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番外編 蛭子と黒鴉

 黒鴉(くろあ)の領域は以前は塵の山だったが、さすがにこれは酷い……と水月(みなづき)が助言してくれたおかげで、山に道ができた。 (とは言っても、塵は社の周りに放置されたまま……まあ、別にボクは気にしないけど)  今にも崩れそうだった、社に続くあの穴が無くなっただけでじゅうぶんだった。銀花(ぎんか)の領域は(ゆずりは)のために用意された、綺麗であたたかい空間。遊びに行くのはいいが、長居するにはむず痒くなる場所だった。蛭子(ヒルコ)にはここが合っていると改めて思う。  楪たちがいなくなってから、三年が経った。いなくなった、は違うかもしれない。旅立ってから、が正解だろう。しかし蛭子にとってはどちらも同じで。寂しい、わけでないがなにかが欠けて足りないような気持ちがずっとしている。 「蛭子、おはよ〜」 「うるさい……聞こえてる」  すぐ横でくっついて眠っているのに、耳元で起こされるのは納得いかない。口付けをされたあの日から、黒鴉は調子に乗って蛭子を自分の寝所に連れ込むようになった。  なにかをしてくるわけでもなく、いつも抱き枕にされて眠るだけ。最初はどきどきしてあまり眠れなかったが、今はもう慣れてしまった。  変なことはされないという安心感もある。黒鴉は自分をどうにかしようという気はないようで、おかげで蛭子も緊張することはなくなったのだ。  これを信頼と呼ぶのなら、そうなのかもしれない。黒鴉はあんな感じだが、蛭子が本当に嫌がるようなことはしない。気を許してしまっているのは、油断しているのと同じなのだと。 「今日はなにして遊ぼっか」 「……遊ばない。氷雨のとこに行く」 「氷雨? なんで?」  蛭子の長い黒髪を弄りながら黒鴉は面白くなさそうにわかりやすく声音が低くなる。横になったまま頬杖をついて、仰向けに寝ている蛭子を覗き込んできた。 「楪の文……春のはじめに届くから」  春。  毎年桜が咲く頃に楪からの文が届く。今どこにいてなにをしているのか。 「ああ、そういうことならいいよ」 「なんなんだ……?」  怪訝そうに蛭子は眉を潜める。なにがダメでなにがいいのか。黒鴉の基準はいまいちわからない。起き上がって伸びをして、黒鴉はにっと口元をゆるめた。そのどこか意地悪そうな笑みはいつものことで。蛭子ものそのそと起き上がる。 「乱れすぎ」  けらけらと笑いながら、右肩からずれ落ちている単衣を丁寧に直し、乱れた髪の毛をそっと整えてくれる。黒鴉は蛭子が望まなくてもなんでもしてくれるので、甘やかされているという自覚はあった。  元々動くのはあまり好きではないし、一日中ぼんやりしていることの方が多い。気付けば鏡の前に座らされ、髪の毛を編み込まれ、衣も着替えさせられていた。 「はい、完成。今日も可愛い」 「……お前の感覚が本当によくわからない」  顔の右側に赤紫色の痣。  手足は奇形。  これのどこが、としか言えない。 「俺がそう思うんだから、別にいいじゃん」  いつも軽くて調子の良いことばかり。時々意地悪なことを言うけれど、それも含めて黒鴉という存在なのだから、諦めるしかない。蛭子は小さくため息をついて、「さっさと連れてけ」と抑揚のない声で呟き黒鴉の白い袖をくいと引いた。 「はいはい。じゃあ行こっか」  言って蛭子をひょいと抱き上げると、社の外に出て青みがかった黒い翼を広げ、薄い雲が漂う青い空へと一気に舞い上がるのだった。 □□□  銀花の領域、もとい氷雨の領域はここからそう遠くない場所にある。許された者だけがその領域に入れるため、黒鴉や蛭子は簡単に通り抜けられた。  銀花から山神の役目を託された氷雨は、以前の銀花のように穢れを取り込む必要はなくなったものの、この地を守るという意味で麓に住む人間たちを守っている。  黒鴉はその補佐のような役割を担い、蛭子はあの蠱毒をすべて喰らった後、ただ静かに過ごしていた。水月はひとりでいる氷雨を気遣って、毎日のように顔を出しているようだ。ふたりの姿を見るなり、ひらひらとにこやかに手を振ってくる。その横には氷雨が座っていて、黒鴉たちを視界に入れるなり目を細めた。  楪の部屋の縁側。季節関係なく咲き乱れる花々。蛭子にとっては楪との思い出がたくさん詰まった場所でもある。 「水月様も来てたんだ?」 「そうだよ。君たちも目当てはこれかな? 先に氷雨と読んじゃったよ」 「楪の文、ボクも読みたい」  はい、どうぞ、と水月は隣にちょこんと座った蛭子に丁寧に折り畳まれた文を手渡した。楪の文字だ。拙い文章だが優しさに溢れた言葉が並ぶその文は、蛭子の心を満たしてくれる。欠けてしまったものが埋まるように。まるで隣で話しかけられているような気持ちになった。最初に届いた文と合わせて三通目の文。  銀花に字や書き方を教えてもらっていると書いてあった最初の文よりも、ずっと上手くなっている。楪の文字は可愛らしくもあり、まっすぐで几帳面。 「元気そう。今は上の方にいるってこと?」 「そうだよ。もっと上もあるから、そこまで行くつもりなのかもね」 「蛭子も遠くに行きたくなったら、いつでも言って? 俺がどこへでも連れてってあげるよ」 「それじゃ、いつもと同じでは?」  黒鴉の提案に氷雨が苦笑を浮かべる。まあ、確かにそうだ、と黒鴉は肩を竦めた。蛭子が望む場所へいつでも連れて行く。願うならどこまでも遠くへ。 「ボクは別にどこへも行かない。そう、約束したからな」 「ふーん。だってさ、黒鴉。良かったね」  にやにやとしている水月とは逆に、黒鴉がなにか反応することはなく。珍しく惚けた顔で立ち尽くしていた。 「黒兄(くろにい)が茶化せないくらい、蛭子の言葉は刺さったってことかな」 「なんのことだ?」  蛭子が首を傾げて水月越しに訊ねるが、氷雨は「なんでもない」と誤魔化した。  このふたりはいつもそうだ。  仲良しなのに曖昧な関係。  喧嘩しているようで戯れあってるような。  そんな、不思議な関係だった。 

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