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第10話 寝室にて

 扉をノックすると、「入れ」という無機質な声が返ってきた。  開けた瞬間、静かな空気が流れ込んでくる。  余計な装飾のない室内は、整いすぎているほど整っている。  だが生活の温度は薄く、どこか無機質だった。 (……こんなところで、休めるというのか?)  そんな疑問が浮かぶ。 「来たか」  ヴィルユーグはソファにどっかりと座り、手持ち無沙汰にグラスを揺らしていた。 「……失礼します」  促されるまま向かいに座る。  机の上には何もない。 (……何をすればいい)  わずかに息を整えたところで、ヴィルユーグが口を開いた。 「さて、眠らせる方法だ。何か案はあるのか」 「……いくつかは」  考え、言葉を選ぶ。 「まずは気を紛らわせるのが有効かと」 「具体的には?」 「盤遊戯などを」  俺は自分の荷物から持ってきた盤と駒をテーブルの上に置いた。  それを見て、ヴィルユーグはわずかに眉を寄せる。 「……それはどう動かす」  一瞬、言葉を失う。 「ご存知ないのですか」  このゲームは世界中で知られており、子どもの時から親しまれるものだ。 「ああ。必要がなかった」  驚きと同時に、なるほどこの人らしいとも思った。 「では、簡単なものを」  盤の上に、小さな駒を並べる。俺が持っているのはガラスでできており、アンティークとしても嗜好される。 「これは“制域盤”と呼ばれるものです」  ヴィルユーグの視線が盤に落ちる。 「領域を取り合いながら、相手を制圧する遊戯です」 「勝利条件は」 「二つあります」  俺は指で示した。 「一つは、大将を追い詰めること」  中央の駒を軽く叩く。一つだけ、他よりも大きめの駒。 「もう一つは、兵を一定数捕虜にすることです」 「……捕虜?」  ヴィルユーグの目がわずかに細められる。 「駒を挟んだ場合、討ち取るのではなく“捕らえる”」  実際に動かして見せる。 「捕虜は後に使うこともできます」 「再配置か」 「はい」  短い沈黙。ヴィルユーグは早くも飲み込んだようで、軽く二度頷いた。 「合理的だな」  興味を持ったようで、俺はひっそりと胸を撫で下ろした。 「だが、なぜ仕留めない?」  予想通りの問い。 「その方が確実だろう」 「……場合によります」  自然と、言葉に力が入る。 「生かしておいた方が、後で有利になることもある」 「例えば」 「交渉材料、労働力、情報」  淡々と並べる。 「戦わずに済む可能性も増えます」  ヴィルユーグは何も言わない。  だが視線は、こちらを捉えていた。 「……なるほど」  やがて、小さく呟く。 「続けろ」 「では、実際にやってみましょうか」  ゲームが始まり、二人は交互に駒を動かす。  コツ、と小さな音。  ヴィルユーグの動きは迷いがない。  序盤から中央を制圧しに来る。 「……攻めますね」 「効率がいい」  即答だ。  兵を一つ、あえて前に出す。 「そこは不用意だ」  ヴィルユーグが即座に反応する。  挟まれる形。  歩兵が捕らえられる。 「……いえ」  俺は次の一手を静かに動かす。  そこで、別の駒が二つ、包囲に入る。 「……ほう」  ヴィルユーグがわずかに目を見張った。  逆に、相手の兵を挟む形になる。 「誘ったのか」 「はい」  短く答える。 「一つを捨てて、二つを取る」 「損失は」 「許容範囲です」  言ってから、少しだけ視線を逸らす。  その言葉は、本来ヴィルユーグのものだ。 「……面白い」  ぽつりと落ちる。  さらに数手進み、どんどんと場況が変わっていった。  ヴィルユーグは容赦なく攻める。  兵を切り捨て、大将への道を開く。 (……やはり)  無駄がない。  だが同時に、犠牲も多い。 「なぜ守らない」 「守りすぎると、機を逃します」 「だが損失が増える」 「はい」  一度、息を置く。 「ですが、捕虜にすれば戻せます」  静かに言う。 「失わずに済む」  その一言に、わずかな沈黙が落ちた。  ヴィルユーグの視線が、盤からこちらへ移る。 「……甘いな」  そう言いながらも、その声は強くなかった。 「理想論だ」 「かもしれません」  否定はしない。 「ですが」  駒を動かす。 「その方が、長く戦えます」  ぴたり、と動きが止まる。  互いに盤を見つめる。  そして。 「……なるほど」  ヴィルユーグが小さく呟いた。  その響きは、先ほどよりも深い。  気づけば、互いの距離が近くなっていた。  同じ盤を覗き込む形。  ふと、手が伸びる。  同時に、ヴィルユーグの手も動く。  互いの手が、触れそうになる。  俺はぴくりと指先を振るわせ、そしてそっと引っ込めた。 「……どうぞ」  譲ると、ヴィルユーグはそのまま駒を取った。  何事もなかったように。 (……気にしているのは、俺だけか)  再び、駒を動かす音だけが部屋に響く。  沈黙が続く。  俺は沈黙が耐えきれず、口を開いた。  何か、話すことは……。 「……陛下は」  自分でも唐突だと思う。 「結婚に、興味はおありですか」  ヴィルユーグは手を止め、ちらりとこちらを見た。 「必要があればする」  即答。 「価値があれば、結ぶ」  相変わらずな考えに、一瞬笑いそうになる。この男は、結婚でさえも合理的なのか。 「では」  さらに踏み込む。 「どのような相手であれば」  一瞬の間。 「有用であることだ」  簡潔な返答。  だが、その言葉がなぜか引っかかった。  その空気を断つように、ヴィルユーグが立ち上がる。 「冷えるな」  窓を閉め、戻る。 「クラウスに何か温かい物でも持ってきてもらおう」  いつの間に扉の向こうにいたのか、ヴィルユーグの注文を受けたクラウスはまもなく紅茶の入ったポットを持ってきた。 「飲め」 「……ありがとうございます」  一口含むと、温かさが広がる。  ふと、俺は頭に浮かんだ言葉を言った。 「温まると、眠りやすくなります。陛下も飲んでください」  何気なく言う。  ヴィルユーグの手が止まる。 「……根拠は」 「母が、俺の幼少期に言っていたんです。冬には俺を抱きしめて眠るのが定番で、確かに温かいと思う頃には意識は無くなっていました」 「……なるほど」  ヴィルユーグは小さく頷いた。  俺は顔を上げる。  ヴィルユーグの目が、まっすぐにこちらを捉える。  何故かその瞬間、俺の胸がまたザワザワとし始めた。 「ならば」  ヴィルユーグが急に身を乗り出し、俺との距離を詰めた。 「同条件で試す」 「え……?」 意味を理解する前に、言葉が落ちる。 「ここで寝ろ」 「……は?」  思いもよらない発言に、思考が止まる。 「体温が条件なら、単独より効率がいい」  一切の迷いがない。 「それは、その……」  一緒に寝ろ、ということ? 「問題があるか」 「……あります」  即答してしまう。 「合理的だと思うが」  ヴィルユーグは眉根を寄せた。それは怒りではなく、不服といった様子。 (そういう問題じゃない……!)  俺は内心で叫ぶ。 「……命令、ですか」  やっと絞り出した言葉は、動揺を滲ませないようにするのがやっとのものだった。 「……ああ」  短い肯定だが、俺の逃げ場を無くすもの。 (……本当に、何なんだこの人は)  理解できない。  だけど、今の俺に断れるのだろうか。いや……。 「……御意に」  結局、受け入れるしかない。  ヴィルユーグは満足げに頷いた。まるで当然の結果のように。 (……何をしているんだ、俺は。早く帰るために同盟の話を進めないといけないのに)  それでも、俺は気づき始めていた。  案外この男のことが嫌いではないことに。

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