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三十三、笑わなくていい

 (ゆずりは)は優しくて穏やかでいつも笑顔。でもその笑顔はどこか違和感があって、蛭子(ヒルコ)はじっと観察するように無言で見つめていた。楪に会うのは最初のも合わせるとこれで三度目。この社に来たのは二度目だった。  黒鴉(くろあ)があの後すぐにここに連れて来てくれた。あの時の事情を知ったからか、第一印象最悪だったあの銀花(ぎんか)が、頭を下げて礼を言ってきたのだ。それに対して蛭子がなにかいうこともなく、代わりに黒鴉が「気にすんなって」と絡んでいた。  竹林に囲まれた社。銀花と楪が生活している領域は、自分たちのゴミ屋敷とは比にならないくらい清浄だ。楪の部屋の前には中庭があり、そこには冬だというのにたくさんの花々が咲き乱れている。それを見てなにか想うことはないが、花々に囲まれてぼんやりとしている楪を見ていると、普段まったく動かない心が自然と癒された気分になる。  十二月の終わり。今日も黒鴉に連れられやって来たわけだが、彼らの話に興味のない蛭子と聞いてもよくわからないだろう楪は、ふたりで好きな場所で遊んでくるといいよ、と水月(みなづき)に言われ、遠回しに追い出されたのだ。あの三人は、楪にというよりは自分に聞かせたくない話でもするつもりなのだろう。 (どうせボクの処遇の話だろう。どうでもいい)  楪に誘われてこの庭にやってきたのだが特にやることもなく、ふたり池の前に並んでしゃがみ、すいすい泳いでいる小さな魚を眺めていた。 「蛭子様は、黒鴉様の花嫁さんなんですか?」 「は? 誰が誰の嫁だって?」  急に訳のわからないことを訊いてくる楪に、蛭子はものすごく嫌そうな顔で返す。いったいどうしたらそんな勘違いができるのか。ただの居候で、成り行きで一緒にいるだけの赤の他人。一応、命の恩人? 否、誘拐犯か。いずれにしても喧しくて煩わしい輩でしかない。 「もしかして一緒にいたら夫婦だと思っちゃう脳みそなの? ボクとあいつがそんなわけないだろう? どう見たらそういう発想になるわけ?」  つらつらと無表情のまま息継ぎなしで淡々と否定する蛭子。なぜこんなにも必死に否定しているのか。誤解でもそう思われたくないからかもしれない。あんなおしゃべり鴉、迷惑以外の何者でもないのだ。 「そうなんですね……私はてっきり、」 「……なに? どうしたの? なにかあった?」  元気のない楪を横目に、蛭子は嘆息しながら足もとの土に細い枝で意味もなく丸をいくつも描きながら訊ねる。なにか聞きたいことでもあるのだろうか。人生相談だとしたら自分にはなにも答えられない。蛭子自身、なにもわかっていないからだ。しかし、放っておくわけにもいかず。とにかく話くらいは聞いてやろうという気持ちだった。  左側にしゃがんでいる楪の横顔は、だんだん暗くなっていく。こんなにもわかりやすく「悩んでます」と顔に書いてあるくらいだ。銀花や水月には話せない内容なのかもしれない。黒鴉が訊いてもいないのに色々と話してくれるので、ふたりのことはなんとなくわかった気でいた蛭子だったが、いざ本人を目の前にするとまた印象は変わってくる。 『楪、元気ない?』 『ヒルコは楪には優しいのな〜』 『まずは話を聞いてあげようよ』  頭の中がいつもの如く喧しいが、蛭子はもはやなにも反応する気になれない。 「私、山神様の花嫁失格かもしれません……」 「……なんでそう思うの? あいつが楪にそう言ったの?」  あいつ、銀花がそんなことを言うわけはないだろう。だとすると、楪がなにか勘違いをしている可能性の方が高そうだが。そう思うにもなにかきっかけがあったはず。 「いえ、銀花様はなにも言ってくれません。こうして欲しいとか、ああして欲しいとか。ぜんぶおひとりでできてしまうから。もしかしたら私を必要としていないのかも……と、」  小さく笑って楪は言う。台詞と表情が合っていない。それを見た時、ずっと感じていた違和感の正体に、蛭子はなんとなくだが気付く。 「楪は、なんで笑うの?」  笑っているのに泣いているような。あの時と同じ笑み。蛭子自身も感情が薄くほとんど無表情なのだが、常に不機嫌そうに見えているかもしれない。感情と表情が合致しないことが多いわけだが、なぜか黒鴉にはわかるようで。 「悲しいのになんで笑うの?」 「悲しい……ああ、そうですね。今、私……、」  自分でも気付いていなかったようだ。 「それはずっと、いらないものだと、」 「なに言ってんの?」 「悲しいも寂しいも、苦しいも痛いも……笑ってさえいれば、感じないと。そう、あの部屋にいた十年の間に学んだので……癖になってしまっていて」 「…………」  ああ、同じだ。  この子は自分と似ている。  いつも笑っているか、無かの違いはあれど。  境遇が似ているのだ。  だからこんなにもイラつくのだろう。  ないはずの感情がぐらぐらと揺れ動いて、酔ってしまうほど。 『楪……あたしたちと一緒』 『ヒルコも同じ』 『ヒルコは感情を殺した。楪も一緒』  子どもたちが暗い声で呟く。悍ましいあの場所で、喰われ続けた贄。なにも感じない。なにも感じたくない。なにも望まず、暗い穴の中でただ息をしているだけの時間。 「ボクなら楪の気持ちをわかってあげられる。なんでも話してくれていい。些細なことでも構わない。あいつに話せないことも。それにボクの前では無理して笑わなくていい。ボクはそもそも笑わないから、あいつらみたいに表情を合わせる必要もない」  黒鴉も水月も銀花も。  本当の意味で理解などできないだろう。 「……蛭子様、今日はたくさんおしゃべりしてくれて嬉しいです」 「うるさい。感謝とかいらない」 「はい、ありがとうございます」  いや、だから……、と言いかけて蛭子は長い袖で口を隠す。普段使わない表情筋が自然と動いた気がして。楪といると、心地好い。まるで、会ったこともない母親に抱かれているような、そんな不思議な感覚になる。それは子どもたちも同じようで。 『楪といると楽しいね』 『ヒルコが笑ったの初めて見たな』 『隠さなくていいのにな〜』  喧しい、と心の中で毒づく。屍人(しびと)の身体なのに頬が耳があつい。 「ではもう少しだけ、お付き合いしてもらってもいいですか?」  言って、楪は足もとの白い水仙を見つめた後、ゆっくりと瞼を伏せた。

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