55 / 91

あたたかい場所│三色オムライス

「夕飯、なにがええかねぇ」  その日、仕込みをしながら女将がそう呟く。夏樹は間髪入れずに手を挙げた。 「はーい俺オムライス〜」 「アンタには聞いちょらん」 「ひどっ!?」  夏樹が大袈裟に胸を押さえる横で、凪は思わず小さく笑う。女将は凪を見る。 「アンタは?」 「え」  急に振られて固まる。なにが食べたいか。そんなこと、あまり考えたことがなかった。しばらく黙り込んでいると、夏樹が横から口を挟む。 「ほら、なんでも言ってみ」  凪は少し迷ったあと、小さく口を開いた。 「……オムライス」 「ん?」 「おれも、食べてみたいです」  一瞬、台所が静かになる。夏樹がぱちぱちと瞬きをした。 「え、なぎっちオムライス食ったことねぇの?」  凪は気まずそうに目を逸らす。 「……多分」 「多分ってなんや」  女将が呆れたように笑った。 「じゃあ、オムライスにするかね。アンタらも手伝い」 「やったー! 俺味見係〜」 「アンタは三倍働き」 「理不尽!」  そうして三人で夕飯の準備が始まった。  夏樹は卵担当だった。凪はきのこを切ったり、野菜を刻んだりする。その横で、女将は慣れた手付きで鍋をいくつも火に掛けていた。  しばらくして、台所の作業台に三つの鍋が並ぶ。  トマトソース、デミグラスソース、きのこのクリームソース。  湯気と一緒に香りが広がる。凪は思わず目を見開いた。 「うちは好きなソースかけてってスタイルなんだ。味変できるし、お客さんからも好評でさー」 「……すごい」  女将に尊敬と憧れの眼差しを向けると、女将が胸を張る。明らかに得意げだった。凪は鍋を覗き込みながら、ぽつりと呟く。 「同じオムライスでも、こんなに種類があるんですね」 「そうよ。料理は面白いんよ」  女将がそう言う。凪はしばらく鍋を見つめていたが、やがて顔を上げた。 「あ、あの……もっと、いろんな料理のレシピ、教えてもらえますか」  その言葉に、女将と夏樹が同時に目を丸くした。  女将は少しだけ笑って、「ほう」と言った。 「食べさせたい人でもおるんかえ?」  その瞬間、凪の手が止まる。 「え」 「お弁当作りたいとか、そういうやつやろ?」 「ち、違います」  反射的に否定する。 「別に、そういうわけじゃ……」  けれど徐々に声が小さくなる。女将はにやにやしているし、夏樹は完全に面白がっていた。 「なぎっち、好きな人おるん?」 「いません」 「即答やん」 「いません」  さっきより強い。でも耳が熱い。多分、赤くなってる。女将は吹き出した。 「はいはい」  そう言って鍋をかき混ぜる。凪は俯いたまま、切ったきのこを必要以上に丁寧に並べ直した。頭の中に浮かんだ顔を、必死に追い払うみたいに。  完成したオムライスを食べながら、夏樹が満足そうに息を吐く。 「やっぱ母ちゃんのオムライスうめー」 「毎週食べとるやろ」 「だからうめーんじゃん」  女将が呆れた顔をする。向かいでクリームソースのオムライスを食べていた凪は、二人のやり取りをぼんやり見ていた。夏樹はトマトソースを追加でかけながら言う。 「昔は父ちゃんの好物だったんだよな〜。父ちゃんも食えばいいのに」  凪の手が止まる。そういえば、しばらくこの旅館で過ごしていて、彼の父親の姿だけない。 「……夏樹のお父さんって、今、離れて暮らしてるの?」 「え? あ、言ってなかったっけ」  夏樹はスプーンをくるくる回した。 「俺が小さい頃に死んだ。病気で」  あまりにもあっさり言うので、凪は反応に困った。聞かなければよかった、とも思った。 「……そう、なんだ」 「ほとんど覚えてねえけどな。五歳の時とかだし」  夏樹は笑うが、片頬は持ち上がっていなかった。  女将はなにも言わず茶を飲んでいた。慣れた話題なのだろう。凪だけが少し居心地悪そうに俯く。 「ごめん」 「なんで?」  夏樹は首を傾げる。けろっとした顔だった。 「別に暗い話じゃねーだろ。母ちゃんもばあちゃんも、姉ちゃんもいたしな」  そう言って笑う。凪は二人を見る。  女将と祖母と、それから夏樹。三人とも普通に食事をしている。  誰も可哀想な顔をしていない。 「寂しく、なかった?」  気付けば聞いていた。夏樹は少し考える。そしてスプーンを咥えながら言った。 「んー、別に? でも、いたら楽しかったかな、とは思う」  その言葉に、凪は顔を上げた。 「運動会とか授業参観とかさ。友達ん家の父ちゃん見てると、あーこういう感じなんかなーって。知らんけど」  ふにゃ、と夏樹が笑って、今度は女将を指差す。 「でも別に不幸じゃなかったぞ。母ちゃん強ぇし」 「誰がゴリラや」 「言ってねぇよ」  すぐに頭を叩かれていた。凪は小さく笑う。  家族って、きっとこういうものなんだろうか。  ふとそう思った。父親がいなくても、お金がなくても、それでも笑っている家族がある。  凪は無意識に、自分の腹をそっと撫でた。

ともだちにシェアしよう!