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第15話 距離
その日、俺はある違和感を覚えた。
会議中、ヴィルユーグの様子がおかしかった。
わずかに動きが鈍い。
書類を捌く手が遅い。
いつも以上に口数が少ない。
(……疲れているのか?)
そう感じたが、従者の誰も何も言わない。
だからリヨンも口を閉ざした。
だが、その夜。
「今夜は来なくていい」
「え……?」
ヴィルユーグは俺の返答を待たずしてさっさと自室に向かっていった。
その態度で、確信に変わる。
(……おかしい)
あの夜から、俺は毎晩ヴィルユーグに呼ばれていた。
それが突然途切れる理由など、一つしかない。
体調が悪いのだろう。
俺はクラウスを呼び、果物や氷水を持ってきてもらった。
それらを持って、ヴィルユーグの部屋へと向かう。
多分、この男のことだから拒否することは目に見えている。けれど、放っておくことはできなかった。
扉の前で一瞬だけ迷い、ノックをする。
「……誰だ」
「リヨンです」
「戻れ。用はない」
拒絶は予想通りだった。
それでも、俺は静かに扉を開ける。
室内に足を踏み入れた瞬間、やはりいつもと様子が違うと分かった。
ソファに座っているヴィルユーグの姿。でも、いつものように背筋が伸びた姿ではなく、背もたれに体を預けたように座っていた。
(……やはり)
「戻れと言ったはずだ」
低い声が飛ぶ。でも、怒ってはいない。
「承知しています」
恐れずに、リヨンはヴィルユーグへ歩み寄る。
「……体調が悪いのでしょう」
「問題ない」
短く切り捨てられる。
だがその声音は、明らかに普段と違う。
「失礼します」
そう言って、俺はヴィルユーグに手を伸ばした。
額に触れると――熱い。
「……熱があるようです。無理をしているから」
「……大げさだ」
振り払う気力もないのか、されるがままのヴィルユーグはやはりいつもと違う。
ヴィルユーグは強がりを言いながらも、起き上がろうとした瞬間、わずかにぐらりと体勢を崩した。
俺は即座に腕を回し、彼の背中を支える。
「ベッドに行きましょう。今日はもう寝た方がいい」
一瞬の沈黙の後、ヴィルユーグは「ああ」と一言肯定した。
肩を貸しながら、ゆっくりと歩く。
思ったよりも体温が高い。重さも、確かに感じる。
(……一人で抱えすぎなんだ)
寝台まで運び、体を横たえさせる。
毛布をかけ、水を差し出すと、上体を起こし素直に口をつけた。
「果物もありますが、食べられますか?」
「いや…いい」
「わかりました」
氷水にタオルを浸し、それを絞っていると、ヴィルユーグが俺の方を見て言った。
「なぜ……俺の世話なんか焼くんだ」
俺はその答えに逡巡したが、ベッドの端に腰掛け、そして口を開いた。
「……昔、俺が風邪を引いたときの話ですが」
ヴィルユーグは何も言わない。ただ視線だけが向けられる。
「子どもの頃で……熱を出して寝込んだことがありました」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「その時、母が夜通しそばにいてくれて。水を替えて、額に触れて……それだけなんですが」
少しだけ、息を吐く。
「嬉しかったんです。体調が悪いと、心細くなりますから」
静かな沈黙が落ちる。
「……そういうことを、されたことはない」
ヴィルユーグがぽつりと溢した。
その響きは淡々としているのに――どこか、かすかに寂しさを含んでいた。
(……そうか)
この人は王だ。
幼い頃から両親と離れ、並の人とは違う教育を受け、そしていつしか自分の気持ちを人には打ち明けないようにしてきたのだろう。
そう思うと、自然と彼との距離を詰めていた。
「今は」
そう言いながら、そっと背に腕を回す。
自分でも驚くほどあっさりと、その体を抱き寄せることができた。
「俺がいるじゃないですか」
軽く、背を撫でる。
子どもの頃、自分が母親にしてもらったように。
ただ、それをなぞるだけのつもりだった。
しかし……。
ヴィルユーグの手が、強くリヨンを掴む。
「……リヨン」
かすれた声。
距離が近い。吐息が触れそうなくらいに。
「はい」
そう答えた、その瞬間。
グイッと彼の体の方へ引き寄せられる。
「――っ」
唇に、柔らかな感触。
あっ、と思った時にはすでに目の前はヴィルユーグの漆黒の瞳しか映っていなかった。
人生で、初めてのキスだった。
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