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第5話

「なるほど……わからない」  診察室内、デスクの横に置かれた棚には何冊かの本が並んでいた。  【サルでも使える治癒魔法】 「胡散くせぇ……」  そう思いながら手に取った本の内容がさっぱり理解出来ず、先程から悪戦苦闘をしていた。 「とりあえず魔法を使うには魔力が必要で、その魔力を効率よく使うのが魔具……なるほど」  物凄く説明が簡略化されているが、専門用語なんてまるで理解出来ないであろう今の俺にはちょうどいい。「うんうん」と頷きながらページを(めく)ると、ゲームでよく見る魔法の呪文が並べられていた。 「これを使うのか……ってなっが! この長い文章覚えろってことかよ」  魔法なんてゲーム上ワンポチで使っていた訳だが、実際使用するとなると話は別である事を思い知らされてしまう。  パタンと本を閉じ、そっと棚へと戻した。 「うん、明日からやろう。そうしよう」  待合室の窓からはブルーアワーの幻想的な空が広がっている。そっと窓辺に近付き「この時間帯の空が1番好きだな……」なんて眺めようと顔を上げると、視界の隅で何やら黒い影が(うごめ)いた。「ん? なんだ」と視線をそちらに移した瞬間、俺の背筋が凍り付く。……ひとりの男が、中をじっと見つめているのだ。 「ひっ……」  バッと勢いよく俺の体は壁まで後退る。 「お、オバケ? 変質者!?」 瞬きもせず見つめるその姿に、思わず己の身体を抱き締めた。 ◇◇◇ 「戻ってきたら鍵が開いてなかったもんでな。飯食いに行くって言ったろ」  恐る恐る確認すると、まさかのそれはイーサン。慌ててドアを開け中に招き入れると、彼は口を尖らせた様子で待合室のソファにドカッと腰掛けた。 「にしてもさぁ、滅茶苦茶びびったんだけど……ホラーだよもはや」 「ビビりすぎだろ」  ドッドッとなる心臓をいまだに抑えきれない俺は、イーサンに「少し待ってて」と2階に上がり手早く着替えを済ます事にした。 「あれ、なんか……すんごい自然(ナチュラル)にご飯へ行く流れとなってる……」  白いシャツのボタンを閉め終わった所で、ふと自分が彼の誘いをなんの躊躇いもなく受けている事に気が付く。 「いや、まぁその……ひとりで食う飯より、誰かと食う飯のが美味いと言うし」  誰も居ない空間で言い訳をしながら、洗面台に向かい身だしなみチェックを行う。 「髪も大丈夫……って、イーサン(知り合い)とご飯に行くだけなのに、なんでこんな気にしてんの」  自分の起こした不可解な行動に首を傾げながら1階に降りると、入口横の壁に凭れ掛かり長い腕を組む……まるで映画のワンシーンを切り取ったかのような光景が待ち構えていた。 「……っっ、かっこよすぎる、よ……」  階段を降りた所でそんな言葉が吐息の様に漏れてしまい、聞こえてしまったのか主役の彼がこちらを向いた。 「準備出来たのか?」 「あ、うん。……お待たせしました」  姿勢を但し、立ち止まったままの俺に向かって大きな手を伸ばした。 「ふっ……こんなもの、待った内に入らんな」  その極上スマイルにまだ慣れるはずもなく……高鳴る鼓動を胸に、おそるおそる近寄りその手にちょんっと指先だけを乗せてみる。するとそれを自分の方に手繰り寄せたかと思えば、「ちゅ」と音を立て、薄い唇が指先に押し当てられた。 「……っっっ」  ――声が……出るかと思った。  全身が心臓になったかのように、ドクンドクンと脈打つ音が煩い。  こんなの。こんなの……聞いてないし、おかしい。同じ男からこんな事されて嫌悪どころか、彼の唇が触れた場所から蕩けていくかのように甘く疼く。  ロマンチックな情景に、心が呑まれてしまったのだろうか。  キュッと指先に思わず力が入ると、彼は目を細め、俺の小さな手と己の大きな手を絡ませ、繋ぎ合わせた。  触れ合った手のひら同士から生まれた熱が、俺の全身を支配していく。 「今宵は散歩も兼ねて行こうか」 「は、は、い……」  縺(もつ)れた唇は、返事は上手く返す事が出来ない。  ――何だろう、この気持ち。  そんな俺に彼は不敵な笑みを投げたかと思えば、すっかり日の暮れた外へとエスコートした。 ◇◇◇  石畳の上を、蹄鉄を鳴らしながら一騎の馬が夜の町を闊歩する。 「流石に馬は想像していなかった……」  生まれてこの方、乗馬なんてしたことが無い。独特の揺れに慣れない身体を、後ろからひと回り大きな身体がふわっと包んだ。 「歩いて行けない距離ではないんだがな。たまには良いだろう、馬での移動も」  確かにこの世界の移動手段は馬や馬車なんかだった気がする。まさか、乗る日が来ようとは。  好奇心に負け、目の前に揺れる真っ黒な(たてがみ)にそっと触れてみる。 「わっ凄い……綺麗……」  その艶やかで靱やかな手触りに感動し、ついそんな言葉が零れる。するとその上から、大きな手が重なった。 「良い馬だろ。グラニと言う。こいつと共に幾多の戦場を駆け回ったものだ」  イーサンが俺と同じようにグラニを撫でると「ブルンっ」と機嫌良さそうな息遣いが耳に届き「やはり主人に撫でられるのは格別なのかな」なんて思ったりもした。  しかし、この体勢本当に慣れない。  2人乗りだから仕方ないけれど……ピッタリと隙間なく密着した身体から彼の体温が|直接《ダイレクトに》伝わってくる。片手は腰に回っているし。言葉を発する度、敏感な耳へ吐息が掛かり、何度も小さく肩を揺らしてしまう。 「ふ、2人も乗せて重くない? そ、それとも慣れてる感じ……かな」  気を紛らわそうと出た言葉はおかしな上擦り方をしてしまい、すかさず「ふっ」と鼻で笑ったイーサンの声が直接鼓膜へ届いた。  し、仕方ないだろ。恥ずかしいんだよ、この体勢…… 「大丈夫だろ。人を乗せたのは初めてだから分からんが」  甘い声で囁かれた言葉に、思わず俺の心臓が優しい音を奏で始める。 「は、初めて……って……」  正直意外だった。スマートに俺をエスコートしたり、こうやって馬を用意してくれて食事の場所まで決めてくれて……慣れてる雰囲気、だったから。  「本当に?」と首だけ後ろに向けると、月光を浴びたその顔に、俺の目は釘付けになった。 「あぁ。俺の馬に乗せたいと思ったのは……お前が初めてだよ、アオ」  妖艶に笑うその表情と言葉を、この高鳴る心音を、俺はどう処理して良いのか分からず、暫く呆然と彼の顔を見つめていた。  薄暗い森を抜け、辿り着いた場所は川沿いにポツンと佇む一軒家だった。 「ここがお店?」  こじんまりとしたログハウスの屋根に生えた苔が仄かに光る様は、まるで|御伽噺《おとぎばなし》から飛び出たかのよう。 「あぁ、そうだ。降りられるか? おいで、アオ」  馬へ乗ったままその幻想的な雰囲気に浸っていると、先に降りたイーサンが俺に向いて手を差し伸べた。 「う、うん。ありがとう……」  ややロング丈のジャケットを着ているからだろうか、その姿は昔妹に読んでやった絵本の王子様そのものだった。  キュッと唇を結ぶと、その大きな手にすっかり熱くなった自分の手を重ねる。そのまま降ろそうとした彼が腕を強く引き、つい馬の上でバランスを崩してしまった。 「っと、危ない」  ――落ちる!  思わずぎゅっと目を瞑ると、次に俺の身体を迎えたのは冷たい土ではなく、何か暖かなものだった。 「えっ……え?」  その温もりの正体が彼の身体だと気付いたのは、甘いムスクの香りが鼻の奥まで届いた時だった。 「大丈夫か?」 「う、うん……」  抱き留められた全身が、そのままぎゅっと抱き締められる。  香水、なのだろうか。何度か残り香を感じた事がある。改めて間近でそれを感じると、甘いだけではない香りに、身体の奥底が疼いた。  ――それはまるで、を感じさせる……官能的な匂い。  い、いや何考えてるんだよ……相手は同じ男だろ。  己の中で何か知らない感情がチラつき、慌てて身体を離そうと分厚い胸板を押し返す。 「このまま力を入れたら折れてしまいそうだな、お前」  俺の非力な抵抗なんて何のその。彼は言葉通り、背中に回した腕の力を強めた。 「ちょ、っと……折れたら困るから」  とは言え、それは全くもって痛いなんて事はない。痛いどころか……その強さが心地よい。 「ははっ、そうしたら面倒見てやるから安心しろ」  カッと体温が急激に上昇していくのがわかる。頬が、熱い。  ――今が月明かりしかない夜であることに、心底感謝した。 「ね、も……ご飯食べよう? お腹空いたよ」 「あぁ、そうだな。行くとするか」  ――本当は、空腹なんて感じる余裕は無い。  離された身体に灯った熱は、それから暫く冷める事は無かった。 ◇◇◇ 「すっご。何ここ、水族館じゃん」  イーサンに案内され入った店内は、壁1面が水槽の何とも現実離れした世界だった。  そこに泳ぐのは色とりどりの熱帯魚。間接照明の仄かな灯りだけの店内は、海の中にでも居るかのようだった。 「スイゾクカン?……良いだろう。今日は貸切にしてある。思う存分堪能すると良い」  目を輝かせて周りを見渡す俺を見て、イーサンは満足気に微笑んでいる。 「こんなレストランがあるなんて、信じられない」  前世でも水族館が好きだった。悠々と水の中を泳ぐ魚たちが織り成す穏やかな時間。海月なんて、ずっと見ていられる。  心休まるあの光景を思い出し、ほうっと息を吐いた。 「アオはこういう場所、好きか?」  いつまで経っても水槽を見飽きない俺に、イーサンはそう声を掛ける。直ぐに返事をしようとしたが、思わず声が詰まってしまった。  イーサンはが好きか、と聞いただけなのに。その二言を口にする事だけで、どうして心が震えるのだろう。  まだ熱い手のひらを、キュッと握る。 「うん……好き」  少し恥ずかしそうに笑いながら、彼にそう答えた。 「いらっしゃいませ、クライヴ様。いつものコースで宜しいですか?」 「あぁ、頼む。ワインは……確か兄貴が取り寄せていたのがあるだろう?それでいい」  「かしこまりました」とウェイター姿の姿勢の良い男性が頭を下げ、奥へと下がっていった。 「ここには良く来るの?」  渇いた口内を潤したくて、用意された食前酒を口に運ぶ。 「ガキの頃から家族でな。ここは飯の味もさる事ながら、ワインのセンスが良いんだ。お陰で最近じゃ、酒好きの兄貴に付き合わされて2人で来る事が増えたな」  同じくグラスに口を付けるイーサンから出た言葉に、俺は驚きを隠せなかった。 「そんな仲の良いお兄さん居るの?」  イーサンルートを攻略して居ない俺にとって、初耳である。テーブルに置かれた花束を彷彿とさせる前菜を切り分けながら、彼の言葉を待った。 「仲良いかどうかは分からんがいるぞ。第1騎士団の団長をしている」  まさかの兄弟で騎士団長って。それはもうエリート中のエリート家系なのではなかろうか。 「凄いね……イーサンの家って、騎士の家系とかそんな感じ?」 「代々王都騎士団の団長を担っているから、まぁそう言う事になるのだろう」 「じゃぁ、騎士になるべくしてなったって感じなんだ」 「どうだろうな。親父は好きにしろとは言っていたが、俺も兄貴も自ら志願して騎士、そして団長になったからな」  ワインを飲み「ふっ」と満足そうに頬を緩ませるイーサンに倣い、俺もそれに手を伸ばす。口を付けた瞬間口内に広がる球体のような味わい、そしてぎゅっと凝縮された果実の味に思わず声が漏れた。 「わっ、美味し。こんな美味しいワイン初めてかも」 「そうか? アオの口に合って何よりだ」  グラスを片手に微笑む彼の、何と妖艶な事か。  むせ返る色気に魅入られそうになり、思わず俺はグッと二口目を口に含んだ。 「どうして団長になったの?」  彼へ呑まれそうになるのを阻止しようと、俺は会話を続けた。だがそれは……寧ろ状況を悪化させる質問になる。 「そんなもの……群れの頂点に立つことを望むのは、雄として生まれた以上当然の欲求だろう」  ――そう答える彼の目は、ギラついた『男』そのものだった。   「そ、そうなんだ? 俺は無かったな、そういうの……」  慌てて顔をテーブルに並んだ料理へと向ける。このまま彼の顔を見続けていたら、俺はどうにかなってしまいそうだった。  ――だって……心のどこかが、ときめきいた気がしたから。  先程からナイフとフォークを握る手が震え、肉を上手く切る事が出来ない。鼓動は跳ね上がり、口の中が荒い吐息で満たされていくのが分かる。  ――どうして今日はこんなに、彼の一挙手一投足にいちいち心臓が反応するんだ。  どうにか口に運んだ食事の味を、愉しむことが難しいなんて。 「アオは何故医者になったんだ? ヒーラーとして生きた方が地位も富も好きに出来ただろう」  必死に食を進める俺とは対照的に、上品に食事を摂るイーサンが、そんな質問を投げかける。「どうしてと言われても、気付いた時にはもう医者だった」なんて答える事の出来ず、その言葉を飲み込む。  ――もし俺が。この世界で生きる人間だったら……  彼の言う通り、正直幻想夜想曲(ここ)で医者の地位はそれ程高くはない。年収で考えても、例えばヒーラーとして何処かの団体に属した方が圧倒的に高額なのは間違いない。  ――前世の記憶が幼い頃に蘇っていたら……この世界でも間違いなく俺は、医者を選んでいただろう。 ◇◇◇  前世では別段これと言った夢もなく、何となく生きてた俺が中学生になった時。学校から帰ると、顔面蒼白の両親に訳も分からず病院へと連れて行かれた。 『妹が交通事故にあって、今……生死の境を彷徨っている』 泣き崩れる母親と険しい表情の父親がそう教えてくれたのは「手術中」の赤い光が点る部屋の前だった。  それから数時間……永遠のような沈黙が、3人を取り巻いていた。  パッと赤い光が消え、中から出てきた青い服の男性が「大丈夫、娘さんは助かりましたよ」と俺たちにそう告げた。  その時の喜びを、今でも忘れる事は無い。  涙なんて流す所を見た事のない父が掠れた声で喜び、何度も先生にお礼を言った。当時から「何となく誰かの為になる事がしたい」と思っていた俺にとって、医者というものはこれ以上ない、だった。 ◇◇◇ 「うーん、正直名誉とかあんまり興味が無くて。……人の役に立ちたいと思ったんだ。俺なんかが、誰かの為になるならって……」 「ほう。……良いな、お前」  まさかそんな言葉が返ってくるとは思わず、俺は目を丸くする。 「そ、そんな事ないよ。……現に、今治療とか出来ないし」 「そんな事は無いだろ。俺の腕を立派に治療したじゃないか」  スっと、彼は右腕をジャケットの上から撫でる。そこには間違いなく、俺が処置した場所だった。 「そうだけど……魔法だったらすぐ戻っていたのかなって」  恐らく、痕は残ってしまうだろう。魔法が当たり前の世の中、もし俺が「治癒魔法」を使えていれば、残ることは無かったのだろうな……と考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 「別に治れば何でもいい。寧ろあんな事が出来るの凄いだろ。……その動機も含めて、お前は俺の知りうる中で1番の、素晴らしい医者だと思うぞ」  綺麗な微笑みと共に贈られたそんな優しい言葉に、俺の目頭がギュッと熱くなる。 「……っ、あり……がとう……」 「ほら、もっとワイン飲めよ。それとも別のにするか?」 「ううん、これがいい。……ありがとう、イーサン」  ズッと軽く鼻を啜り、俺は手にしたワインをゆっくりと飲み干した。

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