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第8話-6月②

 かちゃり、と鍵が回る音がして、扉が開く。   「どうぞ」    深澄に促されて中に入ると、外の雨音が一段遠くなった。  同時に、空気が変わる。  ひやりとした温度と、わずかに湿った匂い。  水と土と、花の匂いが混ざってる。   「いつもと同じだ」    植物園に行った帰りだからか、知った場所であるここが妙に落ち着く。  思わずそう呟くと、後ろで扉が閉まる音がした。   「そうか」    思った通りに伝わったかどうかはイマイチわからない、でもいつもと同じ短い返事。  振り返ると、深澄は鍵を閉めながらこちらを見ていた。  店の中にいる時と同じはずなのに、どこか違って見えるのはなんでなのか。  エプロンをしていないから? 店内が暗いから?  どちらも違う気がして、違和感をうまく言葉にできない。  見慣れているはずなのに、どこかだけ噛み合っていないみたいだった。   「ちょっと待ってろ」    そう言って、深澄が店の奥へと向かう。  足音が遠ざかって、また静けさが戻った。  一瞬、詰まった息が楽になりオレはそのまま店内を見回した。    見慣れたはずの景色、何度も来たことがある場所。  それなのに、胸の内に広がる妙な違和感を拭えない。  落ち着くって思ったのは本当なのに、じわりじわりとずれていく感覚がする。   「雨」    やけにはっきり聞こえる雨の音に、振り向くと雨脚が強くなっていた。  外で聞いてたよりもやけに近く感じたのはそのせいだろう。   「ほら」    戻ってきた深澄が、シンプルなネイビーの傘を差し出す。   「ありがと」    受け取りながら、その手元に少しだけ視線が残った。  同時にふと、思い出す。   「初めてここに来た時も、雨だったな」    背後で落ちる雨のように、ぽつりと零すと深澄は短く「そうだったな」と言った。   「店先にいるのに、入って来ないから何事かとは思ったな」 「確かに。なにも言わないでいるの怪しいよな」    この店、大きなガラス戸になってるから店の中からも外の様子が見える。  そこに興味を示すでもなく、足を止めてたら店主からしたら怪しんで当然だ。  突然雨が降ってきたからとか色々考えてたのもあったけど、よくなかったと笑うと深澄は小さく首を振る。   「どうしたのかって思っただけだ」 「そっか。でも深澄が出てきてくれたから、雨宿りさせてくださいってちゃんと言えたんだよな」 「手伝わせて悪かったな」 「いいよ。ああ言ってくれたの、気持ちが楽になったから」    話している間の深澄の声は、いつもと変わらない。  オレはあの時のことを思い出しながら、店内を見回す。  そう、あの時もこんな感じだった。  花の匂いと、少し冷たい空気。  花屋に入った記憶なんてなくて、店の中ってこんな鮮やかなんだって思った。新鮮で、少しワクワクして。  でも自分がいていい場所には思えなくて、緊張した。   「軒先で花を見てさ、思い出したんだよな。昔、青い花をもらったことあったなって」    ぽつりと零した言葉を、ほんの少しだけ切る。  なんとなく、落ち着かなくてオレは自分の指先を擦り合わせた。   「で、深澄に聞いた。青い花ってあるのかって」    視線を戻すと、深澄は静かにこちらを見ていて。  一瞬だけ、間が落ちる。   「ああ、探してるって言ってたな」 「言った」    深澄の言葉に、頷いてから少しだけ考える。  言った、けど。と思わず黙ってしまうと深澄が緩く首を傾げた。   「思い出すまで忘れてたのに。なんでだろ。探してるのかって深澄に聞かれて、咄嗟に『探してる』って答えてた」    あの時のオレは聞いた手前、探してるわけじゃないって返すのが気が引けたのかもしれない。  でも自分でも無意識に口を衝いた肯定の言葉がなければオレは今、店に通っているしこうして深澄と友達になって出かけていることもなかったんだろう。   「そんなつもりじゃなかったのに、深澄が『一緒に探す』って言ってくれたの。すごく嬉しかったんだ」    深澄が、当然のように言うから。  花屋として否定なかったってだけかもしれないけど、それでもぽつりと落とした何気ない言葉を拾ってくれたことが嬉しかった。  急に照れくさくなってそれを誤魔化すつもりで深澄を見たが、深澄はなぜか驚いたような表情を浮かべていて。  瞳を丸くしてすぐ、考え込むように視線を落とす。  そして、わずかな沈黙が流れた。   「俺は、そんなつもりじゃ……」    深澄はぽつりと零すと、瞼を伏せそこを震わせる。  眉根を寄せる表情が、オレには息苦しそうに見えた。  聞こえた言葉の意味を問うべきか、迷って。答えが出なくて黙っていたら深澄の方が先に口を開く。   「俺は、ただ。そういう花屋で在ろうとしてただけだ」    そうだと言う深澄に、オレは首を傾げる。   「どういう、ことだ?」    あまりに抽象的で話の内容が理解できない。  聞いて後悔しそうな気もしたが、そこから逸らせなかった。   「前の店主が、そういう人だった」    深澄は視線を落としたまま、ぽつりと呟く。  なぜだろう、どうしてわかってしまったのか自分でもわからない。  ただ今、深澄は。以前好きだった人の話をしてるって気付いてしまった。  いや、違うかもしれない。まだ、その人が好きなのかも。  その瞬間、突然呼吸がうまくできなくなった。  深澄がこちらを向いてなくてよかった。  オレは悟られないように短く「うん」と返す。   「来た客を、追い返さない。どんな花かわからなければ、親身になって話を聞いて一緒に探す」    思い出すことをどこか拒むような、震えた声で深澄は言ってまた黙った。  少しだけ間が空く。   「あいつがやっていた花屋は、そういう店だった」    吐かれたため息が、自分に向けたものだったのか。その人に向けたものだったのか。  オレにはわからない。  深澄はゆっくりと瞬きをする。   「穏やかで、朗らかで」    言葉を探すみたいに、少し間を置く。   「来た客を、追い返さない」    短く、それだけ言ってから、わずかに間が空いた。   「無理に売ろうともしないし、押し付けることもない」    深澄との視線は、まだ合わない。  床に落ちたまま、記憶を探るようにゆっくりと左右に動く。   「花を受け取った人を、笑顔にしてた」    その声は変わらず静かで、淡々としているのに。  なにか、どこか。噛み合っていない気がした。   「花に囲まれた空間にいるのが幸せだって、花屋は天職なんだって」    一度だけ、言葉が途切れる。   「笑っていたな」    そうだと言った最後の一言は、少しだけ遅れて落ちた。  静かな店の中で、外の雨音だけがやけに近く聞こえてくる。  オレはなにも言えなかったし、深澄もしばらくなにも言わなかった。  一瞬、唇を噛んだかと思うと瞼を伏せ、首を振る。   「俺には、できない」    今深澄が吐いたため息が、深澄自身に向けられたものだっていうのがわかった。  オレは手に持った傘を、両手でぎゅっと強く握り締める。   「どうして、深澄は。花屋をやろうと思ったんだ?」    前に深澄は、「好きで花屋になったわけじゃない」って言ってた。  その時のオレは仕事なんだからそういう考えもあるよななんて暢気に考えていたけど。  そんな簡単な理由じゃないんだって、今ならわかる。  深澄を知りたい気持ちと、知らないままでいたい気持ちが混ざり合えない。   「あいつがある日突然捨てた、空っぽになった店を見て。このままだとあいつの存在まで消えてしまう気がしたんだ」    深澄は床に視線を落としたままその時の気持ちを思い出すように、組んだ手をぎゅ、と強く握り締めた。   「思い出も。好きだった花も。残したかったものも」    深澄は、そこで一度言葉を切った。  静寂に包まれる店内に、雨音が響く。   「……全部、ここに残したかった」    降り注ぐ雨の音に、消されてしまいそうな小さな声。   「だから、継いだのか?」    それが理由かと問えば、深澄は静かに頷いた。   「花屋も。花も。この場所も。残しておけば、戻ってくる気がして。ある日、何事もなく。『また来たの?』と笑う笑顔が見れるんじゃないかと」    そうだと言う深澄の声に、表情に。自嘲の混じった苦さが滲む。  歪に浮かんだ口元の笑みに、胸が強く締め付けられて呼吸が詰まった。   「待ってた」    そう言って、深澄は両手で顔を覆った。  ため息を吐くためだったのか、涙を隠すためだったのか。オレにはわからない。   「好きだったから、愛していたから」    震えた声でその言葉が呟かれた瞬間、オレは「やっぱり」なんて思った。  深澄ははああ、と深い深いため息を吐くとゆっくりと手を下ろす。   「今も?」    さっきから深澄の口から紡がれる言葉たちが過去形であることに気付いて。  その気持ちは変わっていないのかと聞いたら深澄の視線がようやっと床から離れ、店内に向いた。   「いや……」    短い言葉で否定をする深澄の目にはさっきまでの苦さはない。   「今はもう、ここは俺の店だ」    そう言った深澄の言葉に、さっきまでの息苦しさが消えていきオレは自分の胸を押さえた。   「俺にはあいつと同じようには出来ない。出来なくてもいいんだって、今初めて思った」 「なんで?」    気持ちの変化に追いつかず、首を傾げると深澄はオレの方を振り返って真っ直ぐにこっちを見ながら瞳を細める。   「紡葵くんが。『すごく嬉しかった』って言ってくれたから」    濁りも、淀みもなく言われて一瞬。外の雨の音が止まった気がした。  頭が真っ白になって返す言葉がなにも浮かばないでいるオレに構わず、深澄は話を続ける。   「あいつがやっていた店じゃないから戻ってこないんだろうかってずっと考えてた。俺には出来ないのに、出来るわけないのに」    瞬きをする度に、深澄の目の奥が捉えるものが変わるのがわかる。  過去を振り切った瞳に真っ直ぐに見つめられて、「あ、逃げられない」って思った。   「でも紡葵くんが喜んでくれたのは、俺がしたいと思ってした行動や言葉だった。ならもう、同じように出来なくたっていい」    愛の告白と大差ない言葉に、全身の熱が一気に上がっていく。  問題なのはこれを深澄がわかってて言ってるのか、まったく意図していないのか表情を見るだけでは判断ができないことだ。  目を逸らすことが出来なくて、傘を握る手が汗でびしょびしょに濡れる。   「俺は人を好きになると、その相手を自分より優先する。自分の心よりも。でも手に入れたらきっと、それと同じくらいその心を束縛しようとする。俺はそんな自分が嫌だ」    深澄は俺と距離を詰めると、ぽつぽつと気持ちを吐露する。  そして傘を握り締めているオレの手の緊張を解くように優しく下ろさせた。   「深澄がなにかをハッキリと嫌だって言うの、珍しい気がする」 「言うよ。俺はこんな自分のことが嫌いだからな」    やっと出てきた言葉を返すと、深澄は緩く首を傾げてオレを見下ろす。  少しだけ深澄の言葉の意味を考えてから、オレは続けた。   「それって、今その対象がオレだから言うのか?」    話が僅かに逸れたように感じたけど、恐らく違う。  ずっと深澄は「自分はとても愛が重い男だ」って主張してるだけだ。  だが憶測の域を出ないので合ってるかと確認するように問えば深澄は平然と頷いた。   「そう。俺、紡葵くんのことが好きだ」    矢張り深澄は本心を告げる時、なにも濁さない。視線も、言葉も、表情も。  それは、ずっと。俺の知ってる深澄だなと納得したし、言われた瞬間に胸の奥でなにかがすとんと落ちた。  驚きはなかった。  だって、多分、恐らく。    オレは今日一日、ずっと。  その言葉を言ってもらえるのを待っていたから。   「そっか、わかった」 「わかった?」    だから正直に返したら、その表情が怪訝そうに歪んだ。  あからさまにその顔に「どういう意味だ」って書いてあるのでオレは片手を傘から離し、力加減を確認するように軽くグッパと動かしてから深澄の手を掴む。   「オレも好きに深澄を好きでいるから、深澄もそうしろ。嫌だって思ったら言うから」    誤魔化す必要も、隠す理由もないのでオレも自分の気持ちを返したら何故か沈黙が流れた。   「え?」 「え?」    目を丸くした深澄に聞き返されて、オレも一瞬首を傾げてしまったが大事な言葉が抜けていたかと思ってオレは慌てて、   「オレも深澄のことが好きだ」    と告げる。  だがオレを見る表情は益々険しくなっていく一方だ。   「俺の話聞いてたか?」    その、子どもに対して本当にわかってるのか? って聞くみたいな口振りやめて欲しい。  ちょっとムカついて、オレは掴んでた深澄の手を軽く払った。   「聞いてた。花屋を継いだ理由も、深澄が自分の持ってる愛の重さを嫌がってるのも全部深澄らしいなって思ったし。そういうところが好きだと思ったよ」    肯定するだけじゃ伝わらないと思って、理由も丁寧に添えて返したら深澄はすごい困惑して状況を飲み込もうと片手で口元を覆う。  深澄もなんだか随分と忙しそうにしてるけど、オレも今日一日で知らない深澄をたくさん見て、でも全部深澄らしいって思ってしまうくらいには気持ちが騒がしい。   「オレは、恋人になりたい好きなんだけど。深澄は違う?」 「違わない。でも俺、執着心強くて面倒くさいよ」    体を傾けて、考えるために逸れた視線の先に回り込んで深澄を見上げながら問いかける。  深澄は手を下ろすとすぐに首を振ったが、その目には応えられる不安が滲んでいた。  告白してきたの、深澄の方だと思うけどと思いつつ黙っておく。  深澄にとってそれほど自分の愛の重さを嫌悪しているんだってわかるから。   「うん、聞いた。好きにしろって言ったろ」    深澄自身がそれをどう思おうと、今のオレにある答えは一つだけだからそう返すと深澄は目元に穏やかな笑みを浮かべた。  からかいを含む、少しだけ悪戯な眼差し。   「嫌だって思ったら言うから?」 「そうだよ」    ワザとらしくくり返された言葉に即答すれば、深澄の口から「ふっ」と笑い声が零れ落ちる。  喜びと照れくささが混じったようなそんな声。  深澄は数度ゆっくりと瞬きをすると、オレの手を掴んで握り締めた。   「手に入れたら、簡単には手放さないよ」    真剣に向けられた言葉に、今度はオレの方が喜びと照れくささにむず痒くなってくる。  勝手ににやけそうになるのとなんとか堪えつつ、けど嬉しさを隠しきれなくてつい「へへっ」と笑ってしまった。   「別れる前提でいられるよりはずっといい」    と返せば深澄はいつものように短く「そうか」と言って。  緊張した声で「抱き締めてもいいか」と聞いてくるので頷いたら、すぐに強く抱き締められた。    想いが伝わった喜びと、抱き締められた緊張に。  外の雨音を掻き消すほど、オレの心臓はうるさかった。

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