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過去:僕らと花火とさきイカと

 吊革をつかんだ羊真(ヨウマ)は車窓を眺めていた。  真っ白な雲がところどころに浮いていて、春のおひさまを気持ちよさそうに受けている。  今日は、士狼(シロウ)との初めてのデートだ。  行き先は羊真が選んだ。遊園地だ。  羊真のなかでは、『デート=遊園地』というイメージができあがっていたからだ。 『可愛いよね。そういう純粋なところ』  遊園地デートを提案した際に、士狼にそういわれたことを思い出し、羊真は頬を少し染めた。  吊革につかまりながら、スマートフォンを見ている士狼。 (不思議だなぁ……)  彼の横顔を見ながら、羊真は物思いにふける。  いままで、羊真は誰かを好きになったことすらなかった。  士狼は同性だ。  きっとこの関係は普通じゃない。  それでも、羊真は彼を受け入れたいと思った。  唯一、彼は自分を認めてくれたひとだから。  士狼と視線が合う。  微笑みかけられ、羊真は頬を紅潮させながらニッコリした。    *** 「ね、ね。見て、クマのカチューシャがたっくさん!」  遊園地に到着した二人は、お土産売り場に足を運んだ。  クマ耳カチューシャを手に取った羊真は、その場で試着してみた。  頭がしめつけられる感覚にためらいながら羊真は鏡を見る。 「買ってあげようか?」 「……自分で買いますぅ」  社会人である自分が、大学生の彼に物を買ってもらう訳にはいかない。 「ねぇ、士狼も着けてみてよ」  「えぇ?」士狼があからさまに嫌がった。 「いいから! ね? 着けてみてよ」  これも思い出だから。と、羊真はカチューシャを押し付けるように手渡す。  士狼が渋々といった感じで頭飾りを着けてくれた。  顔が整っているからか、へんてこな飾りを着けても、カッコよく見えてしまう。 「変だろ?」 「全然? ……ねぇ、おそろいで着けようよ」 「……しょうがないな」  少し考えたあと、士狼が頷いてくれた。    ***  おそろいのカチューシャを着けた羊真と士狼は、いくつかのアトラクションに乗った。  そのあと、二人は遊園地の中にあるカフェに入った。  ティーテーブルに着いて待つ。  しばらくして、可愛らしい恰好をしたウエイトレスが、お盆を運んできた。  羊真が注文したのは、オレンジジュースとクマ型のワッフル。  士狼が注文したのは、アイスコーヒーとチュロスだった。 「うわぁ、可愛いなぁ」  クマの形に焼かれたワッフルを見て、羊真は感嘆の声をあげた。 「食べるのもったいないなぁ」 「写真撮ったら?」 「うん、そうする」  羊真は紺のパーカーのポケットから、スマートフォンを取り出した。  カメラアプリを開き、ワッフルにレンズを向ける。  ふと、お菓子の向こうにいる士狼を写真に収めたくなった。  アイスコーヒーのグラスを手に持つ姿が、絵になるほど美しかったから。  ゆっくりとカメラを上げ、ワッフルの横に士狼の顔が映るように撮った。 「今、撮ったろ?」  頬杖を突いた士狼に訊ねられ、ドキリとする。 「……バレちゃった?」 「わかりやす過ぎ」 「えへ、怒んないでね」  羊真は照れ隠しで笑った。    ***  楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。  閉園の二時間前。  すっかり空が暗くなったころ、遊園地の空に花火が咲いた。 「わぁ……!」  特等席からずいぶんと離れたところで、二人はベンチに並んで鑑賞していた。  木の枝や高い建物に邪魔されて、あまりよく見られない。  そのかわりに、あたりに人気(ひとけ)がまったくない。 「疲れたろ?」 「うん、ちょっとだけ」  士狼の問いかけに、羊真は作り笑いを浮かべた。  ちょっとどころではない。だいぶ疲れているからだ。  人混みが苦手なくせに、初めてのデートで舞い上がって、はしゃぎすぎてしまった。  だからこそ。二人だけで休めるこの時間が、羊真には嬉しかった。 「でも、すごく楽しかった。……きっと、士狼と一緒だったからだね」 「……そっか」  羊真は小さな花火を見続けた。  陰に隠れていても。  音しか聞こえなくても。  その景色ひとつひとつが特別で……すべて目に焼きつけたかった。  士狼も同じ気持ちで、ずっと花火を見ていると思っていた。 「羊真」 「うん?」  羊真は花火を見つづけながら返事をした。 「こっち見て」 「どうし——」  ようやく横をむいた瞬間。  はじめての感覚に包まれた。  顎に手を添えられ、初めての口づけを受けた。  彼の整った唇が、柔らかく崩れた。  すぐに離される。  ぽかんと口をあけたままの羊真は、士狼を見あげた。  薄闇の中。花火のかすかな光が、士狼の顔を鮮やかに染める。  正面を向いたままの彼の耳が、燃えるように赤い。 「……あははっ」  突然の出来事をようやく理解した羊真は、ごまかすように笑った。  鼓動が速くなり、首筋に汗がつたうのを感じながら。 「い、いまの……ファーストキス、だった。二十一にもなってさ、あはは……」 「そっか……俺もさ、今の、はじめてだった」 「……そうなの?」  羊真は頓狂な声を上げた。  「うん」と頷いた士狼が、ようやく目を合わせてくれた。  いつもは冷静な彼の瞳が、純粋な心で揺れていた。 「そもそも付き合ったの、羊真が初めてだから」 「……そっか」  互いの初めてを奪いあった二人は、少しの間だけ沈黙した。  花火の音だけが、あたりを支配する。  甘酸っぱい雰囲気のなか、口を開いたのは士狼だった。 「花火……綺麗だな」 「……士狼と一緒だから、ね」  どちらともなく、手を握りあう。 「あのね。僕、人を好きになったことがなかった」  羊真は言葉を紡ぐ。 「友達ができたとき、僕はずっとその人に合わせるようにしてたんだ。そうしないと、嫌われる気がしたから。でも、結局ボロが出て、疎遠になっちゃう。そんなことばかりだった」  士狼が静かに聞いてくれる。 「士狼とは、趣味も立場も違うけど、一緒にいて、とても落ち着くんだ。……きっと、士狼が僕のことを大切にしてくれているからだと思うんだ。こんな人、初めてだよ」  「だからね」羊真の瞳に夜の花が咲いた。 「僕も士狼のことを大事にしたい。これからもよろしくね。恋人としてさ」    ***  士狼は車窓を眺めていた。  一緒にならんで席に座る自分たちの姿が反射している。  お土産を抱えた士狼の肩に、眠りかけている羊真が寄り添っている。  ……家に帰したくない。  今夜はずっと羊真と過ごしたい。  付き合ってからというもの、羊真が無理をしていないかが不安だった。  まだ出会ってから間もないが、羊真の性格はだいたい把握できている。  とにかく自信がない。  初めて会った時に『ううん。昔からなにをやってもダメなんだ』と話していた彼からは、自尊心が欠けているように感じた。  断れないから付き合っているのではないか?  ……それが杞憂だったと知り、安心した。  降りる駅の三つまえで、士狼は羊真を起こした。 「羊真、あのさ。今日、俺の家に泊まらない?」  そう提案すると、羊真がためらうような素振りをみせた。  目を泳がせたり、手をしきりに動かしたり。 「……うん、いいよ」  彼の様子を不思議に思っていると、ようやく羊真が頷いてくれた。    *** 「あぁ、疲れたぁ」  羊真がソファに座り込んだ。  彼の手には、コンビニの袋が握られている。 「便利だよねぇ、最近のコンビニって。パンツまで売ってるんだから」  羊真が袋から酒やつまみ、アイスを取り出し、テーブルに置きはじめた。 「羊真、先に風呂入ってきていいよ」 「ダメだよ。士狼が先」 「それじゃ、じゃんけんで決めるか?」 「わかった」  結局、士狼が勝ち、先にシャワーを浴びはじめた。  熱い湯が、体の疲れをほぐしてくれる。 (……俺、このあと、どうすりゃいいんだろ)  経験のない士狼は悩んだ。  羊真を泊めるのは、これが二回目だ。  初めての時は、ただの知り合いだった。  風呂を使わせ、部屋着を貸し、ソファで寝かせた。  だが今回は、そうする訳にはいかない。  一緒にくつろいで、酒やつまみを楽しんで……きっと、同じベッドで眠ることになるだろう。  疲れているだろう羊真のために、すぐに寝かせるべきだろうか?  それとも、恋人らしいことをしてもよいのだろうか?  ……羊真の様子を見て決めるか。  と、士狼はすぐに風呂からあがった。 「羊真。入っていいぞ」  濡れた髪をタオルで拭きながら、士狼は羊真の背中に声をかけた。  テレビをつけて見ていた羊真が、「うん」と立ち上がった。 「パジャマ、脱衣所に置いてるから」 「ありがとうね」  短い言葉を交わしたあと、羊真が座っていた場所に、士狼は腰かけた。  しばらくして、羊真が風呂から上がった。  貸した部屋着を小柄な羊真が着ると、まるで子どものように見える。  冷蔵庫で冷やしていた酒の缶を開ける。  羊真が「美味しそう」と選んだ酒は、度数がやや高いものだった。  大丈夫かと不安に思っていたが……案の定、頬が酒気を帯びた。  「士狼ってさ」さきイカをモニュモニュと食べた羊真に訊ねられる。 「本当に、誰とも付き合った経験ないの?」 「経験があるっていうならともかく、経験がないって嘘吐く必要あると思う?」 「……そうだね」  羊真が酒をゴクゴクと飲んだ。 「……ねぇ。今日泊めてくれたのって、なんで?」  その問いに、一瞬だけ体を強張らせてしまう。  羊真自身、恋人として初めての夜に、思うところがあるのだろう。  「もうすこし一緒にいたいと思ったから。それと——」士狼は息を吐いた。「もうすこし、羊真と触れあいたいと思ったから」  柔らかな表現を使い、一歩踏みだした。 「やっぱり。……そうだよね」  羊真の顔が赤いのが、酒のせいだけでなくなる。  ……もしかすると、勇気をもらうために、羊真はあえて強い酒を選んだのではないか。  「いいよ」羊真の瞳は潤んでいる。「僕も……士狼に触れたい」    ***  寝る支度を済ませた二人は、同じベッドに寝転がっていた。  心地よい疲れに身を任せ、士狼は羊真と触れあう。  口づけを交わし、抱擁しあう。  まるで中学生の愛撫だ。  互いに模索するような行為が、今の二人には精一杯だった。  しかしそこには、純粋であるがゆえの快楽と昂りがあった。  首筋にキスを落とす。 「……あっ」  羊真の声が部屋にとろけた。  「気持ちいい?」と問うと、コクリと頷かれる。  ならば。と士狼は愛撫を続ける。  吸い付くようにキスしてみたり。  舌を這わせてみたり。 「不思議なんだ」  羊真がとろけた声で言葉を紡ぐ。 「おんなじ男なのにさ。士狼になら、こうされても嫌じゃない」 「……嬉しいよ」  士狼の瞳が安堵で揺らぐ。 「そういわれると、もっと羊真が欲しくなる」 「士狼になら全部あげちゃう」 「……本気にするぞ?」 「全部あげても、士狼なら絶対に大切にしてくれるから」  愛しい彼を、力強く抱きしめる。 「……俺にとってもさ。羊真は初めてのひとなんだ」  逃さないように、腕だけでなく足も絡める。 「周りのやつらは外見ばっか見ててさ。だれも中身を見てくれなかった。……羊真だけなんだよ。こんなに俺って人間をみてくれたのは」  士狼の瞳に映るのは、羊真ただ一人だけ。 「絶対に離したくない。これからも、ずっと一緒にいて欲しい。……俺だけのものであってほしい」  気持ちを言葉で確かめる。  体で確かめあうようになったのは、もうしばらく後のことだった。

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