17 / 19

第17話 空回り

 庭園に満ちていた穏やかな空気が、ゆっくりと形を変え始めていた。  紅茶が冷めるたびに淹れ直されるが、ヴィルユーグは変わらぬ表情のままリヨンを見ている。  その視線に耐えきれなくなったように、俺は口を開いた。 「……俺は、そろそろアルヴェリアへ戻るべきだと思っています」  言葉にした瞬間、自分でも分かるほど空気が張り詰めた。  ヴィルユーグの視線が、わずかに鋭くなる。 「理由は」  短く、低い声だった。 「騎士団の任務がありますし……長く離れれば統制にも影響が出る。それに、イリーナの件も……確認しておきたい」  並べたのは、もっともらしい理由だ。  けれども、その裏で別の感情が渦巻いている。  ……これ以上ここにいたら、戻れなくなる。  それが、怖かった。  ヴィルユーグが自分の生活に入り込みすぎている。  その事実が、じわじわと現実味を帯びてきていた。 「……」  沈黙が落ちる。  そして、ややあってヴィルユーグは言った。 「帰すつもりはない」  きっぱりと告げる言葉。 「……は?」  それに、思わず声が漏れる。  あまりにも、自分勝手だ。 「お前がここにいる意味を忘れたのか」 「忘れてはいません。ただ、婚約は破棄された。目的の半分は達成されています」  俺はヴィルユーグに言い返す。  だがヴィルユーグも一歩も引かない。 「同盟の是非は、まだ決めていない」 「それは……!」 「お前次第だ」  言葉を遮られる。  ヴィルユーグは決して怒ってはいない。それなのに、言葉には圧があった。  俺は言葉を失った。  視線を逸らし、拳を握る。 「……どうすれば」  ようやく絞り出した問いに、ヴィルユーグはわずかに沈黙した。  ほんの一瞬、逡巡するような間。  そして――。 「お前が、代わりに嫁になればいいかもしれない」  その瞬間、空気が止まったような気がした。 「……は?」  思考が追いつかない。  今、この男に何を言われたのか。 「……何を、」  言いかけて、言葉が続かない。  ヴィルユーグ自身も、ハッとした顔をした後黙り込んでしまった。  だが次の瞬間には、何事もなかったかのように視線を戻す。 (冗談……だったのだろうか?)  人の気持ちを掻き乱して、おちょくっているのか。怒りが沸々と湧いてきて、俺は理性が止める間もなく口にしていた。 「……ふざけないでください。こちらは真剣に――」 「ふざけていない」  俺の怒りを受け流すように、言葉が遮られる。  ヴィルユーグの目は、真剣そのものだ。  俺は息を呑む。 「お前が利用できる男だとは分かった」  まっすぐに見据えられる。  逃げ場のない視線。 「……それだけではない」  一瞬の間。  そのあと、はっきりと告げられた。 「手に入れたいと思っている」 「……っ」  心臓が強く打つ。  何を言われているのか、ハッキリとは分からない。  否、分かりたくない。  だが――、頭の奥であの夜の記憶がよみがえる。  唇の感触。  指先の距離。  庭園での言葉。  全部が一気に繋がっていく。 (……この男は、本気で言っているのか?)  怒りが混乱に変わる。 「……俺は、交渉のために来た」  震える声を押さえつける。 「あなたの玩具ではない」  ヴィルユーグは何も言わない。  その沈黙が、余計に苛立たせた。 「……失礼します」  それだけ言い残し、リヨンは席を立った。  振り返らない。  いや、振り返られなかった。

ともだちにシェアしよう!