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あたたかい場所│三色オムライス
「夕飯、なにがええかねぇ」
その日、仕込みをしながら女将がそう呟く。夏樹は間髪入れずに手を挙げた。
「はーい俺オムライス〜」
「アンタには聞いちょらん」
「ひどっ!?」
夏樹が大袈裟に胸を押さえる横で、凪は思わず小さく笑う。女将は凪を見る。
「アンタは?」
「え」
急に振られて固まる。なにが食べたいか。そんなこと、あまり考えたことがなかった。しばらく黙り込んでいると、夏樹が横から口を挟む。
「ほら、なんでも言ってみ」
凪は少し迷ったあと、小さく口を開いた。
「……オムライス」
「ん?」
「おれも、食べてみたいです」
一瞬、台所が静かになる。夏樹がぱちぱちと瞬きをした。
「え、なぎっちオムライス食ったことねぇの?」
凪は気まずそうに目を逸らす。
「……多分」
「多分ってなんや」
女将が呆れたように笑った。
「じゃあ、オムライスにするかね。アンタらも手伝い」
「やったー! 俺味見係〜」
「アンタは三倍働き」
「理不尽!」
そうして三人で夕飯の準備が始まった。
夏樹は卵担当だった。凪はきのこを切ったり、野菜を刻んだりする。その横で、女将は慣れた手付きで鍋をいくつも火に掛けていた。
しばらくして、台所の作業台に三つの鍋が並ぶ。
トマトソース、デミグラスソース、きのこのクリームソース。
湯気と一緒に香りが広がる。凪は思わず目を見開いた。
「うちは好きなソースかけてってスタイルなんだ。味変できるし、お客さんからも好評でさー」
「……すごい」
女将に尊敬と憧れの眼差しを向けると、女将が胸を張る。明らかに得意げだった。凪は鍋を覗き込みながら、ぽつりと呟く。
「同じオムライスでも、こんなに種類があるんですね」
「そうよ。料理は面白いんよ」
女将がそう言う。凪はしばらく鍋を見つめていたが、やがて顔を上げた。
「あ、あの……もっと、いろんな料理のレシピ、教えてもらえますか」
その言葉に、女将と夏樹が同時に目を丸くした。
女将は少しだけ笑って、「ほう」と言った。
「食べさせたい人でもおるんかえ?」
その瞬間、凪の手が止まる。
「え」
「お弁当作りたいとか、そういうやつやろ?」
「ち、違います」
反射的に否定する。
「別に、そういうわけじゃ……」
けれど徐々に声が小さくなる。女将はにやにやしているし、夏樹は完全に面白がっていた。
「なぎっち、好きな人おるん?」
「いません」
「即答やん」
「いません」
さっきより強い。でも耳が熱い。多分、赤くなってる。女将は吹き出した。
「はいはい」
そう言って鍋をかき混ぜる。凪は俯いたまま、切ったきのこを必要以上に丁寧に並べ直した。頭の中に浮かんだ顔を、必死に追い払うみたいに。
完成したオムライスを食べながら、夏樹が満足そうに息を吐く。
「やっぱ母ちゃんのオムライスうめー」
「毎週食べとるやろ」
「だからうめーんじゃん」
女将が呆れた顔をする。向かいでクリームソースのオムライスを食べていた凪は、二人のやり取りをぼんやり見ていた。夏樹はトマトソースを追加でかけながら言う。
「昔は父ちゃんの好物だったんだよな〜。父ちゃんも食えばいいのに」
凪の手が止まる。そういえば、しばらくこの旅館で過ごしていて、彼の父親の姿だけない。
「……夏樹のお父さんって、今、離れて暮らしてるの?」
「え? あ、言ってなかったっけ」
夏樹はスプーンをくるくる回した。
「俺が小さい頃に死んだ。病気で」
あまりにもあっさり言うので、凪は反応に困った。聞かなければよかった、とも思った。
「……そう、なんだ」
「ほとんど覚えてねえけどな。五歳の時とかだし」
夏樹は笑うが、片頬は持ち上がっていなかった。
女将はなにも言わず茶を飲んでいた。慣れた話題なのだろう。凪だけが少し居心地悪そうに俯く。
「ごめん」
「なんで?」
夏樹は首を傾げる。けろっとした顔だった。
「別に暗い話じゃねーだろ。母ちゃんもばあちゃんも、姉ちゃんもいたしな」
そう言って笑う。凪は二人を見る。
女将と祖母と、それから夏樹。三人とも普通に食事をしている。
誰も可哀想な顔をしていない。
「寂しく、なかった?」
気付けば聞いていた。夏樹は少し考える。そしてスプーンを咥えながら言った。
「んー、別に? でも、いたら楽しかったかな、とは思う」
その言葉に、凪は顔を上げた。
「運動会とか授業参観とかさ。友達ん家の父ちゃん見てると、あーこういう感じなんかなーって。知らんけど」
ふにゃ、と夏樹が笑って、今度は女将を指差す。
「でも別に不幸じゃなかったぞ。母ちゃん強ぇし」
「誰がゴリラや」
「言ってねぇよ」
すぐに頭を叩かれていた。凪は小さく笑う。
家族って、きっとこういうものなんだろうか。
ふとそう思った。父親がいなくても、お金がなくても、それでも笑っている家族がある。
凪は無意識に、自分の腹をそっと撫でた。
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