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アホクズな恋人から逃げようとしたら×××された

 一度は言ってみたかったんだよね。  実家に帰らせていただきますってやつ。  盗んできた財布の中には資金が潤沢に詰まってたから、その金を遠慮なく使って帰省した。いやぁ、楽しかったな。超高級客船クルーズの旅、三泊四日。  シモンには、おれに金を使うことで快感を覚えるっていう特殊性癖があるから、むしろ喜んでると思う。あいつ、息するように貢ぐからね。自分が稼いだ金でおれが楽しそうにしてるのが好きなんだって。だからお望み通りに金貨銀貨をばら撒きまくって、男爵領へと足を踏み入れる頃には懐はスッカラカンだった。  関所の衛兵たちに止められることもなく、むしろおれだと分かると歓迎された。そこからは男爵家専用の馬車で屋敷まで送り届けてもらった。  数年ぶりの我が家は何も変わっていないように見えた。  今、実家に残ってるのはレイン兄ちゃんだけのはず。両親は隠居して世界一周の旅に出てるはずだし、姉ちゃんは嫁に行った。エールアルトの名前は捨てたって大口を叩いたけど、絶縁宣言したわけじゃないから、放蕩息子がやっと帰ってきたなぁくらいで受け止められると思うんだよね。  兄弟の中で、最もおれに甘い長男が当主になってるっていうのが、逃亡先を実家に選んだ一番の理由。  長兄、つまりレイン兄ちゃんは、歳の離れたおれを猫可愛がりしてる。赤ちゃんの頃、目を離すとすぐにおれの頬をもぐもぐ食べてたくらいの溺愛っぷりで、その奇行の数々を心配した周囲に寄宿舎にぶち込まれたくらいにはゲロ甘。出戻りなんて楽勝も楽勝。勝負する前から結果は見えてた。 「おにーさまぁ。シモンと喧嘩しちゃったぁ。しばらくここにいてもいい?」  あ、今の猫撫で声はおれね。頭下げる立場でプライドを持ち出すなんてナンセンス。兄ちゃんの攻略方法は至って簡単。媚びて媚びて媚びまくる。末っ子の本気ってやつを見せてやるよ。  数年前は父親が座ってた席に、兄ちゃんがふんぞりかえってる。当主になって調子に乗ってるわけでもご機嫌が悪いわけでもなく、生まれながらにして不遜ってだけだから問題ない。  革張りの椅子に深く身を預けて、無言で見つめてくるから笑顔を返した。  今日もツラが良いね。やっぱり母親が美形だから綺麗どころが揃っちゃうんだよなぁ。かといっておれみたいに線が細いわけでもない。鍛え方はシモンに似てる。  兄ちゃんはおれを上から下まで観察した後で、眉間に皺を寄せながら重い口を開いた。 「下手なゴマ擦りはやめろ。今更帰ってきたいなどと甘えたことを抜かしおって。あの男と駆け落ちしたときから、おまえには二度と我が家の土は踏ませないと決めている。さっさと出ていけ」  土どころか執務室のカーペットまで踏んじゃってるけどね。足元のふっかふかな感触を確かめつつ、兄ちゃんのご機嫌度合いを測る。駆け落ちしたつもりはない。ていうか、実家を出た記憶すらないから、多分そのあたりの記憶を疑問を抱かない程度には調整されてるんだろう。面倒なことしてくれやがって、と心の中で元恋人に毒を吐く。 「そのシモンがおれに酷いことしたの。さすがに愛想も尽きたよ。やっぱり最後に頼れるのは兄ちゃんだけだな。一言も相談せずに出ていったこと、すっごく反省してるもん。だからさぁ、帰ってきてもいいでしょ? 兄ちゃんのことだから部屋もそのまま残してあるんだろ」 「フン。残そうと思ってのことじゃない。薬やら書物やら、多過ぎて誰も片付けようとしなかっただけだ。埃を払うくらいのことならしていたがな」  聞いた? それもうおれのこと待ってたって白状してるようなもんだからね。兄ちゃんって、こういうとこあんだよ。帰ってくるのを今か今かと待ち侘びてたくせに素直じゃないんだから。  おにぃさまぁ、とダメ押しで甘える。幸先が良い。重度のブラコンは健在だ。このまま押せばコロッと落ちるはず。 「兄ちゃんがいいよって言ってくれるなら、朝昼晩のメシ一緒に食べてやってもいいよ」 「無用だ」 「そんなこと言わずにさ。食後の散歩にも付き合ってやるし。そしたらおれ眠くなってきて、この部屋でお昼寝しちゃうかもね」 「……昼寝だと? おまえはまだ昼寝が必要なのか。まったく。赤ん坊の頃からまるで成長していないな。そんな弟を外に出すわけにはいかん。無責任に放り出したなどという噂が市井に広まれば、男爵失格と謗りを受けることもあるだろう」  ないよ。兄ちゃん、忘れてるかもしれないけど、おれもう成人してんだよ。無防備に寝てる間に何か危険な目に遭ったとしても自己責任なの。相変わらずぶっ飛んだ理屈を捏ねてんなぁ。要はおれと兄弟水入らずの時間を過ごしたいってことでしょ。回りくどいんだから、もう。 「じゃあ、兄ちゃんの名誉のためにも、おれの身の安全のためにも、お昼寝が必要なくなるまで養って。あ、荷物は後でおれの部屋に運んでおいてね。重たくて運ぶの疲れちゃった」 「仕方のない奴だな。おまえは本当に手がかかる」 「そうだよ。兄ちゃんだけが頼りなんだから見捨てちゃダメだよ」 「いいだろう。あの男と違い、こちらには甲斐性があるからな。好きなだけ家にいるといい」 「やったぁ。兄ちゃん大好き」  兄ちゃんはもう書類に視線を落としてたけどウキウキしてるのが丸わかりだった。よしよし。第一関門突破。  さすがのシモンも、兄ちゃんを倒してまで追ってこないでしょ。  意気揚々と自室に戻ろうとする。そしたら兄ちゃんが「そういえば、」と唐突に思い出したような声を出した。  背中に投げかけられた言葉で振り返る。先程とは打って変わって目が合わなかった。  うわぁ、嫌な予感がする。言いづらいことを言うときのクセが出てる。 「その、あれだ。あれも――ライルも屋敷にいるぞ。おまえが顔を合わせたくないなら地下室にでも閉じ込めておくが」 「マジで?」  兄ちゃんそれ、絶対に言うタイミング窺ってたでしょ。で、言えなくて最後の最後で引き止めてくるっていうね。  ライル兄ちゃんかぁ。そういえば結局あのあと無罪になったんだっけ。あの状態からの逆転勝訴って、どんな魔法使ったんだよ。ほぼ不可能でしょ。  腕組みしながら唸ってたら、兄ちゃんがソワソワし始めた。服についた糸屑を取るフリしてる。あのねぇ、おれもガキじゃねぇんだから上手くやるって。そのくらいの覚悟も胆力も身につけた大人になったから帰ってきたの。 「いや、いいよ。兄ちゃんも丸くなった頃でしょ。会ったら投げキッスでもしてやろうかな」 「ライルなんかにくれてやるのはもったいない。俺にしておけ」 「えー。やだぁ」  戯言を笑い飛ばして、笑顔のままドアを閉めた。ああ見えて他人の感情の機微に敏感なんだよ、兄貴は。少しでも嫌そうな顔をしようものなら本当にライル兄ちゃんのことを監禁しかねない。  あぶねー、まだ聞かなきゃいけないことがあるから面会不可にされたら困る。  ここにいる可能性は頭にあったけど、いざ現実となると緊張しちゃうね。おれの薬を盗み出したことについては、ちゃあんと思い出してるから。  どうしようかなぁ。話しかけるきっかけが見つからない。シュミレーションしてみようかな。  ハロー、クソ兄貴。  おれに何か言うことあるんじゃない?  せめて頭を下げるくらいはしてほしいな。  まぁ……謝って済むことでもないけどね。  レイン兄ちゃんは厳格で、規則を重んじる。一度決めたことは曲げないし、交わした約束を反故にしようものなら地の果てまで追いかけてくる。  だから長旅ですごーく疲れてたけど、翌朝おれは太陽が昇り始めて朝露が落ちきらない時間帯に起きる羽目になった。ごはんを一緒に食べるって言わなきゃ良かったな。レイン兄ちゃんの起床がニワトリより早いことを忘れてた。  無駄に長いテーブルに朝食が並ぶ。兄ちゃんは家主だからお誕生日席で、おれは斜向かいに座った。  目を擦りながら大欠伸をする。あー、ねむ。 「今日は何をするんだ?」 「んー……ヨガと瞑想かな。最近ハマってるんだよね」  ヨガも瞑想もしたことないけど適当な返事でお茶を濁した。オナニー以外にやることない。一応、周りには使用人たちもいるから下ネタは控えることにした。男爵の弟としての立場はよく分かってるつもり。言葉遣いには気をつけましょう。  仕事する気も起きないしダラダラしてようかな。 「兄ちゃんは仕事?」 「ああ。ライルも無職だからな。おまえたちを養うためにも働かなければ」  なんかごめんね、扶養家族増やしちゃって。しばらくしたらおれも働くからね。 「気晴らしくらいなら付き合うよ。一日中、書類と睨めっこしてると疲れるだろ」 「合間に適度に息抜きはしているから問題ない。それに書類仕事ばかりをしているわけじゃないからな。来客があれば対応するし、逆にこちらから出向くこともある。確か、今日はアルスタッド子爵が来ると言っていたな」 「アルスタッド? 誰それ」  聞き覚えがあるような、ないような。 「ダルティア様だ。知ってるだろう。昔はライルとつるんで、よくカジノ荒らしをしていた男だ。今はまともに貴族としての勤めを果たしているようだがな」 「あー。あのドヘンタイ卿?」 「ああ。以前はやけにおまえに執着していたが近頃は大人しくなったようだな。ヤツが我が家に来ると、しつこくルイに話しかけるものだから、ライルが怒って叩き出したくらいには酷かったものな」 「昔っから、常にハァハァしてて気持ち悪かった。兄ちゃんが『オレの弟に二度と話しかけるな』って本気でキレてくれなかったら、一生付き纏われてたね」  ドヘンタイは未だ健在ということは伏せておく。いくら記憶がなかったとはいえ、あいつと緊縛プレイをしようとしたなんて知れたら末代までの恥だ。 「でもあいつとウチって何の繋がりがあるの? 前の子爵はまともだったから付き合いはあったけどさ、ダルティアなんて資産を食い潰すだけの無能でしょ」 「それがそうでもないみたいでな。今は隣国との交易を盛んに行なっている。友好にしておく分には損がない相手だ」 「ふーん、意外。じゃあウチは、その交易とやらに一枚噛ませてもらってるわけ?」 「まぁ、そういうことだ」  ちゃっかりしてんなぁ。確かにダルティア本人のヘキには相当問題があるけど、金が絡んでくるなら話が変わってくる。男爵領を豊かにするために兄ちゃんは骨身を削って働いてるわけだし。  領民の数を指を折って数える。  うん。そこにニートが一人増えたところで誤差だな。  パンを千切って口に運ぶ。食事の時間っていうのは便利だね。喋る口を塞いでしまえば余計なことを言わなくて済むから。  久々だからっていうのも理由の一つなんだろうけど、兄ちゃんが過剰におれの顔色を窺うせいで、すっげーやりずらい。空気がギッシギシなんだけど、これどうしたらいい? 普通にしててくんねぇかな。レイン兄ちゃんには何もされてないんだし。  でもまぁ、ライル兄ちゃんがやらかしたせいで一時期引きこもってた弟が、ヤケを起こして駆け落ちしたように見えてるんだろう。それで、その恋人とも喧嘩別れして出戻ってきたと。  兄ちゃんじゃなくても気を遣うか。 「シモンと別れたのって、おれに悪いところがあったからだと思う?」  話題を変えようとしたら変な質問になっちゃった。おれも緊張してんのかな。  兄ちゃんは食後の紅茶の香りを吸い込んでから、たっぷりと時間を置いた。質問がダル過ぎて無視されたのかなって思うくらいの間があった後で、「知らん」と返事がある。 「おまえの言い分では、あっちが酷いことをしてきたんだろう。それならおまえは悪くないんじゃないか」 「でもほら、シモンって尽くすタイプだろ。おれのお願いは全部叶えてくれるし、喜ばせようとしてくる。それなのにわざわざ嫌がってることをしてきたのには理由があるのかなって」 「直接聞けばいいだろう。まあ、十中八九、『そうしたほうがルイは幸せになると思ったから』って返ってくるだろうがな」 「おれの意志をガン無視してんのに?」 「正しく導いてやってるつもりなんじゃないか。幼い頃からあれだけ『シモン教えて』とまとわりつかれていれば、気負って暴走することもあるだろう」  兄ちゃんは顔を上げて、おれの頭の上のほうを見る。振り返っても何もない。時計を確認したのかな。 「ルイはあの男を前にすると好き放題、我儘に振る舞うからな。身内だけに見せる甘えだと分かっているから、俺からしてみれば可愛いものだが、必死に考えた結果、当の恋人から『そんなことして欲しくなかった』なんて言われたらパンクするのも分かる」 「おれ、ちゃんと最初にイヤって言ってるよ。やけにシモンの肩を持つけどさぁ、もしかして連絡取り合ったりする?」 「なぜ俺がヤツに連絡してやらねばならんのだ。ただ、可愛い弟に振り回された経験がある者としての意見を述べたまでだ」 「なにそれ。兄ちゃんもおれに我儘言われるの嫌だったってこと?」  ちょっと泣きそうになりながら訊いた。レイン兄ちゃんの指摘がグサグサと胸に刺さってる。何だよぉ。そんなにおれのこと面倒くせぇ奴だと思ってたのかよ。 「少し手心を加えてやれという話だ。恋人が思い通りに愛してくれないからといって、かけてくれた愛情そのものを切って捨てるようなことをするな。あの図太い男でも、さすがに泣くぞ」 「おれはただ、シモンにそばにいて欲しかっただけだよ。元気が出るまで抱きしめてくれるだけで良かった。魔法で何とかしてくれなんて頼んでない」  ああ、そうか。それをおれはあいつに伝えてないわけね。  急に腑に落ちて、息を吐きながら背もたれに寄りかかった。それを最初に言ってやらなかったから、あいつはあいつで結論を出したってことか。  おれの幸せとは何ぞやとか考えちゃったのかな。そんなの分かりきってるのにって思うのは傲慢なんだろう。前提条件を伝えてないから、シモンはズレた答えに辿り着いたわけだし。 「あいつが何考えてるのか分からなくて、すごく不安だったんだよね。別れたくてわざと嫌がらせでやってんのかなって思ったら悲しくなって、キレ散らかして縛り上げて出てきちゃった。今度こそ愛想が尽きたのはあっちのほうかも」  びっくりした顔してたもん。シモンのこと、言葉が足りないって思ってたけど、それはおれのほうも同じだった。えーん。恥ずかしいよぉ。身も蓋もない言い方をするなら、思い通りにならなくて癇癪を起こしてたってことでしょ。穴があったら入りたい。普段は入れられる側なんですけどね。  おまけに当然のように追いかけてきてくれると思ってたことが傷を抉る。何が『さすがのシモンも、兄ちゃんを倒してまで追ってこないでしょ』だ。どんだけあいつの好意の上にあぐらかいてるんだよ。 「兄ちゃん、どうしよ。シモンに嫌われたら、おれ生きていけないよぉ……」  べそべそ泣いて縋る。自分が情けなくて涙が出てきた。 「いや、それはないと思うが」  ちらちらと余所見をしながら慰められる。また時計見てんの? 失恋して落ち込んでる弟より仕事の時間? 血も涙もないったら。 「あの男がルイを手放すなんて天地がひっくり返ってもないと思うがな」  じゃあ何で迎えにきてくれないんだよ。  テーブルに伏して泣き喚く。フォークが落ちたけど構うものか。だってシモンが本当に別れるって決めたら、おれがいくらお願いしたって振り向いてくれないに決まってる。あいつはね、隠してるつもりみたいだったけど、すごくモテる。ラブレターだって山程もらってるのを知ってる。本気で相手を見つけようと思えば、すぐに誰かに持っていかれて二度とおれの元には返ってこない。ハイスペ彼女とお幸せになる姿が目に浮かぶ。  手に負えないと判断されたんだろう。兄ちゃんはおれを一人してくれた。そうだよな、いい歳して我儘放題してフられた弟の面倒なんか見てられないよな。  不貞腐れているうちに眠くなってきた。食卓のテーブルに頬をつける。冷たくて気持ちが良くて、微睡んでいるうちに本当に寝てしまった。  不意にふわりと身体が浮き上がる感覚があった。覚醒しきらない意識の中で運ばれているのが分かる。兄ちゃんが様子を見に来てくれたのかもしれない。 「にいちゃ、ありがとね」  口が回らない。胸板にカピカピになった顔面を擦りつけて再び目を閉じた。 「バカだな、ルイは」  優しく甘やかすような声が聞こえた気がしたけれど、都合の良い夢なんだろう。こんなところにシモンがいるはずないんだから。  瞼を開けると、二対の瞳と目が合った。 「起きたわ」 「どんだけ寝るんだよ。もう昼過ぎだぞ」  上半身を起こすと、スーとルーがひらりと舞い上がった。頭の周りで飛ばれると羽虫みたいで鬱陶しい。手で払うと、二匹はベッドに着地した。  スーが天使で、ルーが悪魔。分かりづらいから今後も天使と悪魔で。 「やべー。朝メシ食った後からの記憶ない」 「兄貴相手にガキみたいにワンワン泣き喚いて最高に情けなかったぞ」 「ルイは疲れてたのよ。このところほとんど寝れてなかったじゃない。充分な休息が取れていない人間の精神は不安定になるものよ」 「だからってギャン泣きした後で、あんなスッと寝るかぁ? 失神かと思って焦ったぞ」  お恥ずかしい限りで。おれもあんなにスムーズな入眠をキメるとは思ってなかった。頭がスッキリしてる。思考がクリアだと調子が良いね。気分は落ち込んでるけど。  天使と悪魔がいるってことは、まだシモンに見捨てられてはないってことなのかもしれない。もしくは近いうちに引導を渡されるか。長い間おれと一緒にいたから、こいつらごと捨てられたパターンもあるな。主人に見限られるなんて可哀想に。 「おい。心配してやってるのに、こいつ今すごく失礼なこと考えてる顔してたぞ」 「シテナイヨー」 「大方、オレ等ごとシモンに捨てられたとでも思ってるんだろうがな、的外れも甚だしい。本来ならオレたちみたいな高位の精霊がガキのお守りに使われるなんて有り得ねぇんだよ」 「二人がいくらシモンのお気に入りでも、人の心って移り変わるものだからね。今頃もっと有能で強い精霊と契約してる最中かも。おーよしよし。捨てられたもの同士、傷を舐め合おうな」  二匹をそっと胸に抱くと「やーめーろー!」「ルイと一緒にしないでよ!」とそれぞれ喚いていた。 「でもさぁ、シモンの性格上、今のところ何もアクションを起こしてこないっていうことは、そういうことなんじゃない? あいつ自分は穏やかで理性的ですみたいなツラしてるけど直情型だし我慢もできないもん」  逃げるまでもなく追いかけられてすらいないっていうね。脳裏を『別れ』の文字がちらついてる。 「近くにはいるぞ」 「そうよ。ものすごーく近くには来てるの。何で姿を見せないのかは私たちには分からないけど」 「あ、そっか。おまえらはお互いの居場所を探知できるんだったな」  じゃあやっぱり会いたくないってことじゃねーか。  無言の拒絶って辛いね。おれまた泣いちゃいそう。  ズーンと沈んだ空気を打破しようとしたのか、悪魔が珍しく気を遣い始める。 「散歩でもして気分転換してこいよ。引きこもってウジウジと考え込んでるからネガティブなことしか考えられなくなるんだ」 「誰が陰キャだよ。どう考えても淫のほうだろ」 「おまえの淫乱キャラがフェイクってことは割れてるんだよ」  フェイクじゃねぇ。淫キャになる相手がシモンに限定されてるだけ。  話を逸らそうとしたけど精霊たちはどうしてもおれを外に出したいようだった。背中を押されて渋々と靴を履く。  はぁ。かったるい。めんどくさい。でも今戻ったら、あいつらにまた追い出されそう。  太陽とは昔からどうにも相性が悪いんだよねぇ。夜型ってこともあるし、何より陽射しが嫌い。おれの目って色素が薄いから太陽光のダイレクトアタックを喰らうと翌日までダメージを引きずる。同じく肌も弱いから日焼けも最悪。  屋敷外に出るつもりはないから庭に足を運ぶ。男爵家の庭園は広くて、整然と並んだマス目状の通路のせいで、自分の現在地が分からなくなるという最悪な設計だった。背丈よりも高い生垣に挟まれると植物に迫られてるみたいで肩身が狭い。さすがに守備範囲は人間に限られてるから花に求愛されても困るんだよね。何言ってるか分かんない? 花粉がすげぇって話だよ。  くしゃみと鼻水に悩まされながらジグザグに進んでいった。花の種類が変わるくらいで景色にほとんど変化はない。整頓されているようで乱雑な雰囲気を感じた。おれの今の心の中みたいだね。センチメンタルに浸るためには場所のチョイスを間違えた感がある。  庭園の中央部にある東屋を目指していた。一応、子どもの頃から慣れた場所だから勘で歩いていても何となく目的地までの道順は分かる。  東屋には先客がいた。  俯いてベンチに座り込む男が一人。  あまりの変わり様に一瞬、誰かは分からなかった。あれ、ライル兄ちゃんだ。  着ている服がブカブカに見えるくらい痩せてる。こけた頬の輪郭を縁取る髪は長い間手入れをされていないようだった。 「兄ちゃん……」  ライル兄ちゃんはワンテンポ遅れて、ようやくおれの気配に気付いた。ゆっくりと顔が持ち上がって、窪んだ目元が露わになる。憔悴しきった様子に二の句が継げない。  おれ、兄ちゃんに会ったら、たくさん言いたいことがあったんだよ。 「ルイ。帰ってたのか」  思ってたより、しっかりとした声音だった。これで死にそうな声出されたら、おれは一目散に逃げ出してたね。  兄ちゃんが立ちあがろうとしてよろめく。思わず手を差し出して支えた。 「随分と痩せたね。病気? 体調崩してんの?」 「……色々あっただろう。この数年で」  あったよ。そうだけどさ、これは想像してなかった。なんなら開き直ってるかもしれないと思ってたよ。だって兄ちゃんってそういうクソなところがあったもん。  ベンチに座らせて、迷ってから少し離れたところに腰を下ろした。 「元気だったか?」 「うん。割と楽しくやってた」 「そうか」  居心地が悪い。元々、仲良しこよしの関係じゃなかったけど、それにしても空気が重い。  昔はガチムチ三人衆の一角を担ってた兄貴が今はもやしみたいに萎れてる。ちなみに他の三人衆の内訳は親父とレイン兄ちゃんね。 「あれだな……釈放されたら、ずっと言おうと思ってた。おまえの薬を盗んで悪かった。反省してる」 「盗んだのは本当だったんだ。本音を言うと、まずそこから疑ってたよ」  盗むより脅して奪い取る人だと思ってた。 「上官の娘だっけ? その人を無理矢理、その、なんていうか、手を出したってのはマジ?」 「そっちは事実と異なる。……裁判がどうなったのか知らないのか?」 「無罪になったってことだけは聞いた」  兄ちゃんはひび割れた唇を舐めた。 「オレは窃盗はしたが強姦はしていない。裁判中、被害者が公爵令嬢ってことで、魔法使いたちへ大々的な捜査協力が要請された。魔法は嘘をつかないからな。そこで現場に残された体液とオレのものが一致しないことと、供述にも偽りないことが証明された」  何でおれがそれを知らないのかというと、裁判中に心の調子を崩して外からの情報を一切遮断してたから。その状態のままシモンに記憶を消されてる。今兄ちゃんが言ったことは、再会する前に調べれば分かったことなのかもしれない。でも、その勇気が今の今まで出なかった。 「おれ、兄ちゃんの無実を信じてたわけじゃないけど、本当にあんな事件を起こしたんだったら親父に殺されるだろうなって思ってた」 「弟のものを勝手に持っていったことに関しては半殺しにされた。レインとマイラにもボコボコにされたよ。オレがやらかしたせいでルイが思いつめて、身投げ覚悟で駆け落ちしたんだって母ちゃんが泣いてた。あれが一番効いたな」 「身投げしてねーし、駆け落ちでもないけどな」  兄ちゃんは「そうみたいだな」って少しだけ笑った。 「んで、真犯人は誰だったん? 少なくとも被害者がいるんだから加害者もどこかにいるはずだろ」 「それが……公爵側が被害届を取り下げたらしくて有耶無耶になってる」  それもまた変な話だな。兄ちゃんが無罪(ただしおれの薬は盗んでるけど!)なら深追いするべきじゃないのかもしれない。  釈然としないけど、おれは探偵でも刑事でもない。謝ってくれたし、こんなヨボヨボになってると思わなかったけど、そんだけ反省してくれたなら正直もういいかな。結局何のために媚薬を盗んだのかは気になるけどね。 「ニートしてるってレイン兄ちゃんに聞いたよ」 「ああ。兄貴にずっと頼るわけにはいかないから、最近は短期間で働いている」 「へー」  クソほど興味ないけど、ついでにどこで働いてるのかを聞こうとした。  瞬間、背筋がゾワリと粟立つ。  振り返ると、近くの茂みから長身の男が飛び出してきた。 「ルイ様ぁっ! ルイ様ではございませんかっ! ご機嫌うるわしゅうぅ」 「ゲッ。ダルティアだ」  タイミング最悪。擦り寄ってくる男を蹴飛ばした。  ねぇ、何なのコイツ。この前の緊縛プレイから全く懲りてないじゃん。こわいってぇ。 「ルイさまっ、ルイさまぁっ! ルイ様の足の匂いは甘美で香しい! その蔑むような表情がたまりませんなぁっ。わたくし、興奮してまいりました!」  元気過ぎる。誰かこのヘンタイを逮捕してほしい。鼻息が足の裏にかかって気持ち悪いんだけど。  必死で引き剥がそうとしていたら、不意に太腿を掴む力が弱まった。  ダルティアの目がスッと感情を消えている。その視線の先には兄ちゃんがいた。 「おやぁ? ライル様ではございませんか。いらっしゃったのですね。不肖ダルティア、ルイ様のこととなると視野が狭くなるようです」  打って変わって大人しくなったヘンタイを見つめた。え? 何その温度差。兄ちゃんとは仲良かったじゃん。何でそんな冷めたかんじなの? 「だ、ダルティア様……お世話になっております」  そんで兄ちゃんの明らかにダルティアにビビってる感じは何? あのダルティアだよ? ただの緊縛プレイ愛好家を怖がる必要ある?  ……いや、こわいわ。絵面がエグかったから未だに悪夢を見るもん。 「兄ちゃんも縛られたの?」  コソコソと耳打ちすると「ハ? 何て?」と聞き返された。あ、違うみたい。吊るされた間抜けは、おれだけか。 「ライル様には、わたくしの事業のお手伝いをしていただいているのですよ。その際にちょーっと厳しくするときもありますが、ビジネスの場というのは常に戦場。取った取られた縛られたと乱れながらも利益を上げていくものなのです」  途中ちょっと意味が分からない部分があったけど、兄ちゃんの社会復帰の一助になってくれているらしい。おれは個人事業主みたいなものだから上司なんてものはいないけど、勤め人にとっては大層怖い存在ということは知ってる。  ダルティアが上司だから怖がってんのかなって最初は思った。  ヘンタイはおれを見かけたから絡みに来ただけのようで、追加でニ、三回蹴ってやったら満足したらしい。「それでは次のクライアントを待たせておりますので〜」と颯爽と去っていった。  そして残されたおれは兄ちゃんを観察する。  いやいやいやいや、唇真っ青、顔面真っ白なんですけど。普通、たかが上司相手にそこまで過剰反応する?  怪しいなぁ。絶対に何かあるだろ、おまえら。 「仕事ってさぁ、何してんの?」 「物資の梱包作業が多いな」 「具体的には何を扱ってんの?」 「オレは箱に詰めるだけだから中身までは知らない」 「ふーん。そうなんだぁ」  違法なものとか詰めてないよね? まさかダルティアに脅されてアウトローなことに手を染めてたりする? ていうか、三年前のときもあいつに言われてやったとか?  想像が嫌な方向に膨らんでいく。  追求を避けるように、そそくさと兄ちゃんも屋敷に戻ってしまった。一人残されて大きな溜め息をつく。  ええー。これっておれが解明しなきゃいけないかんじ? 嘘でしょお。一件落着の空気になってたじゃん。  こっちは恋人に捨てられるかどうかの瀬戸際なんだってば。勘弁してよ。  深夜、外でフクロウが鳴く声が響く。  ベッドに入っても全く寝付けずにいた。頭の中で考え事が永遠にぐるぐると回ってる。一人で悩んでいても解決しないことだと分かってるけど忘れることもできない。何度目かの寝返りの後で諦めて起きることにした。  枕元の灯りを小さく絞って、手元だけを照らす。ベッドの近くに放置していた鞄を手繰り寄せ、あーでもないこーでもないと中身を探って、ようやくお目当ての物を探り当てることができた。  テッテレー。超特大ディルドー。  この世に一つしかない特別製だ。なんたってシモンのちんちんの型を取って作ったからね。  記憶がないときは、何でこんな立派なブツが鞄の中に入ってるんだろうって不思議に思ってたんだよね。嫌がる恋人に甘え倒して型を取った過去のおれ、グッジョブ。寂しい夜はコレだよ、コレ。  シモンディルドは血管がバッキバキに浮いている。透明なボディをしているのに大きさはまさに凶器。ずっしりした重みが手のひらに乗る。  さっきから乳首を甘弄りして発散しようとしてたけど、やっぱ下でイかないとスッキリしない。  本物のちんこよりも遥かに硬いそれを口に含んだ。  唾液で濡らして裏筋に舌を這わせる。  もうねぇ、何も考えたくないの。誰がライル兄ちゃんに罪を着せたのかとか、ダルティアと兄ちゃんの関係とか、シモンは本当におれのこと嫌いになっちゃったのかなとか。全部棚上げして頭の中を空っぽにしたい。  身体は冷たいままで高揚感もない。目を閉じて元恋人にフェラしてるときのことを思い出そうとする。最初は耳をくすぐってくるんだよ。気持ち良くなってくると頭を撫でてくれる。イキそうだと頭の後ろを押さえて喉奥まで突っ込んできて、苦しくて咳き込むとまた優しくしてくれる。  想像しながら、何の反応も返してこない無機質なディルドを舐め続けた。  最中に胸を触ってくれることもある。自分で弄ると全然感覚が違うけど我慢した。  口の端から唾液が垂れる。シモンだったら掬い取ってちんちんに纏わせる。ボタボタとシーツに落ちるから虚しい。 「うぅ……ぐすっ……シモンがいいよぉ……」  こんな偽物ディルドじゃなくて本物がいい。泣きながら充分に濡れたそれを後ろに宛てがう。  シモンがいい。オナニーなんてつまんない。おもちゃを使うのだって、あいつが見てる前でするのがイイのであって、一人では何も盛り上がらない。 「あっ、うう……」  後ろの穴が先端を呑み込む。大きさは同じに作ってあっても入れた瞬間に別物って分かる。それでも奥へ奥へと突き入れる。半ば意地だった。気持ち良くならなきゃ。これに慣れないといけない。もうあいつに抱いてもらえることはないかもしれないんだから。  内側の膨らんだところを慎重に擦る。ここがルイのイイところだもんねって、シモンが言ってたことを頭の中で反芻する。そうやって得意げにしながら目を眇めるのが好きだったんだよ。すっげぇエロかったし、カッコ良かった。  思い出しながら抜き差しすると中がよく絞まる。 「すきっ、しもん、すき……」  イけそうなのにイけない。うまく腰を動かせなくて、なんとか達しそうになっても怖くて途中でやめてしまう。そういうときは、目の前の恋人にしがみついていれば気持ち良くしてくれた。 「できないぃ。こんなのヤダ!」  ディルドを引き抜いて投げ捨てた。床に落ちる音が追いかけてきて余計に惨めだ。枕に顔を押しつけて嗚咽を堪えた。  オナニーも満足にできない。シモンがおれの身体をそういうふうにしたのに、あいつはもうおれのことなんてどうでもいいんだ!  ケツ丸出しで泣いている姿は、さぞ間抜けだろう。でもいいもんね。誰に見られてるわけでもないから思う存分、シモンへの苦情と文句と、あとちょっとだけ謝る練習をした。  眠くなってきた。泣き喚かないと寝れなくなっちゃったのかも。睡眠薬でも作ろうかな。ついでにそれ売って小遣い稼ぎしよ。  傍らに誰かが立ったような気配がある。寝ぼけ眼で見上げて、その男に腕を伸ばした。 「おれのこと、捨てないでよ」  シモンの顔と身体をしてるけど、どうせ夢なんだろう。夢でも嬉しいよ。おれ、おまえがいないとダメになっちゃった。 「ルイ、もう怒ってない?」  怒ってないよ。だからおまえも、おれのこと許して。 「よかった」  夢の中のシモンは嬉しそうに顔を綻ばせる。  おれをそっと抱き寄せて、「ごめんね」と囁いた。

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