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30、二人の幸せを願う(イル視点)
拾われた当時、僕にとって旦那様は、ただただ"怖い人"だった。
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奥方様がこの部屋を去ってからだいぶ経つ。
無事なんだろうか。大丈夫だろうか。
さっきから小鳥のさえずりが聞こえる。
動かしづらい体をねじって見上げると、どうやら、高いところにある窓辺に白い小鳥が降り立ったようだ。
何とか縛ってあるものから抜け出そうと身をよじったけれど、無理だった。床に敷かれた布と肌がこすれて痛みを訴えてくる。
「早く助けないと…」
奥方様は優しい。僕のような使用人とも対等に話をしてくれるし、気遣ってもくれる。今もそうだ。僕を助けるために、拐った相手に交渉をしてくれた。
奥方様がどんな出自なのかは知らない。
身体中に残る傷跡はおそらく折檻の跡だし、旦那様が「嫁を買ってきた」なんて言うんだから、売られていた人なのかもしれない。
でもそれが何だっていうんだ。
あの旦那様が幸せそうに笑うところなんて、初めて見た。僕は旦那様に恩があるし、怖いけど実は不器用なだけっていうのも知ってるし、幸せになってほしいって願っていたわけで…
その願いを叶えてくれた奥方様を大切にしたいと思ってる。
「!」
そんなことを考えていると、廊下から慌てたような、急ぎ足の音が聞こえてきた。
部屋の扉の前でその音が止まる。
「起きてるか」
「あっ!誘拐犯!」
「人聞きの悪いことを…それにお前、俺にそんなこと言って、自分が捕まってること自覚してないのか?」
部屋に入ってきたのは、奥方様を拐った張本人だった。本当は屋敷で取り押さえたかったけど、魔法を使われたらしく、体の自由を奪われて捕まってしまった。
「奥方様はどこですか!」
「別室にいる。ああ、あとお前には朗報かもな。事情が変わったから、此処はもう捨てることにした」
「!!」
つまり僕もどこかに捨てられるということか。この男が奥方様に誠実に対応するなら、僕の命まではとらない、はず。
「ニィノはフィリオとかいう奴に騙されてるだけだ…あんな所にいても、ニィノは幸せになれない」
「そんなことありません!お二人は、このままずっと一緒に居れば幸せになれたんです!」
「そんなわけないだろ。金で人を買うような奴だ」
「旦那様は確かに不器用な方です!でも、でも、自分の懐に入れた人は、何がなんでも守ろうと奮闘してくれるんですよ!」
「隷属の証を刻むような奴、信じられるか」
「隷…、でもあれは元々、」
言葉を続けようとした瞬間、ぞわりと悪寒を感じた。緩やかで、ゾワゾワとした振動が体に伝わってくる。何だか酔いそうだ。
「え、何、地震…?」
「さっきから妙だな…、…!まさか」
誘拐犯の顔色が変わる。
途端に険しい表情になり、僕の縄をほどく。
ずっと縛られていたせいか、体が思うように動かせない。相手もそれが分かっているようで、すぐさま肩に担がれてしまった。
ちらりと窓際を見る。白い小鳥がこちらを見ている。こくり、と頷くと、小鳥は空に飛び立っていった。
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