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四十、募る想い

 部屋に幽閉されていた約十年間。ずっとひとりだった。だからひとりでも平気だと思っていた。領域内なら好きな場所へ行けるのに、社の中で一番狭い部屋で膝を抱えて座り、ここに来てから起こった様々な出来事を思い出していた。  蛭子(ヒルコ)水月(みなづき)黒鴉(くろあ)銀花(ぎんか)以外の神様たちが、自分のような者にたくさん善くしてくれた。でも一番は、銀花がいつも傍にいてくれることで。それがなによりも楪《ゆずりは》は嬉しかった。 (景色をひとりで見ても、楽しくない。銀花様がいないと、)  膝に顔を埋めて、楪はしゅんと落ち込む。同時に、リンと清らかな鈴の音が鳴った。 (前に銀花様がくださった、金色の鈴が付いた髪紐。銀花様とお揃いの鈴。この鈴の音色は、優しくてとても好き)  鈴の飾りがふたつ付いた青い髪紐は銀花の手作りで、楪が迷子になってもすぐわかるようにと、贈ってくれたものだ。  あの時。  楪から一瞬でも目を離してしまったことを後悔していて、銀花は全然悪くないのにものすごく落ち込んでいた。楪もこの時の事を反省し、今後は領域外ではなにがあっても銀花から離れないようにしようと、心に誓ったのだった。 (銀花様、早く帰って来ないかな、)  水月たちとの用事で外に出てくると言っていた。自分にはついて行く資格もない。花嫁として銀花の横に並べる日は来るのだろうか。  白い柔らかな毛で作られた襟巻。  これも銀花がくれた贈り物だ。  神狐である銀花が自分の毛を使って作ったそうで、なんだか守られている気分になる。肌触りも良くふわふわであたたかい。領域外はまだ凍えるほど寒いので、外に出る時はいつも首に巻いていた。領域内は寒さも暑さもない。だからここで巻く必要はないのだが、ひとりで寂しい時にぎゅっと抱きしめていると、なんだか癒されるのだ。  そんな中、遠くで鈴の音が聞こえた気がした。耳の良い楪は、すぐに銀花が帰って来たことに気付き、すくっと立ち上がる。動物の尻尾のような襟巻を抱えたまま、籠っていた狭い部屋から出た。  社の扉を開き、階段を下りる。楪はいつものように駆け寄ろうとしたが、その表情が曇る。そこにいたのは見慣れた姿とはかけ離れた、自分の何倍もある白銀の大きな獣だった。大きな獣耳、大きな口。口の隙間から覗く剥き出しの鋭い牙に、思わず右手で口を覆って息を殺していた。 「······良い、判断だ。頼むから、今は、俺に近寄らない、で······ほし、い」  途切れ途切れに聞こえてきた声は間違いなく銀花のもので。様子を窺いながらもなんとか歩みを進めるが、白銀の毛を覆う黒い靄の存在が楪の意思とは関係なくその足を止めさせる。  楪が立ち止まってくれたことに安堵したのか、銀花は辛そうに顔を歪め、ぐらりとそのまま地面に横たわるように倒れてしまう。楪は瞳を大きく開き、夢からさめたかのように咄嗟に銀花の名を呼んだ。 「銀花様······っ」 「······来るな!」  でも····! と、掠れた声で叫ぶ。銀花を蝕んでいる黒い靄。あの時、楪の身体の半分以上を蝕んだモノと同じ。大丈夫なはずが、ない。      穢れ。  あと数歩で手が届きそうなのに、足が思うように動かない。出会った時に銀花が言っていた。山神の役割。外へ行くのは、この土地を毒す穢れを見つけ、その身に封じるためだと。用事とはこのことだったのだろうか。水月たちの姿はない。どうして銀花だけがここにいるのか。いずれにせよ、今はそんなことを考えている場合ではない。 「少し穢れを溜めすぎただけだ······この姿は怖いだろう? 先に社に戻っていてくれ」 「怖くなんてありません。銀花様は銀花様です」  先程よりは落ち着いたのか、黒い靄が薄まっていた。しかし苦しそうなのは変わらず、楪は襟巻を抱きしめたまま、首を振った。 「見慣れないお姿を見て少し驚きましたが、······それよりも銀花様のことが心配です。私がちゃんと花嫁の役割を果たせないから、こんなことに······」 「それは、違う。お前のせいではないよ」  自分を責めている楪を安心させるように、優しく諭すように囁く。楪は真っ青な顔で立ち尽くしたまま、それ以上動けずにいた。 (私は、こんなによくしてくれる銀花様に、なにもお返しができていない······本当なら、この苦しみから救って差し上げられるはずなのに)  山神様の"真の(つがい)"となるには、身も心も銀花に捧げる必要がある。心はもう、きっと、捧げられる。今だって、こんなにも銀花でいっぱいなのだ。傍にいて欲しいと思うし、いたいと思う。これは、間違いなく。 「銀花様、私、」  やがて一歩、また一歩、前に進む。震える指先を誤魔化すように、襟巻を強く抱きしめる。怖い、けど。それは今の銀花の姿に、ではなくて。銀花を覆うあの黒い靄を、身体が心が怖がっているのだ。  だが、そんなことよりも。 「楪、無理をするな。俺は、大丈夫だから」  黒い靄はその言葉を否定するように、銀花の周りに纏わりついている。動くこともままならないため、自ら離れることも、怯えながらも近付いて来る楪を止めることすら叶わない。  とうとう手を伸ばせば届く場所まで来てしまった楪が、その場に座り込んで銀花の大きな金眼を見つめてきた。するりと、握りしめていた襟巻がふたりの間にゆっくりと滑り落ちる。  首の辺りに両手を伸ばされ、白銀の毛にその手が触れた時、穢れが楪の方へと流れていくのを目にした銀花は、瞳を大きく見開いた。途端、獣の姿からいつものひとの姿へと戻り、気付けば地面に座り込んだままの状態で楪に抱きしめられていた。 「私、"真の番"になります。あなたの苦しみ、私にください!」  楪は身体を離し銀花の頬を両手で包むように触れた。そしてなにかを決意したかのような強い眼差しでそう言い放つと、躊躇いながらもそのまま自分の唇をそっと重ねた。  それは本当に触れるだけの口付けだったが少しだけ震えていて。銀花は楪のその行為に対して驚きのあまり身動きが取れず、もどかしい気持ちでいっぱいになった。 (まさか····こんなことになろうとは······、こんな時に、俺は······、)  楪の精一杯の気持ちが嬉しかったのと、慣れていないその行為に対して今すぐに抱きしめてやりたい衝動に駆られる。こんな状態でなければ、と後悔だけが残った。 (くそ······、身体が思うように動かない····楪は大丈夫なのか? 流れていった穢れはどうなった?)  銀花の心配するようなことは今のところ起こる様子はなく、どうやら浄化はうまくいったようだ。やがて楪がその先をどうしていいのかわからず、恥じらいながら離れていくまで。その姿を呆然と見つめていることしかできなかった。 (これは、新手の拷問かなにかか····?)  口付けという行為によって交わったふたり。この身に溜め込んでいた穢れが幾分か消えている驚きよりも、目の前の花嫁が恥ずかしそうに俯いて、先程まで重ねていた唇に遠慮がちに触れている姿を、今すぐ隠してしまいたいという気持ちが先行する。 「あ······あの、私! すみません······っ」  自分のしてしまったことに対して、銀花がなにも言わないのを誤解したのか、楪はみるみる顔色が青くなり、そのまま勢いよく立ち上がって社の方へと逃げて行ってしまった。  楪がつい今しがたまでいた場所には、銀花が贈った白い毛で作られた襟巻が、同じようにぽつんと取り残されていた。この時の不甲斐なさや失態は、なにがあっても一生忘れることはないだろう。

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