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4月②

 四月も中旬を過ぎ、ちょっと汗が滲むようなポカポカの春の陽気が安定してきた。  午前中に溜めていた家事を片付け、少し前に莉音に借りた本を読もうと喫茶店へと向かう。  以前仕事帰りに散歩してた時見つけて少し気になっていた店だ。  ビルの二階にあるその店は、外観も内装もレトロというほどではないが、カフェというより喫茶店と呼びたくなる雰囲気をしている。  店内に入るとランチの時間を過ぎているからか、比較的空いていて、窓際の広い席へと案内される。  大きな窓から差し込む光がテーブルの上を照らしていて、窓の外に視線を向ければ通りを歩く人の姿が見えた。  少し視線を巡らせてからメニューを取ろうとした時、棚の上に飾られた花が目に入る。  よく見れば、カウンターの端やレジの横などに花が飾られている。  派手ではないが、空間に馴染むように整えられたそれらを見て、なぜか瀬名の店に置いてある花に似ているな。なんて思った。  日常生活でこうやって花が気になるようになったの、瀬名と出逢った影響だよなと。どこか他人事のように思う。    本当はミルクたっぷりのカフェオレを頼もうと思っていたけど、ココアを頼みオレはそれを飲みながら読書に耽る。  元々あまり本を読む方ではなかったが中学時代に莉音に「読まねえの?」と言われ、その純粋な眼差しになら読んでみるかと思ったのが本を読むようになったきっかけ。  あいつとは一緒にいる時に話さなくてもいい関係だったので、図書室なんかでよく一緒に本を読んだ。  卒業して莉音と逢わなくなってからは日常的に読むことは減ったけど、本を読む行為もその時間も嫌いじゃない。  そのまま一人、本を読み進めているとふと聞き覚えのある声が耳に届く。  顔を上げたらカウンターの前に立っていたのは瀬名だった。  薄い水色のシャツに細身のパンツにエプロンという、店で見る時と変わらない格好だが、片手には花が入っているらしい大きめの紙袋を二つ、持っている。  店員と短く言葉を交わしつつ、二人で紙袋の中を確認していた。  どうして瀬名がここに、と思って紙袋から取り出されたフラワーアレンジメントを見てなるほどと思った。  店主がその場を離れたのを追っていた視線がふっと逸れ、こちらを向いた瀬名と目が合う。  瀬名はオレだとわかると少しだけ目を細めてから、驚いた様子もなくこちらへと歩いてくる。   「瀬名」 「こんなところで逢うなんてな」 「オレは休みで。瀬名は? 配達?」 「そう。アレンジをいくつか頼まれてて、定期的に取り換えてる」    それも、と窓際に置かれている小さな箱に入った花を指差す瀬名に「やっぱり」と笑ったら不思議そうに首を傾けた。   「やっぱり?」 「店にあるやつ、瀬名の花っぽいなって思ったんだ」 「そうか。よく見てるな」    瀬名っぽいと思ったのが当たっていて嬉しいと言えば瀬名は、目元に穏やかに笑みを浮かべる。   「あ、いや。理由はないんだけど。この前も花束作ってたの見たし」 「確かに。見てたな」 「うん」    理由を言語化できないのも本当。でもたまたまだって思われるのはなんだか嫌だった。  うまく伝えられた気はしなかったけど、瀬名はただ落ち着いた声でそうだったなと言うだけだ。  でもオレにはそれで充分だった。   「このあとも配達?」 「ああ、この前手伝ってくれただろ。そこともう一件」 「フラワーアレンジメント用のやつ。じゃあ結構量あるんじゃ」 「そうだな。でもそれが俺の仕事だから」    もう終わりならこのまま花屋に行くのもありかと思って聞いたら、まだ仕事の途中だったらしい。  しかもこの前手伝ったところと同じ量を運ぶなら、大変なハズ。そりゃあそれを瀬名の仕事だと言われてしまえばそれまでなんだけど。   「男手あれば助かるやつ? 手伝う」 「永原くんは人がいいな」 「そうかな」    いつも瀬名はすごく困ってるって感じではないから、「人がいい」なんて言われてしまうのかも。  ただ、花屋って見た目の華やかさなイメージとは違って力仕事も多くて一人は大変なんだろうなって思って。オレが声をかける時は手が空いてる時や時間がある時だけだから深い意味はないけど。   「いつも人手が欲しい時に声をかけてくれる。断りづらい」    余計なお世話だったかも、と口を噤むと瀬名は少しだけ困ったようにそう言った。  下に車があるからそれで一緒にという話を聞いている途中で、戻ってきた店主が瀬名のことを呼ぶ。  オレは慌てて残ったココアを飲み干して、鞄と伝票を持ってレジに向かった。   「お客さん申し訳ないけど少し待ってもらえる?」 「はい」    店主と瀬名が次の配達の日の話と、今回の分の支払いをしていてそれが済むのをその場で待っていると瀬名が伝票を渡すように言ってくる。   「払う、手伝ってもらうから」 「いいよ。そういうつもりじゃない」    そういう貸し借りをしたいわけじゃないと首を振ると、お金の計算をしていた店主が顔を上げる。  やりとりから、オレたちが顔見知りなのを察したんだろう。   「野ノ花さんの知り合い?」 「えっと」 「そうなんです。この後も手伝ってくれることになって」    知り合いって聞かれてオレが『はい』っていうのなんか違う気がして言葉を濁したら、瀬名はあっさりそれを認めた。  話し方が、店の中で客と対応してる時と同じだ。オレと話すよりも少しだけ穏やかで言葉が多い。   「野ノ花さん一人だからね、大変だろう。なら今日のは店の奢りにしとくよ」 「え、いいんですか?」 「いいのいいの。こういうのは助け合いだからね。ぜひうちにもまた来てね」 「ありがとうございます。店の雰囲気も好きだし、ココアも美味しかったから。絶対また来ます」 「もちろん、待ってるよ」    気軽な調子で笑って言う店主に、軽く頭を下げると彼は気にした様子もなく。寧ろ嬉しそうに笑って手を振ってくれた。  初めて入った店だったけど、本当に雰囲気も良かったし店主もいい人で思っていたよりずっと入りやすい空気だった。  本当にまた来たい、と思って店を出ると瀬名がこちらを見ているのに気付く。  いつもと変わらない表情のはずなのに、ほんの少しだけ考えているようにも見えた。   「なに」    声をかけると瀬名は一度だけ目を細めてから首を振る。   「別に」    それだけ言って、引き取ったアレンジメントの入った紙袋を持ち直して駐車場へと向かう。  気のせいかもと思ったけど、少しだけ間があった気がする。  でもなにか言いたいって感じでもなかったからオレはそのまま瀬名の背中を追いかけた。    駐車場には、白い軽バンが停まっていた。  よく見る業務用の形だけど、目立つロゴや装飾はなく外からだと花屋の車だとはわからない。  後部のドアを開けると、荷室として広く使えるように後部座席が畳まれていた。  そこに箱がいくつも整然と並んでいて、中で動かないように滑り止めシートが敷かれている。  バケツを固定するためのケースや、まとめた新聞紙が端に寄せてあって余ったスペースに紙袋や予備の梱包資材が入っているようだった。  仕事用の道具だけが揃っている感じで、無駄なものはほとんどない。必要なものだけって印象。  瀬名は紙袋を荷室の奥に置くと、箱同士がぶつからないように少しだけ位置を調節して後部ドアを閉めた。   「狭いけど、助手席どうぞ」 「えっとじゃあ、お邪魔します」    瀬名に言われて、オレは助手席に乗り込むと微かに花の香りがする。  車内はかなりすっきりしていて、ダッシュボードの上には余計なものはほとんどない。  ドリンクホルダーに未開封のペットボトルが一本。  足元にも物は置かれてない。荷室と同じだ、仕事に必要なものしかない。  瀬名はシートベルトを締めると、そのまま車を発進させた。    車が動き出してしばらく、特に会話はなかった。  通りに出ると、瀬名は慣れた様子でハンドルを切る。   「これって仕事用の車?」 「ああ、自家用車は別にある」 「へえ。花、倒れたりしないのか?」    あまりにも仕事用という感じで、普段の生活の気配がほとんどないので気になって聞いてみたら普通に答えてくれた。  信号で止まり、瀬名が軽くブレーキを踏み直す。   「固定してる。だがなるべく揺れない道を通りたい」 「そこなんだ」 「知っている道なら避けようがあるが、知らない道だと難しくなる」 「それはそうだ」    発進やブレーキが気を遣ってる感じなのもそういうのが関係しているのかもしれない。  納得できるけど、少し視点が面白い。瀬名が淡々と言うから尚更。   「永原くんは車は運転しないのか?」 「一応免許はあるけど、車はほとんどしないかも。普段乗れるの持ってないし、一人だからバイクで事足りる」 「確かに。合理的だな」    信号が変わり、再び静かに車が動き出した。  バイクに乗っているのは知っているが、車はと聞かれ運転できる資格はあるがほとんど乗ってないと首を振る。  合理的だからそうしたってわけじゃないけど、話を聞いてる側からすれば確かにそうか。瀬名だからその結論になった気もするけど。  間違っているわけじゃないから違うとも言えないので、オレは「うん」とだけ答えた。   「自家用車別にあるって言ってたよな。それも合理的だから?」 「そうだな。仕事用は常に荷物が載ってるから使い分けた方が楽だ」 「ああ、なるほど」    オレは車なんて一台あれば充分だって思っちゃうけど、瀬名が社用と分けるにはそれなりの理由があるんだろうと思って聞いてみたら本当に合理的だった。  確かに、載せておきたい荷物もあるだろうしイチイチ後部座席を動かすのも面倒だろうなと納得する。  オレは後ろを振り返りながら「ふうん」と呟いた。    目的地に着いて車を降りると、店の入口の前に小さな看板が出ていてガラス越しに中の様子が見える。  瀬名が荷室を開けるとそれに気付いた店の人が中から出てきた。   「ああ、瀬名さんすみません。ありがとうございます」 「こんにちは。遅くなりました」    さっきの喫茶店でもそうだけど、瀬名の言葉がオレと話すよりも柔らかい。  瀬名は荷室にある箱をひとつ手前に出して、箱を開けて店の人と中身を確認する。   「これで」 「はい。急なお願いだったのに助かりました」 「いえ。間に合ってよかったです。二人で運ぶので、彼にどこに置けばいいか案内してもらってもいいですか」 「わかりました。こちらです」 「永原くん、運びやすいように手前側に出しておく。終わったら俺も運ぶ方に回る」 「わかった。じゃあ、これから」 「よろしく」    オレはまずひとつ段ボールを瀬名から受け取り、店の人に案内されて店の奥へと進む。  入口付近にはすでにいくつかの花が飾られていて、同じ雰囲気でまとめられているのがわかった。  指示された場所へと箱を運び、慎重にテーブルの上に置く。   「ここで大丈夫ですか?」 「はい。重ねないように置いていっていただければ」 「わかりました」    オレはまた瀬名の車に戻って、次の箱を運ぶ。  それを数回繰り返したところで振り分けを終えた瀬名も運び入れる側に回って、そこからは早かった。  最後の箱を瀬名が運び「これで最後です」と言ってテーブルに乗せると、店の人が深く頭を下げる。   「急なお願いだったのに、引き受けてくださって助かりました」 「いえ」 「本当は別のお店にお願いしていたんですが、急遽ダメになってしまって。どうしても明日までには間に合わせないといけなくて」    店の人はすぐに顔を上げたものの終始、申し訳なさそうに眉を下げたままだ。  フラワーアレンジメントの教室にしては多いなって思ってたけどどうやら別件らしい。しかも話を聞いてると、急に飛び込んだ案件だったみたいだ。   「無理を承知で連絡したんですが、野ノ花さんにお願いしてよかったです」 「間に合ってよかったです」    瀬名は淡々と受け答えしてるけど、店の人はもう感謝してもしきれないって感じでなんか温度差があるな。   「急な相談だったのに対応していただいて助かりました。前にお願いしたときも評判がよかったので、またぜひお願いしたいと思っています。次は余裕をもって注文しますので、よろしくお願いします」 「こちらこそ。またなにかあればいつでも。可能な範囲で対応します」    軽く会釈をして瀬名が一歩下がると、店の人も同じように頭を下げた。  瀬名は「失礼します」と言って、それ以上言葉を重ねることもなく出口へと向かうのでオレも軽く頭を下げて後に続く。  そのまま運転席に乗り込んだので、オレも助手席側に回る。   「これで終わり?」 「いや、もう一件」 「あ、教室のか」 「そう」    シートベルトを締めながら聞けば瀬名は短く答えて車を発進させた。  二人きりになった途端、瀬名はまた短い言葉しか使わなくなる。  なんていうか特別雑って感じでもないのに、花屋として対応する穏やかさとも違う。  うまく言えないけど、二人でいるときの瀬名の方が落ち着く気がした。   「さっきの人、瀬名の店に頼みたかったんだな」 「そうだな」 「『野ノ花生花店だから』って言ってた」    助手席で街の景色が流れていくのを眺めながら、さっきのやりとりを思い出して話しかけたけど瀬名は特に反応を示さない。  オレはそういうのってすごくいいなって思ったんだけど。瀬名はそうじゃないんだろうか。   「長くやってる店なんだな」 「どうだろうな」    その頃からの信頼なのかなって思って出た言葉だったけど、瀬名は肯定とも否定とも取れない言い方をする。  そういえば莉音も似たようなことを言ってたな。  できたのは結構前と思うけど一時期閉まってた気がする。って。  詳しい事情はわからないが、少なくともこの街では知られている店ってことだよな。   「でも」    あまり踏み込まれたくなさそうだったし、オレもまだそこまでじゃないと思ったから。  窓の外を見ながらそれとなく話の方向をずらす。   「オレは、今日の瀬名見て、花買うなら瀬名の店がいいなって思ったけど」    嘘じゃない。それは本当に感じたこと。  一瞬、沈黙があって不安になったけど赤信号で車が止まってから瀬名は少しだけ肩を揺らして、   「買ったことないのに?」    と言った。  確かに。何度も通ってるのに一度も花を買ったことないオレでは説得力がない。  珍しく軽い口調に、からかわれているんだとわかる。   「一輪からでも買える?」    ただ気まずさはあるので、それでも大丈夫かと聞けば瀬名は短く「買える」と答えた。  オレはホッとして、言葉を続ける。   「じゃあ、今度寄った時、買ってみる」 「そうか」    瀬名の返事はそれだけだった。  いつも通りの調子で、勧めるわけでもなく止めるわけでもない。  でもそれが瀬名らしくて、やっぱりオレにはこっちの瀬名の方が落ち着く。    それからオレは瀬名の店に行くと時々、花を買うようになった。  理由を聞かれることもないし、特に説明することもない。  青い花の話をして、他愛ない話をして、花を買う。    今までは店を出る時いつも手ぶらだったけど、帰るときに手に花を持っていることが増えた。

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