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 第十五章:其の一:淡く消ゆる、涙痕

 さらさらと地面を撫でるような冷たい風が、土埃を巻き上げていく。街ゆく人々は薄ら寒くなった季節に合わせて装いを変え、外套を纏ったり、インバネスコートを羽織ったりして、寒さを凌いでいた、そんな時代──。  ***荻窪の視点***  ぼんやりと落ち葉が舞うさまを、出窓から見ていた荻窪は、ちびに足を踏まれてから、は、とする。  何度も鳴いたのだろう、それでも反応がないからと、どこぞから引きずってきたおもちゃの紐をいくつも並べて、むん、というふうに荻窪の素足を踏んでいた。  そんな様子に荻窪は苦笑する。  荻窪の周りには色とりどりのおもちゃの紐が連なっており、そのひとつひとつがすべて、高梨が持ち込んだものであることが心に刺さった。  ちびとて、最近は姿を見せなくなった高梨のことを、恋しく思っているのだろう。  遊べとせがむちびの無邪気さに、荻窪は小さく笑いをこぼす。仕方がないな、とおもちゃのひとつを手に取れば、ちりちりとなる鈴の音に早速釣られるちびがいた。  跳ねたりお尻を振ったり、這いまわってみたりと忙しく遊ぶちびを見ていると、じわり、視界がにじみ出す。薄ぼんやりと高梨の姿を思い出しては、ちびに集中した。  二人でちびと遊んでいた日々を思い出しては、まだ涙腺が緩んでしまう。 『僕、先生のこの手が好きでした。』  最後の高梨の言葉が耳に響いた。いまもまだ、忘れられない、かの愛しい人を。  ちゃりん、と鈴の音がして、ちびが走っていってしまう。荻窪はそれを慌てて、追いかけた。 「待ちなさい、ちびや。」  居間にするりと入り込み、荻窪は慌てて障子を開ける。いつぞやのように、高梨がいるような、そんな気がしたけれど、居やしなかった。  さよならのない別れを告げられたのだから、彼が戻ってくるはずがない。  ちびがおもちゃを置いた、誰も座らないその座布団には、いつも高梨が座っていた。  影を追うかのように、いつも高梨が居たところにちびが行く。それを追いかけては、荻窪は高梨を思い出す。  忘れようにも忘れられず。  そこにはまだ面影があるような気がして、ただ無言のままにちびの姿を目で追った。  空を見上げれば、秋雨が降りそうな鈍色(にびいろ)の雲がどんよりと覆いかぶさり、いつもよりも沈んで見える。  ちびの、誰かを探すような声が、ただ広い荻窪の家にこだました。  この家は、こんなに静かだったのだろうか。  高梨が来る前の頃のことを、思い出せない自分がいた。  こんなはずじゃなかった、と額を抑えるその横で、ちびがすんすんと匂いを嗅いでいる。  いつも高梨がいた場所を、作業していた場所を、そして、小さいのに無理やり着ていた割烹着(かっぽうぎ)を──。

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