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三十四、嫌いだ

 実は、と(ゆずりは)はここにやって来てからのこと、蛭子たちが去った後のことを拙い言葉でぽつぽつと話し出した。半分以上惚気話にしか聞こえなかったが、楪がなにに対して悩んでいるのかはなんとなくわかった。 (やっぱり、あいつのことか……楪が本気でそんな風に考えているんだとしたら、悪いのは結局あいつだろ。ホント嫌いだ、あいつ)  あの時、指一本でも触れたら殺すぞ、くらいの鋭い目付きで見下ろしてきたのを蛭子(ヒルコ)は根に持っていた。あのまま自分が楪の穢れを喰らって終わらせることもできたのに、邪魔をした。蛭子は袖で口元を隠したまま、ぎりっと唇を噛み締める。 「私は銀花様の真の番にはなれないんでしょうか? だとしたら、私がいる意味なんて……でも銀花様のお身体が心配です。今まで取り込んだ穢れを浄化しないと、銀花様は……、」 「あいつが楪を遠ざけているのは、心の内に棲む獣のような欲を知られたくないからだろう。神格化しているとはいえ、元は獣。あいつの本来の姿を見たことある?」  獣、と言われ楪は首を横に振る。銀花はずっと銀花で。それ以外の姿など見たことがない。銀花は生まれながらに白狐だったと、前に水月(みなづき)が教えてくれたのを思い出す。白狐が神格化し神狐となった、と。その姿を想像しようにもそもそも狐を見たことがなかった。 「ひとの姿に顕現しているのは、花嫁に合わせているんだろう。後はその方が動きやすいからかもね。ボクのこの眼の色や悍ましい手足も、ひとみたいに変えられたら良かったけど」 「蛭子様は悍ましくなんかないです。赤い宝玉みたいに綺麗な瞳です。私を助けてくれた優しい手です。私はぜんぶ大好きです」 「……変な子だよね、楪は」  こんな気色の悪い手が好きとか。  先ほどまでうじうじしていたとは思えないくらい、真っ直ぐで曇りのない瞳が見つめてくる。純粋すぎるその眼差しに耐えられなくて、蛭子は目を逸らした。 「とにかく、本人に訊いてみるのが一番じゃない? それか、あいつにお願いすればいい。一緒に寝て欲しいとか。口付けして欲しいとか。それ以上のことがしたいって」 「お願い……? 一緒に寝る……く、口づ……それ以上?」  途中まで真っ赤な顔で蛭子が提案したことを復唱していたが、最後になって急に真顔になり首を傾げた。蛭子も蛭子で黒鴉が以前口にしていたことを言っただけだったので、よくわかっていなかった。 『口付けは知ってるんだ?』 『一緒に寝たことがあるってこと?』 『それ以上ってなんだ?』  知るか、と蛭子は相変わらず煩い声に心の中で突っ込む。 (黒鴉が言ってた。あいつがいつまでも楪に手を出さないのが不思議だって。自分ならさっさと最後までしちゃうとかなんとか? どうせ(ろく)なことじゃないだろうけど)  それを楪に提案したのはまずかっただろうか。 「が、頑張ります!」 「いや、やっぱりなし。今のなし。なんだか嫌な予感しかしないからダメ」  蛭子は無表情のまま早口で言い、楪を早々に止めた。あの鴉の言うことは信じない方が良い気がする。ではどうしたらいいのだろう。やはり人生相談は自分には向いていないと確信する。 「楪は今のままでいい。楪の気持ちをわかっていないあいつがぜんぶ悪い。でも自分の望みを伝えるのはいいかもね」 「……望み、ですか? 私が、銀花様にして欲しいこと、」  そう呟きながらしばらく考え込む楪を見つめ、蛭子もまた黒鴉のことを思い浮かべていた。いつも「なにして欲しい?」と訊いてくる鴉。それに対してなにも答えたことがない自分が、なにを言っているのかと思ってしまう。 □□□  楪の悩みを聞いたあの日から数日後、気付けば正月を迎え、蛭子は再び銀花の社を訪れることになったのだが――――。 (なんだか前よりも、ますます暗くなってる気がするんだけど?)  ずーんと沈んだ表情をしている楪。またもやあの三人に邪魔者扱いされた自分たちは、ふたりで庭を散策していた。元気のない楪の右横を歩きながら、蛭子はじっとその横顔を見つめて例の如く観察を始める。蛭子も楪も酒が飲めないのを理由に、ふたりで遊んでくるといい、と同じような台詞で大広間から追い出されたのだ。 『楪、大丈夫かな?』 『目が腫れてる気がする』 『あいつ楪を虐めてるんじゃ……』  だとしたら赦さないけどね。 「最近、昔の夢を見るんです。すごく嫌な夢……もしここを追い出されたら、私は、」 「楪?」  黒鴉に、楪が悩んでいることをなんの気なく口にしてしまった。あの鴉のことだから、きっと今頃、銀花に伝えていることだろう。そうなれば、少しは楪のことを考えてくれるのではないかと期待しているが、この状況を考えるとそれどころではない気がする。 (人間が神気を共有することで起こる、副作用みたいなものだろうか。あいつが言っていたことが、楪にも起こる? 不安定なのはそのせい?)  山神の花嫁となったひとの子の最期は、お世辞にも幸せとはいえないという。もし真の番になって山神の穢れを浄化するようになったら、ますます精神が病んでいくのではないだろうか。そうなれば、楪も……そこまで考えてぶんぶんと蛭子は首を振る。 「蛭子様、私はもう……」  それ以上言うな、と蛭子は楪の腰に抱きついた。胸のあたりくらいまでしかないこの身体を呪う。もっと大きかったら楪をぎゅっと抱きしめてあげられるのに。これでは母親に甘える小さな子どものようになってしまっている。 「楪はなにも悪くない。ボクには楪が必要。あいつが要らないって言うなら、ボクが貰う」 「駄目だ」  頭の上の方から聞こえてきた声に蛭子がむっと頬を膨らませたのも束の間、襟首を掴まれ楪から引き剥がされる。  表情だけはあの時と違って笑顔だが、銀花の金眼がギラリと光っているのを見逃さなかった。隣でゲラゲラと腹を抱えて笑っている黒鴉をじとっと見上げ、邪魔をされたことに対して余計に腹が立った。 「はは! ごめんて。ほら、抱っこしてやるから」 「……うるさいバカ鴉」  こちらがそれを許可する前に、ひょいと身体を持ち上げられる。黒鴉に片腕で抱き上げられたおかげで、隠れて見えなかった楪の表情が銀花の肩越しに見えた。 (ふん。もっと大きくなったらボクだって……)  銀花を見つめるその表情は、今まで見たどの楪でもなくて。 (やっぱりあいつは嫌いだ)  蛭子は、心の中で改めてそう思うのだった。

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