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再会│二人で

 目が覚めると、あたりは日が暮れ掛けていた。一体どれぐらい眠っていたのだろう。身体を起こすと、いつのまにか体に布団が掛けてあった。  嵐が下に降りて行くと、凪が「あ」と声をあげる。目が合って瞬きをすると、嵐の起床に気付いた女将は、手伝いをしていた凪に向かって言った。 「もう今日はいいから、行きな」 「でも……」 「いいから。……ほら、小遣い」  女将がそう言って、凪に千円札をバン、と渡す。凪は少し躊躇ったあと、差し出されたそれを受け取った。 「……ありがとうございます」  女将はふん、と鼻を鳴らしてひらひらと手を振った。 「暗くなる前に戻るんだよ」  凪は頷いて、それから嵐の方を見る。 「嵐さん、少し……外、歩きませんか」 「ああ」  嵐は短く答えた。  二人で旅館を出ると、外の空気は昼間より少し冷えていた。通りには明かりが灯り始めていて、昼とは違う柔らかい賑わいがあった。しばらく並んで歩く。 「……これまで、どうしていた。どうやってここまで来た」  嵐は凪に尋ねると、凪はぽつりぽつりと話を続ける。由布院へ来た日のこと。働き始めた店のこと。夏樹や、世話になった女将や、町の人たちのこと。凪はそれらを、穏やかな口調で話してくれる。けれどその中には、嵐の知らない時間が確かに流れていた。  嵐にとっての二ヶ月は、あっという間だった。だが、凪の口から語られるそれは妙に遠い。自分の知らない景色の中で、凪は朝を迎え、飯を食い、人と話し、笑っていたのだろう。その一つ一つを思い浮かべるたび、胸の奥に小さな棘が残る。  理由はわからなかった。  ただ、自分の知らない場所で積み重ねられた時間が、妙に気に掛かった。 「嵐さん」  やがて凪が足を止める。 「あの……ここの温泉まんじゅう、美味しいです」 「は?」  凪が看板を指を差して言う。 「ここへ来て、温泉まんじゅう、食べました。足湯にも、入りました。嵐さんは、なにか……食べましたか」 「いや」  嵐は短くそう答えた。とても観光どころではなかったから、まだ凪の言うそれらを、嵐は知らなかった。 「ここ、美味しいものが、いろいろあって」  そう言って、凪は今度は通り全体を指す。嵐はその横顔を一瞬だけ見て、それから頷いた。 「……なら、案内してくれ」  そう言うと、凪の表情が少しだけ和らぐ。二人で温泉まんじゅう屋に並ぶ。凪はポケットから千円札を迷わず差し出した。二つ買ってきてくれる。嵐がそれを食べて、一言だけ言う。 「うまいな」  嵐がそう言うと、凪は満足そうに頬を緩めた。 「……俺、夢でした」  凪のその言葉に 嵐は目を瞬かせた。凪は静かに続ける。 「嵐さんと、こうして二人で並んで歩くの」  凪の目が、今度は嵐から遠くの景色へと移った。 「願ってはいけないと、思ってました」  そしてそう気恥しそうに、凪は言う。凪がそう言えなかった理由も、今ならわかる気がした。嵐は黙って凪の手を取った。指先に触れて、それから少し遅れて、包むように握った。 「……」  凪の手から、わずかに力が返ってくる。  あたたかかった。  旅館で夕食を食べていると、学校が終わった夏樹が帰ってきた。食堂に出てきた彼は嵐を二度見するなり指差して、それから言う。 「アンタまだいたの」 「こらっ、お客さんになんて口利くんだい」  夏樹の軽口に、女将の叱責が飛んだ。  しばらくして、彼も食卓につく。女将と祖母のいる卓ではなくなぜか嵐と凪のいる卓にやってきては、凪と嵐にやたらと話しかけてくる。 「子供産まれて落ち着いたら遊ぼうぜ。俺絶対東京行くし、またこっちに遊びに来てもいいし!」  子供、というワードに嵐は顔を上げる。凪は笑っていた。 「うん」 「約束な!」  自然に笑っているその姿に、嵐は箸を止め、二人の顔を交互に見た。聞いていた嵐は少しだけ眉を動かし、凪に向かって言う。 「……友達なのか」  凪は小さくこくりと頷く。 「はい。友達です」  凪は迷いなく頷いた。夏樹は得意げに胸を張る。嵐は二人を見比べた。 「……そうか」  凪が、笑っている。それだけで、胸がじんわりと熱くなった。 「あ、そうだ」  夏樹がスマホを取り出す。 「嵐さんも交換しとこ! これ、俺とかーちゃんの番号。なんかあったら連絡して」  嵐は驚いて夏樹を見る。 「……いいのか」 「なぎっちのダチだし。それに子育てで詰んだら絶対電話してくるだろ。うちの母ちゃんも、ばあちゃん最強だから」  そう言って、夏樹は白い歯をにっと見せて笑った。  夕食を終えると、女将に呼ばれていた凪が裏から戻ってきて、それから嵐に告げた。 「女将さんが、お風呂、どうぞ、って」  嵐が顔を上げる。 「お前は?」 「あとで入ります」 「一人でか?」 「……はい」  嵐が少し考えて言う。 「危ないだろ。滑る」 「えっ」  浴場に向かう途中、女将が凪に鍵を渡してくれた。 「今日はもう他のお客さんみんな入ったから、奥の使いな。念の為鍵はかけとき」  女将の気遣いに二人で礼を言い、改めて浴場に向かう。脱衣所で、凪が恥ずかしそうに服を脱ぐ。二つの足音が、風呂場にぺたぺたと響いた。  湯船に二人で並んで入る。凪の耳が赤いのはお湯の熱のせいなのだろうか。  ふと、凪の背中に、縦に並んだ細く白い線が見えた。  古い傷の上に、何度も重なったような跡だった。嵐は視線を逸らす。けれど凪に気付かれた。 「あ……すみません。嫌ですよね」  凪は背中を隠すように体を傾けた。たちまち胸が潰されそうな心地になる。一拍置いて、嵐は鋭く反応した。 「誰に言われた」  彼の体に傷があったのは知っていたが、その傷の正体がなんであるか、知る機会もつもりもなかった。だがそう思わせた過去に、一番腹が立っていた。  凪は恐る恐る口にする。 「首輪。買っていただいた時、嫌な気持ちにさせました」 「……は?」  嵐は一瞬動きが止まる。凪の言葉が理解できなかった。 「俺がいつ、そんなことを言った」  声が低くなる。凪が目を伏せ、「いえ」と答える。  けれど、嵐の中でゆっくり意味が繋がる。裸の下、凪が今唯一つけている、ボロボロの首輪。百貨店で、嵐は新しく買ってやったものに付け替えさせた。その時、嵐は凪の首輪を、「見ていて不快だ」と言って取り替えた。  嵐はそこで初めて気付く。凪は嵐の感情ではなく、客の感情で世界を測っている。そして、その時から凪を傷付けてしまっていたのかもしれないと。 「首輪は替えられる。だが、お前は替えがきかない」  そう冷静に言うと、凪の強ばっていた背中が少し和らいだように見えた。  お湯が揺れる音、換気扇の低い音、水滴の音に、胸の内が静かになる。  嵐が凪の肩に腕を回す。湯気の中で背中に手を置くだけにする。強く締めすぎず、逃げようと思えば逃げられるくらいの力だ。 「もう一人で抱えるな」  そう言うと、凪は柔らかい声で、「はい」と頷いた。  しばらくして、凪に合わせて嵐も浴槽から出る。バスタオルを手渡すと、凪が少しだけ動きを止める。腹に手を添えたまま、うまく屈めないのを見て、嵐はバスタオルで丁寧に凪の体を拭く。そして凪の足元へと屈んで拭けないところを手伝っていると、ふと頭に布が乗る感覚がした。 「……なんだ」  見上げると、凪は嵐の頭の上にタオルを載せようとして、慌てて引っ込めた。 「髪、濡れてたので……」  凪は申し訳なさそうにそう言うが、嵐はふっと笑って、「そうか」と返した。  浴場を後にする時、ふと気になった嵐は足を止め、凪に尋ねる。 「そういえば、凪はどうして由布院へ来た」  凪が振り返って、足元に視線を落とす。それから、凪は恥ずかしそうに答えた。 「……温泉、入りたくて」

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