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あたたかい場所│知らない世界
春休みでずっと実家にいる夏樹は、凪と一緒に旅館の掃除や炊事をした。たまに地元の友達と遊びに行って不在の時は凪は一人で作業したが、帰ってきた夏樹はお菓子を分けてくれたり、写真を見せてくれたりした。夜は時々、別府に住んでいる彼女と長電話をして女将に怒られていた。
賑やかだった。
数日しても、凪は追い出されなかった。
「そうや。夏樹、あん子にこのへん紹介しに連れてき。やることないんやろ」
「うぇー?」
女将の言葉に、夏樹が大義そうに体を起こす。大丈夫です、と言おうとしたが、夏樹はスマホと財布を上着のポケットに詰め、それから凪に向かって言った。
「しゃーねーな。ちょっと来いなぎっち。あっこれ、俺の上着な」
渡された夏樹のスカジャンには虎の顔が刺繍されていた。凪がおそるおそる羽織っていると、夏樹は女将の元へ向かい、「ん」と手を差し出す。
「なんだい」
「母ちゃん、ちょい金」
手を止めた女将はため息をついて、それから凪を見て財布を開いた。
「無駄遣いするんじゃないよ」
「うへへ。母ちゃんありがとー」
凪は夏樹の後についていく。町を一周しながら、夏樹はこの由布院の街を説明してくれる。
「ここ土産屋」「ここ足湯」「ここコンビニ」「ここ郵便局」「ここ駅」
夏樹の説明はシンプルで短くて、覚えやすかった。
駅まで行ってまた旅館に戻る道中、観光客の多い通りの中でふと夏樹が聞いてくる。
「そーいや、温泉まんじゅう食った? 足湯は?」
「食べた。入った」
「めっちゃ満喫してるじゃん。アイスは?」
凪は首を振る。夏樹は足を止め、にやりと笑ったかと思うと足早に走り出した。少し道の先にあった看板を指差して、追い付いた凪が覗き込む。見るとアイスのメニューが並んでいた。
「ここのミルクアイス、めっちゃうめえの。あとミルクプリンも有名。次はそっちも食べようぜ。うわーなぎっちにいろいろ食わせてー」
アイス。プリン。想像して、凪は唾を飲む。
「母ちゃんからもらった小遣いあるし、気にせんで好きなモン頼んでいーよ」
「で、でも」
「つーかこれ、なぎっちの給料みたいなモンだし。だから遠慮すんなって」
「……給料」
凪はぱちぱちと瞬きをした。本当に買ってもらってもいいか悩んでいる合間に、夏樹はさっさと店に向かっていた。
窓口でアイスを受け取って、二人でベンチに座って食べる。濃厚なミルクの風味に、凪は目を見開いた。
「……甘い」
「そりゃアイスだしな。美味いだろー」
夏樹が自慢げな顔をする。凪はもう一口食べた。
……嵐も、同じアイスを食べるだろうか。ふとそう思う。たまに食事をしている時、自分をじっと見ていることがあった。もし今ここにいたら、同じようにこちらを見るのだろうか。
――なんだ。
そう言いそうな顔が浮かんで、凪は慌てて首を振った。
そんなことを考えていると、夏樹は「そうだ」と言ってポケットからスマホを取り出した。
「せっかくだしなぎっち、俺と動画撮ろうぜ」
「動画?」
「おう。Tiktakに上げて大バズりするぞ」
「てぃっく……バズ……?」
夏樹は動きを止めた。
「知らんの? 東京の子なのに?」
凪は固まる。気まずくて顔を逸らしていると、夏樹がぽつりと言う。
「……お坊ちゃん?」
「えっ」
予想もしてなかった言葉に、凪は思わず夏樹の顔を見る。
「なんか、世間知らずっていうか。そんな感じする」
凪はさっきよりも強く、ぶるぶると首を振る。
「ちがう、ちがう」
「そうなん?」
「ぜんぜん」
「ふーん。まあいいや、撮ろうぜ」
そう言って、夏樹は内カメラにしたスマホを凪の前に持ってくる。凪はどこを見たらいいかわからなくて戸惑っていたが、夏樹は気にせずに録画ボタンを押す。
「佐倉旅館で働くことになった、新人のなぎっちでーす! いぇーい!」
誰かに向けたビデオレターみたいな内容に、凪は急に不安になる。
「そ、それ、誰かに見せる?」
夏樹が動画撮影を止めて、凪を見る。
「誰かっていうほどでもないけど……バズったら有名人。いろんな人が見る」
「なら、おれの顔、隠して」
「なんで?」
凪は俯く。夏樹にどう言えば伝わるだろうか。凪は上手く言えないでいると、なにか察したのか夏樹はスマホを静かに下げた。
「……わかった」
夏樹は諦め、ベンチから立ち上がり、少し離れたところで一人で動画を撮り始めた。凪は食べ終えたアイスのスリーブを、くしゃりと握り締めた。
「つーかなぎっち、ここ来て温泉街しか見てねぇだろ。夜はつまんねぇぞ。カラオケもゲーセンも映画館も、スタバもないし。今度別府まで連れてこうか?」
凪はふるふると首を振る。
「ふーん。気が向いたら言えよな、一緒に遊ぼうぜ」
夏樹のその提案に、凪は曖昧に頷いた。
帰り道、凪はずっと向こうにある山を指差して言う。
「……あれ、富士山?」
「ちがうちがう、由布岳。……まあ俺もガキの時、電波塔のこと東京タワーって言ってたけど。やっぱ、なぎっちってお坊ちゃんだろ?」
凪はまたぶるぶると首を振る。しばらくして、凪はあっと声を上げ、それから再度由布岳を指差す。以前、教えてもらった発音を思い出して言う。
「マウント、ゆふ?」
「そうだけど……なんで英語?」
夏樹が少し困った顔をする。
凪は答えられなかった。
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