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第6話 滅びの国

side*駿介 「おーっす、深也いるー?」 生徒会室の無駄に豪勢な扉を乱暴に開けて、俺は開口一番にそう言い放つ。 「駿!」 毎度毎度嬉しそうな顔をして駆け寄ってくる綾乃。 何でなんだろう、と俺はいつも思う。 「おぅ。で?深也は?」 再度俺が問えば、綾乃の綺麗な顔が瞬時に嫌そうに歪んだ。 「駿、そいつの名前を口にしないで。駿が穢れるようで耐えられない。」 「あーやーのー、そういうこと言うなって。」 綾乃からでた深也の悪口を窘めれば、綾乃は拗ねたような表情をして、でも、と言葉を濁した。 俺を歓迎してくれるのは嬉しいけど、深也へ露悪な言葉を吐く綾乃は正直苦手だった。 綾乃たちは深也を悪くいうけど、むしろ俺は深也が好きだ。 仲良くなりたいと思う。 いくら深也が親衛隊だからって噂みたいに制裁なんてえげつないことするはずない。俺の勘だけど。 「月白なら英語科研究室だと思うぜ。」 いつの間にか背後に来ていたらしい竜司が俺の問いに答えてくれた。 「何で探してんのー?」 ニックも近づいてきて俺にそう聞いてくる。 ていうか、ニック怒ってんのか?笑顔、強張ってんぞ。 「あー、私用?」 「えー?なに?教えてよー」 言葉を濁す俺。 まさか俺への制裁について直接話し合いたい、なんて言えるわけない。 絶対ややこしいことになる。 理由を言う素振りのない俺に、ニックはぷくーと膨れた。 (金髪イケメンがやっても可愛くねぇな。) そんなどうでもいいことを考えていたら、後ろから急に肩を組まれた。 まぁ、後ろにいるのは一人しかいないわけで。 その腕を辿れば、案の定竜司のだった。 「んだよ竜司。あんまひっつくなよ。」 「くく、やっぱてめぇ面白いな。駿、研究室、場所知らねぇだろ?」 「ぁ」 「俺が案内してやるよ。」 そう言って竜司はいつものスカした笑顔じゃなくて、本当に楽しそうに笑った。 そんな竜司を見ると、なんだか俺は少し安心する。 それは前から思ってたことだけど、竜司が深也に突っかかると、時々、すごくぞっとすることがあった。 なんというか、他のやつらとは違うのだ。 綾乃とかニックはただ単に親衛隊を嫌悪してるってかんじだけど、竜司は深也本人に感情をぶつけてるように見える。 それは嫌悪だけじゃなくて、怒りだとか、憎悪だとか、すげぇ強烈な感情で。 でも不思議なのが、一見竜司の態度とか言葉には深也を攻撃する要素しかないようにみえるけど、そういう負の感情だけじゃなくて、ほんの時々だけど、悲しみとか、後悔とか、そんなんが混じってるように感じることだ。 だから、竜司が深也と対峙してるとき、ひどく不安になる。 深也だけじゃなくて、竜司も傷付いてるんじゃないかって。 でも、今目の前で男前に笑う竜司は、そんなこと一切感じさせない。 だから、安心した。 誰も傷付かないんじゃないか、なんて思うから。 「おー、頼むわー」 きっと、今の俺は、ひどくふやけた顔で笑ってるんだろうな。 ******************* side*竜司 「おー、頼むー」 そう屈託なく笑う駿。 こいつの笑顔はやっぱりいい。 これが惚れた弱味ってやつか、なんて柄にもなく思ったりした。 最初の印象はただの平凡だったのに、駿はいつも真っ直ぐで、眩しくて、絶対に俺らにはないものを持っていた。 それに惹かれた。 傍におきたいと思った。 だから馬鹿みたいに駿に近づこうと画策したり、昔の俺では考えられないことだ。 今だって、英語科研究室まではそう難しい道のりじゃないのにわざわざ案内をかってでたりしている。 まぁ月白に会いたいってのは気に食わないが、二人きりになるチャンスには変わりないから。 綾乃たちも多分同じことを考えてたのだろう、俺に恨めし気な視線が飛んできたが、これみよがしに鼻で笑ってやった。 (ふん、早い者勝ちだっつの。) まだ食い下がろうとするニックたちを適当にあしらって俺は駿を連れて生徒会を後にした。 「なぁ竜司、なんで深也は英語科研究室なんかにいんだ?」 「あ?あぁ。なんかベルマンの手伝いらしいぜ。」 「ふーん。フレッドのかぁ。」 “アルフレッド・ベルマン” こいつも気に食わない。 生徒会顧問になってからというもの、月白を然り気なく援護してやがる。 教師の贔屓なのかなんなのか、その事実だけでも腹立たしいのに、駿が奴を親しげに名前呼びしてるもんだから余計気に食わない。 「フレッドの手伝いとか偉いな深也。」 「どうだかな」 「ん?なんでだよ。」 「別に?つか、そんなこの場にいないやつよか、俺のこと考えてろよ。」 「はぁ?」 そんな普段絶対言わないような歯の浮く軽口も、駿が相手だとすらすら出てくるから不思議だ。 しかし、やはり楽しい時間はすぐ過ぎてしまうのか、気付いたら研究室に着いていた。 駿が引き戸の少し高い位置にある小窓から中を覗き込んで、ちょっと怪訝そうな表情をする。 「おい竜司ー部屋ん中本ばっかだぞ?ほんとに中にいんのか?」 「あぁ。ベルマンの研究室は資料室みたいなもんだからな。奥は部屋になってんだ。」 「そっか。じゃあ入ろうぜ。」 駿がそう言って、引き戸に手をかけた。 「ん?」 「どうした?」 「鍵掛かってる。」 (…鍵?) 普段は奴は鍵なんてかけない。 生徒会顧問のところには頻繁に生徒会や委員会の役員たちが出入りするからだ。 俺の中で何かもやっとしたものが湧き上がる。 俺は無意識にスラックスのポケットに手を突っ込んだ。 取り出したのは鍵束。 この学園は会長の特権として、全ての部屋のスペアキーを持つことができる。 欠勤している教師の部屋にある資料などを取るためだ。 普段はほとんど使うことはないが、念のために持ってきていたのは正解だった。 「ん?竜司、なんで鍵持ってんの?」 「ふんっ生徒会長様だからな。」 「うっわ、プライバシーねぇなぁ」 駿は一瞬引いたような表情をしつつも、部屋に入りたいのには違いないのか鍵を開ける行為には何も言わなかった。 鍵束から“英語科研究室”の文字を探し、引き抜く。 鍵穴にそれを差し込めばカチャリ、と小さな音と共に鍵が回る。 俺の身体の奥底で、何かが熱く燻る。 俺はそれに気付かない振りをした。 「よし、入るか。」 「いや、待て駿。」 「?」 「俺は生徒会長だから教師の部屋に勝手に入れるがお前は一般生徒だからな。めんどくさいことになる。月白連れてきてやるから待ってろ。」 すぐに戸に手をかける駿を制し、もっともらしいことを言う俺。 「ふーん?あそ。じゃあ頼む。」 駿はそんな俺に何も疑問を抱かず、屈託なく笑う。 きっとこの中にある何かを駿は知る必要はない。 腹の底が、またチリリと熱くなる。 俺は戸に手をかけた。 中に入り、奥に進めば白い床はうっすらオレンジ色に染まっていて、本棚に阻まれて入り口まで届かなかった西陽が俺の影を伸ばす。 夕方特有の熱いくらいの光だった。 本棚を抜ければ見えてくる、革張りのソファ。 そこには二人の人間が眠っている。 服を乱したベルマンと、その腕に抱き込まれて眠る、半裸の月白。 床に無造作に散らばるのは月白の制服だろう。 その白い肌は光に透けて橙色に染まっていた。 (…やっぱりな。) (思った通りだ。) 俺にとってこの状況は想定内のこと。 そう、その筈だった。 しかし腹の底から沸き上がるのは正体不明の熱で。 焼け付くような感覚は喉元まで競り上がっ フラッシュバックするのは1年前のあの日。 俺が月白を知ることを止めた日。 ******************* side*竜司 一目見た瞬間、無機質な世界に優しく淡い光が灯ったようだった。 その色は心の奥底に染み付いて、どこか懐かしいような、切ないような、そんな感情を不思議と呼び起こさせた。 それが初めて俺があいつを見つけたときの印象。 2度目の印象は、儚く、触れた瞬間そこから空気に融けてしまいそうな美貌。 新年度に入って初めての全校集会。 普段はなんだかんだ綾乃に言い訳してさぼりを決め込んでいる俺だったが、その日は何の気紛れか、初めからきちんと体育館の舞台上に用意された会長椅子に座っていた。 俺が発言しなくとも集会は着々と進んでいく。 (つまんねぇな。) やっぱり来るんじゃなかったと内心で悪態をつきつつ、その高台からざわめく生徒を見下ろした。 きゃあきゃあと甲高い声をあげる親衛隊と緊張と興奮にざわめく新入生、そんな昨年と相変わらない光景。 しかし列の一番端、俺は一人だけ明らかに毛並みの違う人間を見つけた。 それは周りとは一線を画す雰囲気と何も映さない平坦な双眸が酷く印象的で、俺の目を引いた。 雑踏を映さない銀色の瞳は、顔色も変えずただじっと、舞台を見つめているだけ。 (変なやつ。) 最初の感想はそんなもん。 ただ今思えば、それは俺の世界にそいつの色が強烈に焼き付いた瞬間だったのかもしれない。 その後、集会は滞りなく終わり、綾乃の解散の声で生徒が徐々に捌けていく。 俺はさっさと部屋に戻ろうと他の生徒会員を尻目に舞台の階段を降りる。 出口まで行けばそこでは最後の一人が体育館を出るところだった。 (銀髪…) そしてそれは偶然にもあの生徒。 体育館のドアを出る瞬間、そいつの目線と俺の目線が絡み合った。 「お前、見ない顔だな。一年か?」 動きを止めたそいつ。 初めて間近で見たそいつの顔は、遠目で見るよりずっと細部まで整っていた。 すっと通った鼻梁と桜色で薄めの唇。 陶器を思わせる滑らかな頬。 長い睫毛。 特に印象的だったのは瞳の色で、奴の纏う淡い銀色の中でもいっとう透明感があって、まるで高価な宝石みたいだった。 それなのに、まるでそこからは何の感情も汲み取れない。 (人形みてぇ) 「…はい。」 動かないかと思った唇が微かに開いて、そこから高くも低くもない静かな声が転がった時は少なからず驚く。 それが先程の俺の問いへの返答だと気づくのにやや間が出来てしまったことにスマートじゃないと心の中でボヤいたのはまた別の話だ。 「…名前は?」 「月白深也です。」 そして俺と月白の関係が、そんなありきたりな会話から始まった。 全校集会で声をかけて以来、俺と月白は廊下で会えば軽く世間話をするような関係になっていった。 しかし中性的でどこか儚げな美貌を持つ月白を周りが騒がないわけもなく。 その存在は入学式から徐々に広まり、気を引きたがる生徒は絶えなかった。 もちろん中には強姦まがいの問題を起こすやつも少なくない。 しかし当の月白はそんなことはお構い無しに相変わらずの無表情で淡々と過ごしているらしい。 そして、奴はいつも独りだ。 そんな月白を見てると余計ほっておけなかった。 何でだか俺は、どうしても月白が傷付くのが許せなかったから。 「月白。お前明日から生徒会補佐な。」 だから側に置くことにしたのだ。 生徒会の一員になれば俺の目も届くし、親衛隊を恐れて暴挙にでる輩も少なくなると踏んだからだ。 月白は一瞬何か考える素振りを見せたが、すぐに小さく頷いた。 補佐の任命は会長の俺に権限がある。 この時初めて自分が生徒会長であったことを感謝した。 それから月白は俺たちの組織の一員として毎日生徒会に来て仕事をこなした。 当時の俺がなぜ月白に対して庇護欲みたいな想いを持っていたのか、その心理状況は今では思い出せないし、未だに理由はわからないままだ。 それから幾ばくもなく、初めこそ口数も少なく愛想もない月白だったが不思議なくらい生徒会メンバーに馴染んでいった。 奴の落ち着いた雰囲気のせいなのか、俺たちが生徒会だからといって過度に騒ぐこともなく、きっちりと業務をこなし、余計なことも言わない。 むしろ淡々としすぎてて、積極的に俺たち側から構っていたような空気すらあった。 「月白君この書類なんだけど、」 この時すでに副会長の座に就いていた綾乃も今では考えられないことだが、生徒会メンバーとして月白にかなりの信頼を寄せていたし、ニックや孝臣との関係ももちろん良好そうだった。 「月白ぉ、ちょっとこっちこいよ。」 「?はい、」 「行かなくていいよ月白。どうせ下らないことに決まってる。」 「ぁ゛?綾乃、喧嘩売ってんのか?」 「はっ、お前のことだからどうせ今度ヤらせろとかそんな類いだろ。」 「……ちッ」 「…図星なんですか」 「やだァ〜会長のエッチぃ〜不潔だわァ〜」 「ニック先輩、しなを作らないでください。普通にキモイです。」 「あっ!オミが俺の事キモイって言った!月白ぉ〜酷くない!?」 「ニック?月白に絡むな。仕事をしろ。」 「あ、アヤノ…ッ」 同じ部屋で毎日仕事をして、他愛ない会話もした。 そんな日々がずっと続くものだと、誰もがそう思っていた。 しかし、その築き上げてきた関係は俺たちが思うより一等脆く、たった一瞬で崩れ去るなんて。 俺も、綾乃も、ニックや孝臣も、月白本人でさえ、そんなこと誰も予期してなかった。 月白の生徒会入りから数ヶ月。 ひとつの噂から何もかもが狂い始めた。 俺はその噂を聞いた時、つい目を瞠ったのを覚えている。 『前・会長が親衛隊と付き合ってる』 前・会長の近衛杣さんは俺が1年補佐の時代からお世話になってる人で、俺がこの学園で唯一尊敬する人だ。 高いカリスマ性と芸能人顔負けに整った容姿は学園の中でも群を抜いていた。 確かに杣さんは比較的親衛隊に寛容なほうだったが、やはり制裁は断固として良しとしていなかった。 (親衛隊と…) その当時も生徒会親衛隊の規模は大きく、制裁も少なくなかったはずだ。 いかに杣さんが親衛隊に寛容だからといって、恋人にするだろうかという疑念も浮かんだ。 尊敬しているが故にそういったところがどうも気になってしまっていた。 しかしもちろんそれは俺がとやかく口を出す問題でもなく。 俺はやはり何だか釈然としないままだったが、杣さんが決めた相手なのだからそれ相応なのだろうと納得することにした。 そんなある日。 いつものように仕事が終わって生徒会室を後にし、他愛のないことに思考を巡らせながら歩いて辿り着いた自分の部屋。 しかしいくらスラックスのポケットを探っても部屋のカードキーを入れてるパスケースが見当たらない。 (…生徒会室だな…だりぃ…、) 考え事をしながら生徒会室を出たせいか、と内心舌打ちをして今来た道を戻るはめになってしまった。 今生徒会室には月白しかいない。 仕事自体は終わっていたのだが、書類の整理をしてから帰ると月白がいうので鍵閉めを任せて俺は先に帰ったからだ。 (まぁ、まだ月白も帰ってねぇだろ) 月白がまだいたら書類整理を手伝ってついでに茶でも誘うか、とそう考えて少し足取りが軽くなった。 無駄に長い廊下を歩いて生徒会室につく。 分厚い扉を開くと中には誰もいない。 (…ぁ?月白どこいった?) 几帳面な月白が重要な書類がある生徒会室を開けっ放しにするとは思えない。 不自然な状況にどうしたもんかも思案し始めたその時、ふと微かな喋り声が俺の耳に届いた。 一体どこからなのかと耳をよく澄ませてみると、それは仮眠室から。 (…誰かと一緒なのか?) 俺はそっと扉を閉め、仮眠室の戸に近づく。 『…ぱい、‥ですって、』 『し…や、…よ、』 途切れ途切れな二人の声。 (確かこの声…) どちらも聞き覚えがあった。 勿論ひとつは月白のもの、もうひとつは、つい最近まで毎日のように聞いてい声。 『っ添島先輩、』 月白の焦ったような声がそう答えを出した。 元・生徒会副会長、添島牡丹(ソエジマ ボタン)。 杣さんの右腕でつい最近までこの学園を動かしていた人物。 杣さんはお家柄故か、卒業後に自分の腹心となる優秀な部下を在学中から傍に置いていた。 それがこの添島さん、そしてもう1人が元会計の神崎 桜(コウサキ サクラ)さんだ。 常に3人はセットで行動していることが多いイメージだったため、添島さんの声しか聴こえないことにそこはかとない違和感を感じた。 しかし、次に添島さんから発せられた言葉は俺にとってはそれ以上に予想外のものだった。 『深也、ヤらせろ』 一瞬何のことだかわからなかった。 しかし混乱する思考を、先程よりクリアに聞こえてくる二人のやり取りが引き戻した。 『駄目です…、ここは生徒会室ですよ?誰が来るかわからな、…っン、』 『大丈夫じゃ。それに、二人ん時は名前で呼べち言うとろうが?』 『だって、』 『誰も聞いとらん。』 添島さんの独特の訛りと布の擦れる音。 困惑したような月白の雰囲気とは裏腹に、零れた声には甘さが滲む。 『…もう、いきなり、ァ、待って、』 『名前、』 『牡丹、ッや、…ぼた、ん、だめ、』 『そげん可愛い抵抗してん、俺が引き下がらんのは百も承知じゃろ?のぉ?』 最初は抵抗を示していた月白の声も次第に弱くなり、最終的には諦めたらような苦笑いに変わっていた。 『深也』 『……ほんとに…もう、しょうがない人ですね…』 (…なんだ、…付き合ってんのか?) 不思議とそれほど驚かなかった。 俺の中に何かがストンと落ちたような感覚。 悲しいとか、悔しいとかそんな感情じゃなくて、ただ月白が選んだならいいか、という妙な納得があった。 それに相手は杣さんの片腕。 あの人なら月白をちゃんと大事にしてくれそうで安心もした。 少し腹の底がチリチリと燻ったが、俺はそれには気付かないふり。 (ふん、月白のくせに) 内心そう軽口を叩いて口元で笑う。 俺はそっと自分のデスクからパスケースをとると静かに生徒会室の戸を閉めた。 ****************** side*竜司 それから夏の行事に備えて一段と生徒会は忙しさを増し、仕事が立て込んでたせいもあって、月白を恋人のことでからかう暇もなくあっという間に数週間が過ぎ去った。 そして、あの日がくる。 それは期限の近い書類が一段落し、俺が職員室に提出した帰りだった。 生徒会専用フロアを歩いていると前からは圧倒的なオーラを撒き散らしながら悠然と歩いてくる男。 丹精な顔には涼しげな表情。 王者の風格。 「杣さん…」 「お?竜司じゃねぇか」 俺を見て破顔するその様さえ悔しいくらいに男前だ。 「今帰りですか?」 「あぁ。生徒会のほうは大変そうだなぁ。」 「まぁ…お陰様で…」 誰のせいだと思ってるんだ、という俺の内情を言葉尻から悟ったのか杣さんは愉快そうに笑った。 その反応を受けて俺が苦虫を噛み潰したような表情をしてしまうのも当たり前で、俺が2年生でありながら生徒会長の地位について面倒な仕事をさせられている原因は、何を隠そうこの目の前の美丈夫が自身の生徒会長任期中に突如解散を宣ったせいなのだから。 「…聞きましたよ?特定の相手ができたみたいですね。例の生徒会長を退いてまで狙ってた奴ですか?」 だから俺はそんな杣さんにちょっとした意趣返しのつもりで、少しのトゲを含ませた話題を取り出してやる。 「くく、まぁ…なぁ?特定の相手ってのは、間違っちゃいねぇわな。」 「誰です?あんたに見初められた不運な奴は。」 「不運とか、お前も言うようになったなぁ」 「あー、すいません。言葉の文です。不運はとばっちりを受けた俺たち生徒会でしたね。」 「はいはい、すまなかったって。」 謝罪の言葉とは程遠い何食わぬ顔で嘯く杣さんに、俺はわざとらしくため息をついて見せる。 「そう思ってるんなら相手くらい教えてくださいよ。」 「んー?ぁー、そうだなぁ?」 「何勿体ぶってるんです。俺の知ってる奴ですか?」 「いや、…知ってるもなにも、お前ら仲いいじゃねぇか。」 「は?」 「あれだよ、」 「お前ら新生徒会の、」 「補佐。」 俺の中で、何かが崩れる音がした。 “補佐” その言葉は確かに聞き間違いではない。 『元会長の近衛杣が親衛隊と付き合ってる』 頭に反芻するのは“噂”。 『ほんとに…、もう、しょうがない人ですね…』 耳の奥で甦るのは艶を含んだ月白の声音。 「…そ、んな…、だって、杣さんの相手は、親衛隊じゃなかったんすか……?」 驚きか、怒りか、震えそうになる声を喉元で押しとどめ、杣さんに尋ねる。 「あぁ。親衛隊だよ。」 「でも月白は…、」 「…お前、知らなかったのか?月白は、俺の親衛隊長。それから、次期総隊長。」 「次期…総、隊長…」 目の前が白くなった。 俺はいつ月白が親衛隊に入ったのか知らない。 月白は何も言わなかった。 指先が急激に冷えていく感覚に襲われる。 酷く喉が渇いて、不快だ。 「…月、白は、添島さんと付き合ってるんじゃないんですか…」 俺の知らない、月白の甘い声。 『牡丹、』 呼んだ名前は杣さんのものではなかった。 「月白は、あいつは、添島さんとヤってましたよ。」 腹の底から沸き上がる熱と反比例するように、口調はどんどん乾いていく。 しかし、俺の言葉を聞いた杣さんは顔色ひとつ変えず、その表情は柔らかいまま。 「あぁ、だろうな。」 杣さんから洩れた予想外の肯定に、俺は眼を瞠った。 「それじゃあ、…公認の浮気ってことかよ…」 「んー、浮気、ていうのは語弊があるかもな」 その苦笑いでさえ甘さを含んでいて。 とうとう俺は訳が分からなって、杣さんの眼を見れば、そこには愛しさと諦念。 相反するそれらが確実に、そこに混在していた。 「別に付き合ってる、なんていう訳じゃねぇからなぁ。」 「ぇ、」 「俺が繋ぎ止めたいだけなんだよ。どんなことをしても。」 「だからって、納得できないですよ。あんたの親友と寝てるんですよっ!」 「いいんだよ。端からあいつの自由を奪えるとは思ってねぇから。」 閉じ込めておけるならそうしたいけどな、と涼しげな目元を淫猥に細めて笑った。 「ま、俺も深也とはヤりまくってるからな。人のこととやかく言えねぇわ。」 「…要はセフレってことっすか」 「いや、うーん、まぁそれも違うな。」 「じゃあどんな関係なんですか。」 「そうだな、ぁー…、等価交換、かな?」 「等価交換…?」 「そ。ギブアンドテイク。そんなとこ。」 「俺は好きなやつを抱けて、深也はそれ相応の対価を受けとる。」 「…対価ってなんですか」 お門違いだとわかっていても、俺はぐらぐらと沸き上がる負の感情を押さえきれない。 裏切られた気分だった。 純粋で、透けるほど綺麗な月白は、汚れないように俺が守ってやらなければと思っていたから。 その月白が最初から清くなんてなかったことに。 どんな形にしろ、杣さんの想いを軽んじていることに。 失望した。 悔しくてならなかった。 俺の問いに、一瞬杣さんの笑みが消えた。 「…お前、深也から聞いてねぇんだな。」 理解できない言葉に俺の眉が寄る。 「何を…?」 杣さんは何か納得したようにふうん、と頷いた。 「…そうか。いや、何でもない。」 「何なんですか。言ってくださいよ。」 (どうせこれ以上失望することはないだろうしな。) 「…深也が、お前に言ってないんだったら俺の口から言うわけにはいかねぇよ。」 そういって杣さんはまた笑うから。 「杣さん、」 「あー、と大分立ち話しちまったな。」 「杣さんっ」 「お前も、いずれわかるよ。ま、お互い暇じゃねぇわけだし、この話は終いだ。じゃあなぁ、竜司。」 今までの重だるい話なんてまるでなかったかのように颯爽と話を区切ると、杣さんはあっさり背と向けてしまった。 「っ、おいっ」 俺の引き止める声にも振り向くことなく、ただ後ろ手に手をひらひらと振るだけ。 俺はつい歯を噛み締めた。 (いずれって、なんだよ…っ) もちろんそんなことで納得できるわけもなく。 俺は杣さんを追いかけようと、舌打ちと共に脚を一歩前に踏み出した。 その時、既に数歩先にいた杣さんがふいに立ち止まる。 「…ぁ、そうだ」 振り向いた声の軽さとは裏腹に、その双眸には真剣な色しかない。 「ひとつだけ言っとくわ。あいつは、深也は自分で望んでるわけじゃねぇから。」 「は…?」 「それだけ。じゃあな。」 (望んでない…?) (何を?) 俺は杣さんの言ったことが上手く飲み込めなかった。 杣さんとの関係を望んでないのか、それとも親衛隊総隊長の座を望んでないのか。 どちらにせよ俺には裏切り行為にしか思えない。 杣さんは怪訝な表情をする俺を置いて、今度こそ振り向かなかった。 (…何なんだ。) 理解できない言葉の意味。 杣さんの意図。 俺はむしゃくしゃした感情に盛大に舌打ちをしてその背を見送るしかできなかった。 それから俺の日常は変化した。 もちろんいつも通り接することなんてできるはずもなく、何日も月白を避ける日々。 周りもその変化に疑問を抱いたのか理由を聞こうとする者も多くいたが、俺は何も語らず、次第に皆その話には触れなくなった。 しかしそれと反比例するように頻繁に耳にするようになったのは月白の噂。 相手は毎回違う男。 生徒会でも徐々に月白に話しかける役員も減っていった。 そして月白の孤立を決定的にしたのが、月白の親衛隊総隊長就任の知らせ。 あの時の綾乃の表情は今でもはっきり覚えている。 軽蔑と、驚きと、怒り。 もちろん綾乃は月白が元・会長の親衛隊だということは知らない。 ずっと騙されていたことに、裏切られていたことに、綾乃の態度の変化は極めて顕著だった。 それから月白に向けられるのは穢らわしいものを見るような眼と蔑む言葉だけ。 最初の頃は綾乃を筆頭に、親衛隊総隊長が生徒会にいることに、反対の意が唱えられたが、原則として一度会長から直属に任命された補佐は解任することは難しい。 結果、月白は今でも針のむしろ同然の生徒会に補佐として在籍しているのだ。 俺は次々に蘇ってくる過去に思考を閉ざす。 これ以上思い出したら煮えくり返る腸が、焼き切れそうだった。 止めどなく沸き上がってくる感情の波をどうにか押さえ、目の前の光景に再度眼を向けた。

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