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第5話 歪み

 食堂の空気がわずかに緩んだ、その時だった。  静寂を破るように、控えめなノックが響く。 「失礼いたします、陛下」  入ってきた近衛の騎士は、ヴィルユーグの半歩後ろで片膝をつき低く告げた。 「第七隊にて問題が発生しました」  ヴィルユーグの手が止まる。 「内容は」 「命令違反の疑いにより、一部兵が拘束されております」  一瞬の沈黙。 「……詳細は後ほど報告いたします」  短く告げると、ヴィルユーグは立ち上がった。 「下がれ」  騎士が退出するのを待たず、こちらへ視線が向く。 「食事は終わりだ」  それだけ言い残し、踵を返す。  引き止める間もなく、その背は扉の向こうへ消えた。  残された静寂の中で、俺は小さく息を吐く。  ――命令違反、か。  この国で、その言葉が持つ意味は重い。  規律の徹底されたこの場所で、それを破るということは。 「……何があった」  思わず呟いた言葉に、答える者はいない。  ただ一つ、胸に残るのは妙な引っかかりだった。  あの整いすぎた街。  無駄のない兵の動き。  それらと“命令違反”という言葉が、うまく結びつかない。  規律正しく並ぶ兵たちの動きに乱れはない。  号令も、応答も、寸分違わず揃っている。  まさしく、完璧。  そう思うはずなのに、胸の奥に小さな違和感が残る。  次の日の早朝、俺は城内を歩きながらある場所に向かっていた。 「第七隊の件をご存じですかな」  隣に立つクラウスが、静かに口を開いた。  さすが、この人は聡い。 「命令違反、だったか」 「あくまで“記録上は”でございます」  含みのある言い方に、俺は視線を向ける。 「何があった」 「国境付近にて不審な動きがありました。しかし上からの明確な指示が下りず――」  クラウスは一拍置いた。 「隊長は独断で部隊を動かしました」 「……規律違反だな」 「はい。ですがその結果、被害は最小限で収まっております」  なるほど、と息を吐く。  その時、訓練場の端に、一人だけ動きの鈍い兵が目に入った。  周囲よりわずかに遅れる。だが決して怠けているわけではない。 「……あれは?」 「第七隊の者です」  俺は迷わず歩み寄った。 「少し話をいいか」  声をかけると、若い兵は一瞬だけ目を見開き、すぐに背筋を伸ばした。 「は、はい!」  緊張が露骨に伝わる。 「命令違反をしたそうだな」  直球で問うと、兵の顔が強張った。 「……処分は、覚悟しています」  かすれた声だった。  だがその奥にあるのは、恐怖だけじゃない。 「質問を変えよう」  俺は一歩だけ距離を詰める。 「お前は、命令を破ったのか。それとも守ったのか」 兵は息を呑んだ。 「命令は“持ち場を離れるな”でした。ですが、あのままでは……仲間が、やられると」  拳を握りしめる。 「だから、動きました」  その一言に、全てが詰まっていた。  俺はゆっくりと頷く。 「そうか」  それ以上は問わなかった。  振り返ると、クラウスが静かにこちらを見ている。 「……規律は、守られている」  ぽつりと呟く。 「だが、それで現場が機能しているとは限らない」  誰もが正しく動いている。  だからこそ、逃げ場がない。  命令を守れば、被害が出る。  守らなければ、処罰される。 「詰んでいるな」  思わず苦笑が漏れた。  これは怠慢でも反逆でもない、むしろ逆だ。  責任感があるからこそ、壊れかけている。 「……陛下に進言なさいますか」  クラウスが静かに問う。  俺は少しだけ考え、そして息を吐いた。 「するしかないだろ」  視線を訓練場へ戻す。  規律正しく動き続ける兵たち。  だがその完璧さの中に、確かな歪みがある。 「このままじゃ、そのうち本当に壊れる」  そして、それを正せるのは――。 「王に会わせてくれ」  そう言って、俺は踵を返した。

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