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番外編 楪と銀花
桜並木をふたり、ゆったりとした歩調で歩く。楪 に合わせてくれているのはいつものことで、左側にいる銀花 をちらりと覗き見れば視線がすぐに合う。銀花もこちらを見てくれていたのだろうか。なんだかくすぐったくなって楪は笑ってしまった。
「のんびりと歩くのは気持ちがいいですね」
「そうだな。俺は楪と一緒なら、砂地でも地獄の底でも楽しいよ」
「砂地……あそこはとても歩きにくくて、何度も転びそうになってしまって。途中から銀花様が抱っこしてくれたのが記憶に残っています」
銀花の冗談を真に受けた楪は、一年半くらい前に訪れた地を思い出して頬を赤らめていた。初々しく恥じらう花嫁を見つめながら、銀花は「あの時も恥ずかしそうに顔を隠していて、可愛らしかったな」と心の中で呟きしみじみと頷いた。
旅立ってからもう三年が過ぎた。
陸奥の国。
銀花の力で他の人間たちには見えない状態になっている楪。銀花の花嫁として捧げられたあの日からもう随分と時が経ち、それはもう人間の一生の時間をとうに超えていた。銀花の神気を共有している楪は、神狐の番として申し分ない神力を得ていると言えよう。
「そろそろ文を出す頃か。春にだけ、というのが特別感があって良いな」
「本当は毎日でも出したい気持ちなのですが、鷹さんに運んでもらうのも申し訳ないですし、皆さんも迷惑でしょうから」
「そんなことはないさ。皆、楪のことが大好きだからね。しかしそれでは俺の方が嫉妬してしまうから、皆には悪いが、今まで通り一年に一度で我慢してもらうことにしよう」
よしよしと楪の薄茶色の髪の毛を撫でて、銀花は優しげに目を細めた。
白い花びらが雪のように舞う。行き交う人々。奥州街道を北上しながら途中で海を眺めた。立派な杉の木がいくつも並んでいて、長閑で静かな中、波の音に癒される。
「海の向こう側には、なにがあるのでしょう? どこまでも海なのでしょうか?」
「どうだろうね。もしかしたら別の大陸があるかもしれないが。当てもなく進むには広すぎるし、なにもなかったら戻るのも大変だ」
崖の上から地平線を見つめながら、ふたり。なんの気ない会話を交わす。
「あの船は漁をしているのでしょうか?」
「さて、この辺りはなにが釣れるのだろうね」
「陸奥はとても広くて、歩きがいがあります」
「楪は歩くのが好きなのだな。この旅でそれがよくわかったよ」
やる気満々に瞳を輝かせ、胸元で拳を握り締めている楪に対し、銀花は穏やかに微笑む。あの領域にいた頃も、よく外にふたりで散歩に出かけることがあった。氷雨が生まれてからは三人で。あの時間はかけがえのないものだった。
「銀花様、見てください」
くいくいと袖を引かれ、銀花は楪が指差す方向に視線を向ける。
「太陽が海に沈んでちょっとずつ溶けてしまっています。不思議ですね。明日になるとまた新しい太陽が生まれて朝が来るなんて……どういう仕組みなのでしょう?」
「そうだね。あれは溶けているんじゃなくて隠れているんじゃないかな? 夜が苦手だから月と交代しているのかも?」
楪に合わせて適当に答える銀花だったが、楪は「なるほどです!」と疑問が晴れて嬉しそうだ。
「さ、そろそろ社を見つけて休ませてもらおうか」
そ、と楪の腰に手を添えて移動を促す。ずっと昔に水月に貰った、小紋が施された白練の着物に淡い浅葱色の帯、その上に薄い桃色の羽織を纏ってる楪。腰まである長い薄茶色の髪は、銀花があげた鈴がふたつ付いた青色の髪紐でゆるく結ばれている。
銀花の金色の瞳を見つめて、楪は頷いた。夕陽に染まった銀花の銀色の髪の毛が眩しくて、思わず目を細める。柔らかい笑みを浮かべた楪の頬に、指先が触れてきた。
藍色の衣の袖が風で揺れる。キラキラと橙色に煌めく海面が楪の視界の端に映った。風景よりも美しい銀花の姿。どこまでも澄んだ空気をまとった銀花は、傍にいるだけで心地が好い。
「銀花様、手を繋いでもいいですか?」
「もちろん」
恥ずかしげに楪にお願いをされ、断る理由などない。頬に触れていた手を下ろし、そのまま楪の左手を握った。このまま押し倒してしまいたい気持ちだったが、それはまた後にしようと銀花は我慢するのだった。
□□□
ふたりがいた崖の下には洞穴があり、そこで神が存在しない形だけのこじんまりとした祠を見つけて、ふたりは一晩を過ごすことにした。その祠を中心にして小規模な領域を作り、ふたりが休める程度の寝所が現れる。社や祠があれば展開できるらしく、今までの旅路の中で見慣れた光景だった。
周りから見ればただの祠しか見えず、誰かが間違って入って来ることはない。先程まで薄暗かった洞穴の中は、花々に囲まれた良い香りのする場所へと変わっていた。
「まだ休まないのかい?」
「はい。文の下書きをしていました」
文机に紙を広げ、何度か書き直したのだろう紙が何枚か楪の傍に落ちている。拾い上げて目を通し、その可愛らしい文字に自然と笑みがこぼれた。文字の読み書きができなかった楪だったが、銀花が教えてあげたことでかなり上達したようだ。
「でも、わからない文字があって」
「俺が教えてやろう」
楽しそうに銀花は楪の座っている真後ろに腰を下ろし、筆を握っている右手に自身の手を添えた。背後から覆うようにぴったりとくっついている銀花にどきどきしながら、楪は動揺をなるべく悟られないように平静に「お、お願いします……、」と辿々しく答えた。
「なんという文字かな?」
「あ、はい、」
しばらくふたりで内容を整えながら、なんとか下書きを完成させる。清書は明日にしようと銀花に言われて、楪は随分と長い時間集中していたことに気付く。
「すみません、銀花様を私事に付き合わせてしまいました」
腰に回されている腕の中で身体を半分後ろに向け、すぐ後ろにいる銀花を見上げると、楪は自分に付き合わせてしまったことを詫びる。
「かまわないよ。これからの時間は俺に付き合ってもらうことになるわけだし」
言って、銀花は楪を抱き上げて立ち上がると、ずいとその顔を覗き込んだ。楪は口付けをされるのかと思いぎゅっと瞼を思わず閉じる。
しかしいつまで経っても触れられないことに気付き、それが自分の勘違いであることを知ったが、銀花の視線は瞼を通して感じられるせいでいつまでも目を開けられず、恥ずかしくなって頬が真っ赤に染まっていく。
「ぎ、銀花様……、私、」
「そのまま、じっとしていて? 可愛らしい俺の花嫁の恥ずかしがる顔をもう少し眺めていたい、と言いたいところだが……さすがに限界だな、」
軽い楪の身体を抱き上げたまま寝台の方へと向かう。そのままいつもの如く甘美な長い夜をふたり、余すことなく堪能するのだった。
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