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第七章:其の四:はらりと落ちるや、秋の枝
***荻窪の日常***
「先生、そろそろ焼き芋が出来そうですよ。」
高梨が庭に面した硝子扉を開けて、荻窪にそう声をかけた。
外界と隔離されていたかのような孤独感を味わっていた荻窪は、その言葉に、は、とする。
「あ、ああ。ありがとう、高梨くん。」
慌てたように返事をして、書斎にあったちびの牽き綱(これもまた、高梨からちびへの贈り物だ)をちびに結わえ付けた。
突っ掛けを履いて、ちびとともに庭へ降りると、高梨が軍手をしてさつまいもを焼いているところだった。背広に庭箒(にわぼうき)、そして軍手。
統一感のなさに、思わず荻窪の口端に笑みが漏れる。似合わないといえば、似合わない。
「どうだい? 焼けているかい?」
荻窪は高梨が持っている焼き芋を、覗き込んだ。黄金色に甘そうな実からはほくほくと湯気が立つ。
いい匂いだな、荻窪は焼き芋の甘い匂いと香ばしさに懐かしささえ感じた。
「これがよく焼けていますよ。」
高梨が差し出すそれは、熱くないように新聞紙で包まれている。
そういった心配りを、高梨はごく自然に、当然にしてしまうことがすでに、彼の育ちがいかに良いかを知らしめる。
「ありがとう。きみの幼馴染殿がお裾分けしてくれたからね、しっかり味わって食べないと。」
冗談めかしたその言葉は、そのまま焼き芋を頬張る口の中に溶けていった。足元ではちびが、それはなに? とでもいうかのように、鳴き声をあげて騒いでいる。
荻窪はひと口分を手のひらに取ると、ふぅふぅ、と息を吹きかけてからちびに与えた。
「ちびにさつまいもを与えてもいいんですか?」
猫なのに、という言葉が言外から聞こえてくる。
「ああ、少しなら与えてもいいと、昔教わったんだ。」
そう言って、荻窪はちびを愛おしそうに眺めた。
食べ終えたちびが、荻窪を見上げれば「美味しかったかい?」と額を撫でる優しい手。
満足気に喉鳴らすちびを横目に高梨は、手にしていた焼き芋を握りしめた。
荻窪には、出会った当初から踏み込めない一線があることは、知っていた。
それは話す事に顕著になって、高梨はそれがものすごく淋しいと感じてしまう。思わず握りつぶしてしまいそうになった焼き芋は、辛うじて。
荻窪の視線が向けられたから、辛うじて留めることができただけだ。
「高梨くん?」
違和感を覚えた荻窪が、声をかけてその手を掴む。
「せっかくの焼き芋が潰れてしまうよ。」
ゆるりと、荻窪の手が離れていく。高梨の目がそれを追いかけて──また、失敗したような笑顔になった。
***荻窪の怪談***
殺シタ。
アノ人ガ、私ヲ。
ソシテ。
埋メタ。
コノ木ノ下。
無念……。
私ヲ、見ツケテ。
何度も叫ぶが、それは声にはならず。首を絞めて殺されたあの日から、女性は声を失っていた。男の太い親指を押し付けられて、声帯はつぶれてしまった。訴えているのに誰も気付かず、叫んでいるのに誰にも聞こえず。
私ハ、ココニ居ルノニ……。
とうに涙も枯れ果てて。どうして気が付いてくれないの、どうして、ねぇ、どうして……?! やはり、声はどこにも届かない。女性に魅入られた男といえば、いまは存在し得ない女の影を追い続け、職を失った。そろそろ家をも手放すころか。
ただ、からたちの木だけが、ようようと紅い葉をめぐらせて──。
この家の主が、だいぶ前に行方不明になって、その後、夫であった男が後妻を迎えたという話が、まことしやかに「噂」として流れているのである。
***荻窪の日常***
「先生、焼き芋は夕飯にでもしてくださいね。」
山のような焼き芋の量に、荻窪はどうしたものかと考える。つい、全部焼いてしまって、という高梨はなんだかいつもの高梨らしくない気がした。
「ほら、先生、雨も降りそうですし、僕はそろそろお暇します。」
またね、ちび。そう言ってちびの顎を撫でる。
足早に玄関に向かう高梨を追いかけるように、見送りに出てきた荻窪が、絞り出すように告げたのは原稿のことだ。
「できあがっているから、持っていかないか?」
高梨の目はなにかを考えるかのように左下に落ち──す、と荻窪に向き直った。
「明日、また来ます。」
やっぱり、困ったような、失敗したような笑顔を見せる。
それじゃ、と背を向けた高梨に、荻窪は思わず肩を掴んで引き止めていた。
「どうしたんだ、今日はなんだか変だぞ、高梨くん。」
いつもとは違う高梨の様子にしびれを切らした荻窪が、そう心配げに柔らかく問いただす。
手をかけた肩から伝わる、動揺したような小さな動き。
「先生……、僕とさっちゃんはそんなんじゃありません。第一、僕にはそんな気持ちがないんです。誤解しないでください。」
振り返りざま、頭を深く下げた高梨が、早口でそうまくし立て、そのまま玄関から出ていった。
引き止めるまもなく。分かった、と答える間もなく。
おりしも、小雨が降り出してきていた。
荻窪は走り去る高梨の背中を、ただ見送るしかできなかった。
──はらりと落ちるや、秋の枝。
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