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再会│家族

 ◇ ◆ ◇  由布院と聞いて、嵐はなぜ凪がそこにいたのか、考えても答えは出なかった。ただ凪は、あたたかいものや、柔らかいものが好きだった。嵐は新幹線の中で頭を窓際に預けながら、そんなことを考えていた。  金はどこで用意したのか、なにを食べたのか。一人で乗れたのか、怖くはなかったか。  いろんなことが、寝不足で重くなった頭の中を駆け巡る。  あの時の凪ならどう動くか、なにを考えていたのかを想像しながら、嵐はスマホを開く。  明日香から動画の情報を聞いてすぐに、嵐は入れたことのないアプリをインストールし、急いでアカウントを作ってあの金髪の青年の動画に立て続けにコメントを送ってみたが、なぜかすぐにブロックされていた。アカウントを作り直しても同じことの繰り返しだった。何度かそうしているうちに、とうとう相手のアカウントは削除されてしまった。明日香からは「なにやってるのよ!」と叱責された。  それでも、消される前に彼女は旅館の特定までしていた。あのアカウントは、どうやら旅館のPRもしていたらしい。だが、その動画以外で凪らしき人が映っている様子はなかった。根拠にしては薄すぎる。そもそも、あれは本当に凪なのか。もし違う人間だったら、どうする。拭い切れない不安を抱えて、嵐は由布院へと辿り着いた。  駅前の通りに立ち、手に持った写真を軽く握り直す。印刷された凪の顔は、拡大しているせいで画像も粗い。それでも、これしか手掛かりがなかった。  調べると、どうやらここにはたしかに佐倉旅館という建物があるらしい。辿り着いた先には、こぢんまりとした木造の建物があった。  軒先にかかった暖簾が、昼間の柔らかい風に揺れている。外に出た看板には佐倉旅館、と書かれていた。嵐はその場で足を止め、メモした内容と見比べていた。  もしかしたら、凪がここにいる。  そう思った瞬間、今まで繋ぎ止めていたものが一気にほどけそうになる。喉がひどく乾いて、息がうまく吸えなかった。  ポケットの中の写真を指先で押さえる。紙の感触が、かろうじて現実に引き戻す。……行かなければ。  そう思うのに、足が前に出なかった。  もし違ったら。もしもういなかったら。もし――ここにいても、会えなかったら。  考えたところで、なにも変わらない。  自分で自分にそう言い聞かせて、嵐は扉を開けた。 「すみません」  声が掠れる。思ったよりも低くて、わずかに震えていた。  中にいた女将が顔を上げる。「いらっしゃいませ」と愛想のいい笑顔で出迎えてくれる。嵐は一歩踏み込んで、それから言葉を探きした。  なにをどう言えばいいのか、わからなかった。一瞬の逡巡のあと、嵐はポケットから写真を取り出した。 「……ここに、凪という子がいませんか」  差し出した手が、わずかに震えている。  女将の笑顔が一瞬で消え、写真を見る。女将はすぐには答えなかった。嵐はそのあいだに、視線を逸らさずに続けた。 「俺の……家族なんです」  言い切ったあとで、わずかに息が詰まる。嘘ではない。いつからそうなったのかはわからない。けれど凪がいなくなってから、自分が探していたものを思えば、それ以外の言葉は出てこなかった。  女将はゆっくりと顔を上げ、嵐を一度、頭の先から足元まで見る。それから、静かに言った。 「うちには、そんな子いないよ」  嵐は一瞬、なにも言えなかった。けれど一瞬、写真から視線が外れたのを嵐は見ていた。 「……そうですか」  短く返す。それから、もう一度だけ口を開く。 「今晩、ここに泊まることはできますか」  女将の目が、ほんのわずかに細くなる。 「生憎、予約でいっぱいでね」  間髪入れずに返ってくる。それを聞いて、嵐は小さく頷いた。 「……わかりました。お時間取らせてしまい、すみません」  それだけを言って、頭を下げた嵐は外に出る。外の空気が、やけに冷たく感じた。  旅館から出ても、しばらくのあいだ嵐は旅館の入口をじっと見ていた。足早に去る。  凪はきっと、ここにいる。  翌朝、嵐は同じ道をもう一度歩いていた。  昨日と同じはずの通りなのに、景色の色が薄い。ほとんど眠れていない頭で、同じ場所をなぞるように進む。  足は止まらなかった。止める理由が、もうなかった。  佐倉旅館の暖簾が見える。昨日と同じ場所で、一瞬だけ足が緩む。だがそのまま歩みを止めず、嵐は入口の前で止まると、そのまま手をかけた。  今度は、躊躇わなかった。 「……すみません」  昨日よりも低い声が出た。だが掠れは消えていない。  女将が顔を上げる。嵐を見る目が、ほんのわずかに変わる。 「昨日の人かい」  短くそう言われて、嵐は頷いた。 「……もう一度、聞かせてください」  言葉は整っていなかった。それでも、嵐はそのまま続ける。 「凪という子が、ここにいませんか」  昨日と同じ問いを、再度女将に投げかける。けれど、声の奥にあるものは違っていた。  女将はすぐには答えない。嵐を見て、それから少しだけ視線を外した。その隙を見て、嵐はもう一歩カウンターへと踏み込む。 「ここまで来て、いないとは思えなくて」  断定ではない。けれど、引く気はなかった。女将の眉が、わずかに動く。 「しつこいね」 「ええ」  否定はしなかった。嵐はポケットの中で、写真を握りしめる。 「……あの子がここにいるなら、一度でいい。顔を見せてほしいんです」  抑えきれなかった感情を滲ませて、嵐はそう懇願していた。女将はそれを聞いて、ふっと息をつく。 「……アンタ、そん子になにしたん」  その問いに、嵐は一瞬だけ目を閉じる。「なにもしていない」と言いかけて、すぐに違うと気付いた。 「なにも、できませんでした」  それが一番、近かった。  女将はじっと嵐を見る。測るように、値踏みするように。やがて、彼女は小さく首を振った。 「帰りな。迷惑だよ」  静かに言われる。しかし嵐は動かなかった。 「帰れません。ここにいるなら、見つけるまで探します」  それは脅しでも宣言でもなく、ただの事実だった。女将はあからさまに顔を顰める。 「……また来ます」  やがて嵐は頭を下げると、そのまま踵を返した。引き下がったが、折れたわけではない。今度は振り返る。暖簾の向こうを一瞬だけ見て、外に出る。  通りに出たあと、嵐は立ち止まらずに歩いた。

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