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第8話 大きな背中

揺れると腰に響く。抱かれて砕けた腰に効く薬も調合したい。 「荷物は運ばせる。とりあえずは使っていない離れを作業場にして新しく建てるから待ってくれ」 「ちょ、待て待て待て!お前の家に泊まるのって、腰が痛い間だけじゃねーの!?」 俺を背負って下山する男の肩を叩くと「しっかり掴まれ」と指摘されて大人しく首に腕を巻き付けた。 今のところ、俺にとっての印象は肉体関係のある得体の知れない男止まりなんだけど。 「名前。」 「は?」 「恋人なんだから名前で呼べ」 「……無理矢理ヤらせたのは悪かったけどさ…俺、お前の名前知らないし」 「……はー…」 何度も恋人と言われて困るし、名前を知らないのに名前を呼べと言われても困る。 盛大に溜め息をつかれた後に「リオネル」と不機嫌そうに名乗られた。 「あ、薬屋で聞いたか?それ」 「言った。よろしくと挨拶もした」 「悪かったって。本当なら今も人とは関わりたくないくらいだし…ごめんってリオネル」 俺の視界には後頭部しか見えないけど、それ以上は言及もされないし大丈夫だろと揺れる腰の痛みに意識を戻した。 俺は誰とも関わらずに生きていきたいけど、金を稼がなければならないから薬屋の店長とはやりとりしていた。 コイツは客と思えば…まぁ…しつこいけど害は無さそうだし。 「まぁ、想定より大幅に前進したからいい」 「あっそ…」 知り合いと友人断られて恋人に立候補してくる奴とかなかなか居ないと思うけど。俺はなんであの時ブチ切れて薬を飲んだのか。 ほぼ獣道の山道をスイスイ降りるリオネルに、鍛えられた身体は違うなと感心する。俺はいつも下るのも登るのも苦労しっぱなしだ。熊にも警戒しないといけない─── チリン、チリン。 「ッ……」 「…大丈夫だノア。俺が守るし、熊じゃない可能性の方が高い」 「ごめ、俺」 「大丈夫だ」 家の周辺には鈴を付けた紐を張り巡らせてある。熊避けの意味もあるし、それ以外の侵入者への警告も兼ねて罠もあちこち仕掛けてある。だって俺が所有する山だし、好きにしていいだろって。 もうとっくに治って痕が残っただけなのに、ジクジクと痛みを訴えるのは俺が過去に囚われているから。 死を間近に感じた恐怖と、前世の記憶こそあれ同じ人間だと思っていたこの世界の人間に差し出され、囮に使われた命の軽さに突き落とされた絶望は今も消えず、俺の痛みとなって頻繁に苦しめてくる。 「あぁ、鹿だな。ノア、左後方だ」 「……ほんとだ。よかった…あ、ごめん!首、苦しかったよな」 恐怖ですぐに周りが見えなくなるのも、あの日から出来た悪癖のようなものだ。もはや熊が怖いのか、鈴の音が怖いのかわからない。 緊張して固くなった腕の力を解くと、「一旦降ろすぞ」とリオネルがその場にゆっくりしゃがんだ。 身体を包んだローブ越しに硬い土の感触が腰の痛みを強調してくる。考えてみれば、大人の男を背負って山下りとは無茶な事をしているものだ。 疲れたろうに、俺もどうにか歩けないかと考えていると大きな手が俺の左の頬を包んだ。 「いつもは、道中で鈴の音が聴こえた時はどうしてる?」 「そりゃ…近くに隠れるか、離れる為に来た道を戻ったりするけど」 「…怖いけど、人の多い街で暮らすのは嫌か?」 「………嫌だ。いっそのこと俺がこの世界から消えて、なくなれたら良かった。でも俺は臆病だから、逃げて怯えて暮らすしか出来ない」 リオネルの瞳は、自白剤と同じ色だ。見ているとなんだかソワソワする。全部を暴かれてしまいそうで。 親指が目元の傷痕を撫でて、こんな醜いものによく触れられるなと感心した。辛うじて失明だけはしなかった左目からは、ぼやけた世界しか映さない。 「お前は、助けを求めないのか」 「誰が助けるんだっての、こんな醜男」 「そうじゃない!……そうじゃない。」 なんでお前が痛そうな顔をするんだろう。 目から口へ、痕を撫でられて俺はマスクをしていない事に気がついた。外へ出る時は常にしていたのに、今の俺はローブを羽織っているだけだ。 マスクをしないで吸う森の空気はこんなに美味しくて、楽なものなのかと知った。 「……帰りたい」 「帰さない。俺に恋人を守らせてくれ、ノア」 そうじゃないんだけどな…リオネルが言っている事が俺に伝わらないように、俺の気持ちもリオネルに伝わらない。だってどちらも必要以下でしか話していないから。 「どうにか、俺も歩くよ」 「それも拒否する。もうすぐ街だが、ローブをしっかり被らなくて大丈夫か?」 「あ…マスクどころかローブまで被ってなかった…今日の俺、抜けてんのな」 間抜けだなぁって笑ってしまって、自覚して驚いたらリオネルの顔が近付いてきた。 ──俺達は、恋人と言ってもそんなに甘い関係じゃない。 その行動がなんでか分からなくて、とっさに両目をギュッと瞑ったら左瞼に唇が押し付けられた。 「…行こう。背中に掴まって」 「……変な奴」 大きな背中にしがみつく。 なんだか少し、眠くなった。

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