、新人のオメガはぺこりと頭を下げ、それから自分のデスクに戻って行った。  夜、嵐はぼんやりとソファに腰掛けたまま、食事を摂る気にも、眠る気にもなれなかった。 ㅤこの時間は、いつもなら凪が勉強をしていた時間だった。わからないところがあった時には凪が振り向いて、「嵐さん」と呼んでいた。  もう、あの声は聞こえない。嵐は静かに鼻を啜った。  ……凪は、どうしていなくなったのだろう。もしかすると勉強していたのも、本当は嫌だったんだろうか。押し付けていたんじゃないだろうか。  凪がなにを考えていたのか、わからなくて戸惑う。今までなら、それでよかった。正しいことをすれば、それが正解だった。けれど凪にはそれが当てはまらない。けれど分からないままなのは嫌だった。  嵐は書斎から、凪の教科書とノートを引っ張り出す。あの子がなにを考えていたのか、少しでも知りたかった。  そんなことを考えながら凪のノートを開いた時、足元に折り畳まれた紙が落ちた。なんだろうと思った嵐は何気なくそれを拾い、広げる。 「Happy Birthday Mr.Arashi」  嵐が静かに息を吸う。次に吐き出した息は、震えていた。  凪の字だった。何度も書き直した形跡が見える。字は前よりも丁寧で、バランスも整っていた。  嵐は凪がいなくなった日のことを思い出す。凪は「何時に帰ってきますか」と気にしていた。中途半端に途切れた、誕生日の記憶が蘇る。凪はどんな気持ちで、これを書いていたのだろうか。 「……ちゃんと、書けてるじゃないか」  そう零した独り言は、頼りなくて、掠れていた。

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