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あたたかい場所│春の夜のお迎え

 そのままベンチの上でうとうとしていると、足音が近くで止まった。人の気配を感じた。危険な足音ではないと判断した凪は目を開けないまま、ベンチの上でじっとしていた。 「――アンタ、そんなとこでなにしてるんだい」  やがてそんな声が聞こえて、凪は目を開けた。  見ると、さっきの旅館の女将がいた。コンビニの袋を持っていて、睨むような目で凪を見ている。ついさっきまでの優しそうな愛想の良い女将のその鋭い声に少し驚きながらも、凪はふらふらと体を起こした。ここでは迷惑だったか。 「すみません」  凪が立ち去ろうとすると、女将が立ち塞がる。 「待ちな。なんで若い妊夫がそんなとこで寝てるんだい」 「……寝る場所が、なくて」  俯きながらも凪がそう答えると、女将はため息をつく。 「行くあては……あったらこんなとこにいないか」  彼女は凪を見つめてそう言った。居心地の悪さに、どうしたらいいのかわからない。ここで寝るのが迷惑なら、場所を変えるしかない。 「あの、おれ――」  もう行きます、と声にしようとしその時だった。 「アンタ、掃除と料理は? 洗濯は? できるんかえ」  ふと、女将はそんなことを聞いていた。 「で、出来ます」  咄嗟にそう答えると、女将はフンと鼻を鳴らす。 「じゃあうちに来て手伝いな。仕事、探してるんだろ」  凪は一瞬、意味が分からなかった。瞬きをしているあいだに、女将はもう歩き出していた。 「はよ。そんなとこで寝たら風邪ひくよ。……あーもう、ナツキのアイス溶けるわ」 「は、はい」  凪はベンチから立ち上がり、それから慌てて女将のあとを追いかけた。  少し前に温泉に入った旅館に戻る。女将は受付のすぐ横にある、従業員用、と書いてある暖簾をくぐる。凪は意を決して、女将のあとについて暖簾をくぐった。  通されたのは、布団が何組も畳まれて部屋の隅に積まれているだけの、客室ではない和室だった。 「あ、あの……おれ、なにしたらいいですか」  女将は一度、凪の腹をちらりと見た。 「今日はもうアンタの仕事はないよ。ほら、ここで布団敷いて寝な」  凪の見ている前で、女将は布団を整えてくれる。凪が自分でやろうと手を伸ばそうとしたが、干渉する隙もなかった。 「あ……ありがとうございます」 「明日から働いてもらうよ」 「わかりました」  そう言って、女将は部屋から出て行く。凪はしばらく布団を見つめていたが、やがてそっと布団の中に横になった。そのまま目を閉じる。全然知らない、他人の家のにおいがする。  布団の中はあたたかくて、よく眠れた。

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