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第ニ十章:其の三:外伝二章 香世の場合

ああ それを許容する荻窪もまた、香世にとっては珍しい光景でもある。香世の知る荻窪は、茫洋として、それでも孤独を選んでいるような、一人を好む男だからだ。愛想の良さも計算されている気さえする。  自分が何を言えば相手がどう返すか──頭の中で読んでいそうな男。  こんな男にも人間らしい一面があったとはね、と思いながらも手は休めない。  目の前の男が腹を空かせているのは事実で、なによりも一人の客だからだ、しかも常連の。  有り合わせの野菜炒めと、豚肉の卵とじ、それから白米と味噌汁。香世はそれらを目の前にどん、と並べると、常連用の特別メニューだからさっさと食べな、とばかりにあごでそれらを示した。  荻窪はそれを切れ長の瞳を少しだけ大きくしてから見回して、「ああ、ありがたい、とてもうまそうだよ、香世さん」と小さく漏らした。  荻窪は、どんなに腹を空かしていてもがっつかない。ひと口ひと口をきちんと食べる男だ。味わい、余韻を楽しむかのように食を読む。  香世は黙って荻窪が食べる姿を見つめた。  耳を澄ませてみても聞こえてくるのはごくごく小さな咀嚼音。香世は小さくため息をついてから、開け放たれた入り口から外の通路へと視線を向けた。  外は真昼間だから、人の往来はとても激しい。わいわいとにぎやかだし足音もひっきりなしだ。それなのに、この荻窪という男はとても静かに食べている。外の音が耳に入っていないかのように。  ああ、やれやれ。香世は小さく首を振ると次の客のための下準備を始める。荻窪を迎え入れたとはいえ、店自体はまた開店前なのだ。そして、そんな香世の耳に轟く騒音と、自宅のほうへと追いやったはずのみけがなにかを聞きつけたようにひょっこりと顔を出した。  香世が耳にした騒音はまぎれもなくいつも耳にするその騒音で、みけがそれを聞きつけて顔を出したのも言うまでもない。  いったい、どこからそんな急いで走ってくるんだい、と香世はあきれたように額へと手を当てた。その騒音は外の喧騒と混ざって耳を澄まさなければ聞こえないはずの物音で、それなのに、荻窪はその音でふと顔を上げた。  ばぁん! と大きな音を立てて戸口に掴まった白皙の美青年は乱れた息を整えながら、香世のほうへと顔を向けた。 「香世さん、ここに先生がきてないですか? って……先生!!」  香世にきこうとして即その姿を見つけたその青年は、足音にたがわず大きな声を上げた。香世はああ、うるさい、とでもいうように両耳をふさぎ首を振る。 「にゃあん!」  と黒猫のみけが鳴く。  まるでにぎやかな青年に返事をするように。そしてまた青年もみけへと目を向けた。

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