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第13話 嫉妬

 まどろみの中で、リヨンはかすかに身じろいだ。  柔らかな温もりが、すぐ傍にある。  どこか安心するような、心地よい熱。  無意識に、それを追うように身体が寄る。  指先に、何かが触れる。さらり、とした感触。  髪を梳かれるような、くすぐったい感覚。 (……あたたかい)  もう少しこのままでいたい。 「起きろ」  聞き慣れた声が、すぐ近くで落ちた。 「へい……か……?」  まだ夢と現の間にいる俺は、掠れた声で目の前の男を呼んだ。 (なんで、ここにいるんだろう……?)  ぼうっとする頭では、現状が掴めずふわふわと浮かんでいるようだった。 「ほら、起きるんだ」 「あと、すこ……し」  そういって、意識が急に浮上する。 「……っ」  目を開けた瞬間、視界いっぱいに黒髪が映る。  息がかかるほどの近さに、ヴィルユーグの顔があった。 (――近い!近い!近い!)  一気に現実が押し寄せる。  そして昨夜のことが、断片的に蘇る。  同じ寝台で、眠って――。 「……っ」  反射的に身体を引こうとして、動きが止まる。 (俺、いま何を……!)  自覚するより早く、頬に熱が集まる。 「やっと起きたか」  何事もなかったかのような声音。  ヴィルユーグが肩肘をついて、俺を見つめている。  こんな失態、怒られるに決まっている!と俺は身を固くした。  だが、その視線がわずかに細められていることに気づく。 「……そういう顔もするのだな」  その声にはわずかに愉しむような響きさえも感じられる。 「……っ」  言葉に詰まる。  からかわれていると気づき、余計に顔が熱くなる。 「い、いえ……その……」  俺はうまく言葉にならず、口篭った。  その様子を、ヴィルユーグは静かに見ている。まるで、珍しいものでも観察するように。 「リヨンは朝が弱いのか」 「……いえ、そんなことは」  反射的に答えるが、説得力はない。  実際、まだ頭はぼんやりしている。 「騎士としては、どうなんだ」  淡々とした指摘。  別に咎めるような言い方ではなかったが、俺は無意識に謝っていた。 「……っ、申し訳ありません」  これ以上寝転んでいる方がまずいだろうと、ピッと身を起こす。 (……何をしているんだ、俺は)  内心で強く自分を叱責する。  かつては、どれだけ眠くとも起きていたし、任務に遅れるなど、あり得なかった。  それが今は。 「……気が緩んでいるな」  小さく呟く。  この国に滞在してから、どれほど経ったのか。  もしかして……。 (弛んでいる……?)  ここに残ること、それ自体が俺に悪影響を与えているのではないだろうか。  頭を抱えると、ふと先ほどの感触が脳裏をよぎった。  髪を、撫でられていたような――。 「……」  ちらりと視線を向ける。  ヴィルユーグはすでに起き上がり、何事もなかったかのように身支度を整えている。  その表情からは、もう何も読み取れない。 (……気のせいか) そう思うのに、胸の奥が妙に落ち着かない。 ここは敵国だ。 自分は任務のためにいる。 それなのに。 昨夜の距離も、今のこの感覚も――全てがくるわせてくる。 「支度をしろ」  振り返ったヴィルユーグに、短く告げられる。 「……は、はい」  俺は慌てて返事をして、ベッドから降りた。           立ち上がりながら、俺自身に言い聞かせる。 (……しっかりしろ)  それでも、胸の奥に残るざわつきは消えなかった。  寝室を出て廊下に出た途端、空気がわずかに変わった。  いつもと同じはずの朝。  けれど隣を歩くヴィルユーグの様子に、どこか違和感がある。 「顔色は悪くないな」  ふいに、そんな言葉をかけられる。 「……は?」  思わず間の抜けた声が出た。 「睡眠は取れたようだ」  淡々としているようでいて、どこか柔らかい響き。  今までリヨンを気遣う言葉など出てきたことがなかったのに、どう言う風の吹き回しなのかと訝しむ。 「……おかげさまで」  曖昧に答えると、視線を感じた。  ヴィルユーグが、こちらを見ている。  一瞬ではない。ほんのわずかに長く、観察するように。 「……何か?」  問いかけると、「いや」と一言で視線が外れる。 (……何なんだ)  何もかもが昨日までとは違っていて、落ち着かない。 「今日は午後から会議がある。同行しろ」 「……はい」  決定事項だというような口調に、俺はまた頷いてしまう。  ヴィルユーグは俺の反応に満足したのか、口角を上げていた。 (機嫌がいい……のか?)  昨夜、眠れたからだろうか。多分そうなのだろうと、俺は自分に言い聞かせ思考を区切った。  その時。 「おや」  前方から見覚えのある金髪の優男が、嬉しそうに手を振っている。  アレクシスだ。 「今日は随分と顔色がいいな、陛下」  にやりと笑うその男は、わざとらしく肩をすくめた。 「昨夜はよく“休まれた”ようで」  言葉の端に、からかいが滲む。  だが同時に、視線はわずかに鋭い。  ヴィルユーグは気にした様子もなく答える。 「ああ」 「そりゃ結構」  アレクシスは肩を竦めると、ふとこちらに視線を向けた。 「で、そっちの騎士殿は?」 「……私は特に」  なぜ俺にまで聞く?と俺は訝しげにアレクシスを見た。 「ふうん」  じっと見られる。 「顔、赤くないか?」 「……っ」  思わず息が詰まる。 (何を言っているんだ、この男は……!) 「アレクシスさんの、気のせいです」  即座に否定するが、内心は落ち着かない。  アレクシスは面白そうに目を細めた。 「へえ」  そのまま一歩近づいてくる。  距離が詰まる。 「リヨン、だったかな?」 「……はい」 「堅いなあ」  アレクシスはくすりと笑って言った。 「アレクでいいよ。その方が呼びやすいだろ」 「……では、アレク――」  そう言いかけた、瞬間。 「呼ぶ必要はない」  低く、冷たい声が割り込んだ。  空気が一瞬で変わる。  ヴィルユーグの視線が、まっすぐアレクシスに向けられていた。 「こいつの名など覚えなくていい」 「おっと」  アレクシスが肩をすくめる。  だが、その顔には笑みが浮かんでいた。面白がっているような。 「随分と手厳しいな」 「事実だ」  リヨンはそのやり取りを見て、言葉を失う。 (……何だ、この空気は)  明らかに、いつもと違う。  合理的では無いことを言うと、ヴィルユーグは同じセリフを返すが、今回は別にそんなやりとりでもない。  アレクシスはしばらくヴィルユーグを見ていたが、やがてプッと吹き出した。 「なるほどな」  楽しそうに目を細める。 「陛下も名前を呼んでほしいんだろう?」 「……は?何を言っている」 「男の嫉妬は醜いぞ」  さらりと言い放つ言葉に、場が凍りついた気がした。 「……」  ヴィルユーグは何も言わない。  だがその視線は、わずかに鋭くなっている。 (……嫉妬?)  言葉の意味が、うまく繋がらない。  アレクシスは満足したようにひとしきり笑うと、ひらりと手を振った。 「ま、体調は問題なさそうで何よりだ」 「余計なことを言うな」 「はいはい」  軽く流し、そのまま背を向ける。  去り際に、アレクシスはもう一度だけこちらを振り返った。 「騎士殿、無理はするなよ」  その声音だけは、先ほどとは違って真面目なものだった。 「……はい」  戸惑いながら頷く。  騎士団長の足音が遠ざかる。 (……何だったんだ)  まったく、嵐のような人だとリヨンはひとりごちた。  そのまま歩き出そうとした、その時。 「今夜も来い」  不意に、隣から言葉が落ちた。 「……は?」  思わず足を止める。 「昨夜と同じだ」  当然のように続けられる。 「その方が効率がいい」  また、その理屈だ。 「……ですが」  俺がそう言いかけるも、 「問題はない。昨夜がその答えだろう」  被せるように言われる。  全く逃げ場がない。 「……御意に」  結局、そう答えてしまう自分が憎い。  自己嫌悪に陥ったまま、俺はヴィルユーグの後を追う。  案内されたのは、小規模な食事室だった。  広すぎず、だが簡素でもない。  王の私的な空間であることが分かる。 「朝食の時間だ」 「……承知しました」  席に着いた直後、扉が静かに開く。  数人のメイドが朝食を運んできた。  テーブルに食事を並べている間、その視線がチラチラとこちらを向く。 「……」 ほんのわずかではあるが、確かに。 「……ねえ、あの方」 「しっ、声が」  小さな囁きが、耳に届く。 「昨夜、陛下と一緒に……」 「朝から……?」  抑えているつもりなのだろう。だが、完全には隠しきれていない。 (……やはり、そう見えるか)  じわりと居心地悪くなる。国の長と一夜を共にするということは、そう捉えられてもおかしくないだろう。  だが、部屋の中の出来事は説明のしようがないのも事実だった。 「静かにしなさい」  メイドたちを諌める声は、クラウスだった。  白髪交じりの髪をきちんと撫でつけ、背筋を伸ばしている。 「ここは陛下の御前だ」  穏やかな口調だが、有無を言わせない響き。 「無用な詮索は控えなさい」 「……申し訳ございません」  メイドたちは一斉に頭を下げ、慌てて作業に戻る。  その動きは無駄がなく、すぐに静寂が戻った。  統制されている、と改めて思う。  この国の規律の強さを。  しかし、先ほどの視線と囁きが、まだ残っている。 「気にするな」  不意に、ヴィルユーグが言った。 「……は」  顔を上げる。 「雑音だ」  彼はあっさりと言い切る。まるで本当に、どうでもいいことのように。 (……この人は)  やはり、他人の目を気にしていない。 「食え」  いつもよりわずかに柔らかい声音。 「冷める」  その一言に、妙な違和感を覚える。 (……やはり、機嫌がいいのか)  理由は分からない。  だが少なくとも、不機嫌ではない。  それが余計に、落ち着かせなくする。 「……いただきます」  小さく答え、食事に手をつける。  味は、よく分からなかった。  ちらりと、向かいを見る。  ヴィルユーグはいつも通り食事をしている。  だが、その視線が時折こちらに向けられていることに気づく。  一瞬ではない。  確かめるように、観察するように。 (……なぜ見る)  問いかけることはできないが、その視線が、妙に意識に残る。 「……」  無言で食事は進んでいく。 (……本当に、俺は帰れるのか)  ふと、そんな考えがよぎる。  その問いに答えを出すことができないまま、リヨンは静かに食事を続けた。

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