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三十九、愛して

『こっちくんなよ、白いの』 『そうだそうだ』 『お前は俺たちとは違うんだから』 『こいつ、狐じゃなくて狼なんじゃ……』 『そんなわけないだろ、狼だったら俺たちとっくにあの世行きだ』  遠い遠い過去のくだらない夢。生まれて一年も経たずに、親に捨てられた。毛色が違うだけで蔑まれ、群れにも入れず、いつも孤立していた。からだも小さく、狩りをするのも命懸け。誰も助けてはくれないと理解してからは、逆に楽だった。 『お前なんて私の子じゃない』  捨てられる前からずっと言われ続けてきた言葉。どこから生まれてきたかなんて、知るはずもない。産んだはずの母親が否定するのなら、目の前の獣は自分にとってなんでもない存在なのだ。周りの狐たちは自分を忌み嫌う。毛色が違うことで彼らを警戒させてしまうのだろう。捨てられた時に、さっさと死んでしまえばよかったのだろうか。 「おや、珍しい。知らないうちに白狐(びゃっこ)が生まれていたみたいだよ、黒鴉(くろあ)」 『この薄汚れた感じ悪いのがあの白狐? 冗談はよせって、水月(みなづき)様』  見た目は女のように見えるが、においからして人間ではない。長い黒髪を後ろで緩く三つ編みにしており、白い着物の上に薄緑色の羽織を纏っている。左耳には銀の耳飾りをしていて、空の天辺に来ていた太陽の光に反射して眩しかった。 『……白狐?』 「そうだよ。長く生きれば神狐となる逸材さ。君は特別な子だからね」 『俺も特別な鴉だもんね〜。これから大きくなって鴉天狗になるんだ。けど、こんな貧弱そうな狐が神狐になんてなれるかな〜?』  肩に乗った小さな黒い鳥が馬鹿にしたような口調で見下ろしてくる。こらこら、喧嘩しないと注意しつつ、君も少し落ち着いて? とその場にしゃがんで見つめてくる。翡翠色の瞳はどこまでも澄んでいて、敵意のひとつも見えなかった。 『噛みつかれたくなかったらさっさと失せろ』  人間であれば言葉が通じるはずがない。白い毛のまだ幼い獣は、こちらに手を伸ばそうとしてきたその者を唸りながら睨みつける。 「あはは。自己紹介がまだだったね。私は、一応このあたりの土地神をしている偉い神様だよ〜。私のことは水月様って呼んでね」  片目を閉じてにっこりと微笑むその神様とやらに、名もなき獣は呆気にとられていた。あまりにも無防備で、あまりにもふざけている。これが、水月との出会いだった。  それから毎日のように自分のところにやって来ては、「君も私んちにおいでよ〜」と誘ってきた。どんな意図があってそんなことをしているのかは知らない。水月ひとりならまだしも、あのちび鴉も一緒になってちょっかいをだしてくる。さすがに腹が立って喰らってやろうかと思ったほどだ。 「君、名前ないの? まあ、獣のセカイの常識は私はよく知らないのだけれど、それが当たり前なのかな? なんだか不便だよね」 『俺は水月様につけてもらったもんね〜。いいだろ〜? 羨ましいだろ〜?』  ちび鴉はいつもこうやって無駄に絡んでくる。吠えればその小さな羽で必死に逃げ、水月の頭や肩の上に隠れるくせに。聞こえないフリをして無視し、水月の言葉だけを受け取る。  名前。そんなものはなくても問題なかった。親からは無視された挙句捨てられ、もちろん仲間なんていないから名乗る必要もない。自分には不要なものだという概念すらなかった。 「ん〜。そうだなぁ。君は一見白い毛に見えるけど、光が当たるときらきら銀色っぽくもあるよね。ちょっとつんつんしてて怖いから、白銀の銀と可愛さを補うお花とくっつけて······よし、今日から銀花(ぎんか)って呼ぼうか」 『無茶苦茶だ』 『銀花かぁ。名前負けしてない? ってか、水月様の名付け独特すぎだろ』  黒い鴉で黒鴉も大概だが……。 「銀花。綺麗な名前だと思うけどなぁ」  当の本人はお気に召しているようで、もう勝手にしてくれと項垂れる。  水月も黒鴉も色んなものを奪っていく。孤独と静寂。気付けばそんなものはなくて。いつの間にかその輪の中に組み込まれていた。それでもぽっかりと空いたままの部分は埋まることはなく、それがなんなのかもわからないまま時だけが過ぎていった。  それから気付けば数百年。山神の代替わりに選ばれた銀花は、前任の山神と水月に話を聞くことになる。番の花嫁となるひとの子。代替わりの年、極月に生まれた赤ん坊の中から水月が選ぶらしい。選んだ赤ん坊に印を付けることで、この地の者たちはすぐに理解する。山神の贄の印は、土着信仰、民間信仰として根付いているからだ。 「山神の花嫁の最期は悲しい結末が多い。運命の番として選ばれたとはいえ、花嫁にしてみれば自ら望んだことではないからね。そういう負の積み重ねが花嫁を追い込んでしまうのかも。もしそれを解消し、花嫁自身が山神との関係を望むなら。悲しいことにはならないのかもしれないけれど……」 「山神の本来の姿を知れば、ひとの子である花嫁が畏れを抱くのは仕方がないこと」  しかも普通の獣ではなくその何倍も大きな獣の姿に、花嫁は怯えてしまうことだろう。せっかくひとの姿で関係を築いても、本性は恐ろしい獣と同じ。いくら神聖なものとはいえ、その目に映るものがすべてなのだ。 (……俺は、番の花嫁に愛してもらえるだろうか)  ずっと忌み嫌われてきた。親にも仲間にも、お前は要らないと言われた。存在すら赦されないのなら、どうすれば良かったのか。水月に拾われなければ、黒鴉に出会わなければ、きっと孤独なままだったし、今の自分はいなかっただろう。 (本来の姿さえ隠し通せれば……花嫁の嫌がることをしなければ……怖い思いをさせなければ……真の番として、永遠に俺の傍にいてくれるのだろうか)  心から、愛してくれるだろうか。 □□□  水月に自身の領域に飛ばされた銀花は、着地すらまともにできず地面にそのまま全身を打ち付けてしまう。白銀の大きな獣に纏わり付く黒い靄。もう限界かもしれない。しかしこんな姿を楪が目にしたら、きっと怯えてしまうだろう。  もうお終いかもしれない。  あの笑顔が消えてしまうことが、なによりも恐ろしい。他の花嫁同様、義務として役目を果たす姿など見たくない。そうなるくらいなら、いっそこのまま穢れに呑まれてしまいたい。  いや、駄目だ。そうなれば楪も······。  どうか。頼むから、気付かないで。  そんな銀花の祈りは届かず、社の方から駆けて来た楪の足が離れたところでぴたりと止まり、その瞳に映っているだろう己の獣の姿を呪った。

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