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5月②
営業時間が過ぎ、片付けを済ませてからエプロンを外す。
そのタイミングでスマホを確認すると彗からメッセージが届いているのに気付いた。
【今日店にいるんだ。夕飯食べに来ない?】と書いてあり、夕飯を考える手間が省けたなとオレは店を出てそのまま駅の方へ向かう。
この時間になると店がある住宅街の方はほとんど音がない。
明かりの落ち始めた家の前を通り過ぎて、踏切を渡る。線路を挟んだだけで街の雰囲気が変わった。
人の声と、店の明かり。
ファミレスや居酒屋が並ぶ通りは夜でも昼間より明るい。
それでも向かう先はその並びじゃない。通りを一本外れ、少しだけ静かな路地に入ると明かりが少ないと見過ごしてしまいそうな小さな看板が見えてくる。
そこで一度足を止め、地下へ続く階段を下りていくと地上の明かりが離れていき、空気も変わっていく。
少しだけ重い扉を押すと、少しだけこもった音と酒の匂いが流れてきた。
正直、この匂いはあまり得意ではない。
カウンターの上に落ちる暖色の光だけが店の輪郭を形作り、奥に立っていた彗がオレに気付いて軽く手を上げる。
「来たね。なに食べる?」
「どうせまかないだろ」
一番奥の席に腰を下ろし、メニューも出さずに言われて俺は少しだけ眉根を寄せる。
「でも好きだろ、うちのまかない」
「嫌いじゃないだけだ」
そう返すとグラスを拭いていた彗が肩を揺らして可笑しそうに笑った。
今日だって好きだから来たわけじゃない。夕食のメニューを考えるのが面倒だったから来ただけだ。
黙る俺を見て彗はグラスを置き、カウンターに手を付き少しだけ考えるように視線を落とす。
「炊いたごはん結構余っちゃってて。食べきれない?」
「足りない」
間を置かずに返すと、彗は「だよねえ」と言ってまた笑う。
「ならナゲットも付けるよ。大盛りで」
「なに食べるかって聞いた意味あるか?」
「どうせ夕飯考えるの面倒で来たんだろ。手間が省けたじゃない」
図星に黙る俺を見て彗は「少し待ってな」と言って、注文を告げに裏にあるキッチンへと行ってしまった。
しばらくして出来上がった料理を持って彗が戻ってくる。
大皿に盛られたシンプルなオムライス、同じように山になっているナゲット、それと大きめのグラスに入ったウーロン茶。
「足りなかったらパスタなら用意できるよ」
「ん」
渡されたスプーンを持ったまま、手を合わせる。
端の席で黙って食事を取っていると、キッチンから従業員が一人出てきては俺を見て軽く会釈をしてから「やっぱり」と言った。
「全部大盛りだから、絶対に深澄さんが来るんだって思いました。深澄さんが来てくれる日はオーナー店に立ってくれるので、もっと来てください」
「彗、従業員に迷惑かけるな」
「なら深澄がもっと来たらいいんだよぉ」
「それは嫌だ」
すぐに返したら従業員が小さく笑って、そのまま離れていくのを見送る。
彼が離れると店の音が少しだけ戻り、彗がこちらに視線を戻した。
視線を無視して食事を続ける。俺が食べている間は彗もなにも言わない。
グラスの音と、遠くの会話だけが続いた。
それから暫くして、皿が空になり俺はスプーンを置く。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
軽く言うと、カウンターの向こうから彗が空いた皿を下げ、半分ほどに減ったグラスに追加でウーロン茶を注ぐ。
だがこのタイミングを待っていたみたいに、彗が口を開く。
「……珍しいね」
「なにが」
「スミが他人に興味を持つことが」
俺はいっぱいになったグラスに口をつけながら、視線を逸らしたが彗は黙ったままこちらを見ている。
彗相手にこの手の話題で我慢比べするのは正直、分が悪い。
「紡葵くんはただの客だ」
「あれぇ? この前まで『永原くん』って呼んでなかった?」
「常連だ」
つい先日、変えたばかりの名前で呼んだら目敏く気付かれた。
それを深い意味はないと返したが彗はカウンターに肘を突きながらゆるく首を傾け、真っ直ぐに俺を見る。
「でもそんなたかが常連のためにわざわざ思い出の花を?」
軽い口振りなのに、絶妙に逃げ場を奪う問いかけに一瞬だけ言葉が詰まる。
「話を聞いてたら気になっただけ」
「他人に興味ないお前が? いや、持たないようにしている。かな」
「だから話が」
それだけで既に十二分に特別扱いだろうと言いたげな彗に、鬱陶しくなってつい声が低くなるが俺が言い切る前に彗が軽く被せる。
「一目惚れなんじゃない?」
彗は普段、感情を見透かされないようにサングラスをしているが、暗い店内では人の感情が見づらいからと外している。
隔てるものがなにもなく、見つめられて居心地が悪い。
彗を無視してウーロン茶を一口飲む。
グラスを置くと、その中で氷がぶつかってカラン、と音を立てた。
目を逸らしたまま暫く黙る。
「俺が人を好きになったらどうなるか知ってるだろ」
視線を逸らしたまま言う。
思い出したくない記憶を無理矢理に引きずり出された感覚に、苛立ちが滲む。
彗に対してじゃない。そういう風にしかできない自分にだ。
そんな俺の気持ちを察したのか、少しだけ間を空けてから彗が肩を竦めた。
「まあ空っぽの花屋わざわざ再建するくらいだもんな。頼まれても望まれてもないのに」
確かにそういうやつだもんね、と言いたげな彗の口振りに眉根が寄る。
「紡葵くんがいいやつなのは彗にもわかるだろ。友達以上になって、彼の顔が曇るのなんか見たくない」
言い切ってから、わずかに息を吐く。
グラスに触れた指先に、ほんの少しだけ力が入る。
「『友達』なんだね」
「……揚げ足取るな」
短く返して、再びグラスに口をつけると舌先に氷が触れてその冷たさにピリ、と痛んだ。
「まあでも、『そういう恋愛』をするのがスミだって僕は思うけど」
そうやって平然と言うところが、彗の嫌なところであり。恐らくいいところであり。
俺が彗と離れようとは思えない「らしさ」なんだろうと思う。
「そんなこと言うのお前くらいだから」
が、それとこれとは話が別だ。
低い声で言い返したが彗は肩を揺らして笑うだけ。
「えーでもつーちゃん案外気にしないタイプかもよ?」
「お前みたいなのそうそういるか。っていうか好き前提で話を進めるな。そういう好きじゃない。ならない」
言葉を区切るように、はっきりと言い切る。
それでもどこかだけが引っかかり、消しきれないまま、残る。
彗はそれ以上はなにも言わず、静かに瞳を細めた。
「はいはい。で、つーちゃんが探してる花ってどんななの?」
もうそのことには触れないよと彗は話題を変える。
それに一度だけ顔を上げ、俺はそのまま視線を逸らした。
「守秘義務ってのがある」
それだけ言って、両手でグラスを握り締める。
彗が興奮した眼差しで口をパクパクして、なにか言いたげだったが俺はそれを無視した。
だってまだ言いたくない、彗にも、誰にも。
二人でまだ、輪郭も見つからない花を一緒に探していたいから。
*****
あれから数日、店に立ちながら同じことばかりを考えてしまう。
客の途切れたタイミングで滞っていた作業を再開するも、いつもと変わらないはずなのにいつも以上に静かに感じた。
そのせいか、あの時彗に言われた言葉が頭に過ぎる。
「一目惚れなんじゃない?」
小さく息を吐き、「くだらない」と心の中で吐き捨てる。
注文が入っていた分の花束を作るのに花を選び、作業台で茎を揃えて余分な葉を落とす。
幾度となく繰り返した作業に、手はいつも通り動くのに思考が少しだけ遅れて一度手が止まる。
ああ、彗のやつ。本当に面倒なことを言いやがって。
苛立ちの行き場がない。腹の内に残り続けるそれをなんとか静めようともう一度、茎を切る。
ふと、店のドアに目が向く。
いつもそこから店に入っていたのは自分の方で、今自分が立つこの場所には別の人がいた。
俺は瞼を伏せ、深く息を吐く。
考える必要はない。もう終わったことだ。あれから何年も経つ。
余計なことを考えなくていいように、目の前の花に視線を戻す。
「デルフィニウム」
手近にあった花を取って、そういえばこれも青い花だと気付く。
これは一輪咲きではないから紡葵くんが探しているものとは異なるのはわかっていた。
けれどなにを考えるより先に体が動いた。
数本のデルフィニウムに白い花を足し、長さを揃えて余分な葉を落とす。
青色の不織布と透明のラッピングシートを取り出し、輪郭を手に馴染む形に整えて最後に軽くリボンを結ぶ。
出来上がった、片手に収まる小さめの花束を俺は作業台にそっと置いた。
そのまま後ろに置いたままの椅子に、腰を下ろして頭を抱える。
――嗚呼。
やってしまった、と思った。
探している花じゃないとわかっていたのに、理性や思考を置き去りにするように勝手に作り上げた花束。
誰を想像して作ったのか、ここまできてしまえば自分でも気付く。
俺は天を仰ぎ、溜息を吐き捨てた。
贈る相手も売る相手もいない花束を作ってどうするんだと言い聞かせつつ、売り物に出来ないものだから持って帰るしかない。
時計を見れば、いつの間にやら閉店時間をだいぶ過ぎていた。
店を閉めようと店の鍵をかけようとした瞬間、ガラス扉の向こうに紡葵くんがひょいと姿を現した。
来るなんて想像もしていなかったから、驚いて一瞬動きが止まる。
が、すぐに鍵から手を離して扉を開けた。
「こんな時間まで店の明かりが点いてるの珍しいな。忙しかったのか?」
「いや、ちょうど閉めるところだった」
暖かくなってきたとはいえ。気温差もあり朝晩はまだ少し冷える。
中に入るように言えば紡葵くんはいいのかと視線で確認して、俺が頷いたのを見てから店内に入ってきた。
そしていつも通りの調子で店内を見回す。
「さっきまで莉音と夕飯しててさ。花の話になって」
「そうか。なにかわかったのか?」
莉音、恐らく以前話していた学生時代の友達だろう。
わざわざその後に店に来るということはなにか思い出したことでもあったのかと問いながら、店の札を裏返して【CLOSE】にかけ替える。
作業台に戻り、その上を片付ける俺に構わず紡葵くんは言葉を続けた。
「暑くもなく寒くもない記憶だから、夏と冬以外じゃないかって話をして」
「なるほど」
相槌を打ちながら、視線が先程作ったデルフィニウムの花束に戻る。
俺は少しだけ迷って、手を伸ばした。
持ち上げたところで、紡葵くんが気付く。
手の中に収まるその重さが、妙に意識に残った。
「ちょうど青の花で花束作ってたのか?」
この花は見たことないかも。
紡葵くんはそう言って、少しだけ首を傾げた。
「でもオレのはこの花じゃないかも――」
言い終わる前に、花束を差し出す。
「俺から」
「え?」
花に落ちていた紡葵くんの視線だけがこちらに向いた。
客に渡す時のように、渡した客が誰かにプレゼントする時のように。
両手で持ち直した花束をもう一度、紡葵くんに差し出す。
「俺から、紡葵くんに」
俺の言葉に、紡葵くんがぱちくりと瞬きをした。
そして一瞬だけ間が開いてから、はっと思い出したように続ける。
「え、あ。この前話したから? でも気持ちだけって言ったろ」
この前も言ったけどと零して、彼は受け取るかどうかを迷うように視線を揺らした。
「うん。でも受け取ってもらえたら嬉しい」
俺は言葉を選ぶ余裕もないまま、続ける。
「紡葵くんをイメージして作ったから」
零れ落ちる心の欠片がそのまま声になって口を衝いた。
紡葵くんは矢張り少し、困ったような。けれど照れくさそうな顔をして、花束を受け取る。
「花束なんて初めてもらった」と零して持ち直した瞬間、青が揺れた。
彼の腕の中でほんの少しだけ花びらが触れ合うのを見て、
――嗚呼、と思った。
無意識に視線を逸らして。
逸らしたはずなのに、まだそこに残っている。
青い花をなぞる指先、俺を見て緩んだ表情。
もう二度と水をやるつもりのなかった花が、蕾を付け咲いていることに気付く。
この花の正体を俺は知っている。
「深澄、ありがとう」
嬉しい、と笑ったのを見て俺は「いいえ」と返す以外の言葉をなにも言えない。
ならないなんて無理だ。
好きだ。以外の言葉はない。
もう、とっくにあった気持ちだと気付かされて少しだけ悔しくなった。
同時に、自分の内に秘めて留めておくことができなくなる。
「デートしないか?」
「え?」
一拍遅れて、紡葵くんがぱちぱちと目を瞬かせる。
それでも言葉と状況の理解が追い付かないようで左右に忙しなく泳がせた。
「いや、急だったな。無理ならいい」
曇らせたくないなんてことを彗に言いながら、どう見たってこれは困らせている。
このまま望まぬ返事をさせたくなくてすぐに付け足すが、視線は逸らさない。
「デートって……。友達なのに?」
処理が追い付いたのか、認識合ってる? と素直に聞き返してくる紡葵くんに幾らか気が緩む。
「雰囲気に合わせた」
「言うようになったなあ。ちょっとビックリした」
嘘は言わない。けれど本音も零さない。
紡葵くんは少しだけ不満そうに、けれどおかしそうに肩を揺らした。
「気を許してる。友達だから」
そういう冗談くらい、友達なら言うだろうと誤魔化してみるが自分で言って棘が刺さる。
彼は数秒だけじっと俺を見たかと思うと考えるように視線を逸らし、再び俺に戻した。
「うん。行く」
「そうか」
断られなかったことに酷く安堵したのを悟られないように返す言葉が、少しだけ冷たくなってしまうが紡葵くんがそれを気に留めた様子はない。
瞳を細め、俺は首を傾ける。
「候補は水族館か植物園なんだが、どちらがいい?」
そう問えば紡葵くんはなにかを言おうと開いた口を一度閉ざし、一瞬だけ迷ってから小さく「じゃあ、植物園」と答えた。
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