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第22話 残響

 アルヴェリアへ戻ってから、三日が過ぎた。  城の朝は早い。  まだ陽も昇り切らぬうちから、騎士団の訓練場には剣戟の音が響いている。 「副隊長、おはようございます!」  元気よく声をかけてきた若い騎士に軽く手を挙げて返しながら、俺は訓練場を見渡した。  以前と変わらない光景。  部下たちの働きや、朝の空気、乾いた土の匂い。  それらは全部、知っている。  知っているはずなのに。 (……妙だな)  どこか、ふわふわとした夢のような感覚だった。  自分だけが少し浮いているような、現実味のなさがこの数日ずっと付きまとっている。 「副リーダー!」  呼ばれて振り返る。 「模擬戦の確認をお願いします!」 「ああ、今行く」  部下から剣を受け取り、中央へ向かう。  騎士としての仕事は、問題なくこなせた。  体は鈍っていない。  指示も出せるし、剣も振れる。  だが、ふとした瞬間に、別の光景が脳裏をよぎる。 『そこは甘い』  凛とした低い声。  訓練場で交わした剣。  重い一撃。 『また稽古をつけよう』  こちらを見つめる黒い瞳。 (……っ)  不意に思い出してしまい、俺は小さく眉を寄せた。  訓練後、休憩のために騎士団の控室へ向かう。  机の上には、侍女たちが用意した紅茶と焼き菓子が並べられていた。 「副隊長、甘いものお好きでしたよね!」  そう言われ、何気なく皿に手を伸ばす。  砂糖を使った小さな焼き菓子。  口に入れた瞬間――、 『……甘いものが好きか』  また蘇った声に、危うく咳き込みそうになった。 「副リーダー!?大丈夫ですか!?」 「あ、ああ……」  慌てて誤魔化す。 (どうしてなんだ……)  何かにつけて、ヴィルユーグを思い出す。  書類を見ても。  剣を握っても。  紅茶の香りを嗅いでも。 (……いや、そもそも)  俺は思わず額を押さえた。 (何を考えているんだ)  あの男とは、もう会わないかもしれないのに。  なぜなら……。  そう考えた瞬間、胸の奥が妙にざわついた。  彼は、怒っているかもしれないのだから。  あの日。俺はまともに話もしないまま城を出た。  完全に逃げた形だ。  ヴィルユーグは合理的な男だ。  感情より利益を優先する。  だからこそーー、 (もう俺に興味を失っていても、おかしくない)  利用価値がないと判断されれば、切り捨てる。  あの男なら、それくらい普通にやるだろう。  容易に想像できる姿に、なぜか胸が苦しくなった。 (……なんで俺が、そんなことを気にするんだ)  自分でも分からない。 「リヨン!」  俺を呼ぶ明るい声に、ふと顔を上げる。  控室の入口に立っていたのはイリーナだった。  ふわりと笑いながら俺の方へ近づいてくる。 「今日もちゃんと働いてるのね」 「一応、これでも騎士ですから」 「ふふ、知ってるわ。でも、帰ってきたばかりなんだから、少しは休まないとダメよ」  彼女は相変わらず距離が近い。  隣に腰を下ろしたイリーナは、焼き菓子を見て目を輝かせた。 「あら、美味しそう!」 「食べるか?」 「食べる!」  無邪気な姿は、昔から変わらない。  その様子に少しだけ肩の力が抜ける。  イリーナは焼き菓子を口に入れながら、じっとこちらを見た。 「……リヨン、少し痩せた?」 「そうか?」 「なんだか疲れてる顔してる。もしかして、冷酷王に扱き使われてたの?」 「気のせいだよ」  女の勘は鋭いというが、イリーナも例外ではないのか。  けれど、本当のことなど言えるはずもない。  イリーナは納得していないようだったが、それ以上は追及しなかった。  その日の午後。  騎士団へ緊急連絡が入った。 「国境付近で不審な集団が確認されました!」  ざわっと空気が一変する。  俺は即座にリーダーと共に部隊を率いて城を出た。  問題の場所へ到着した時には、すでに小競り合いが始まっていた。 「止まれ!!」  怒号。剣戟。土煙。  商人同士の諍いくらいなら、日常でもたまにある。ましてや、海外からの商人であれば常識の違いによってトラブルが起きることだってある。  しかし、今回は何かがおかしかった。  彼らはただの盗賊や商人崩れではない。  そう思えるほど、集団の動きに無駄がなかった。  俺たち騎士団を見た時の、撤退判断も早い。さっさと荷物を拾い上げて去ろうとしているところを、若い騎士が叫び前に出た。 「逃がすな!!」 「待て!」  俺が制止するより早く、若い騎士によって剣が振るわれた。  一瞬で空気が張り詰める。  相手側も応戦した。普通の商人では持ち合わせないだろう武器を使って。  時間にして数分のことだ。  だが数名が負傷し、最悪なことに相手側にも怪我人が出た。 「リーダー、副リーダー……」  青ざめた部下が呟く。 「相手、隣国の商隊と繋がりがある連中らしいです……」  嫌な汗が背中に流れる。  これはまずい。  リーダーも俺を見て頷いた。  これは、戦争の火種になりかねない。  帰還後、すぐに王城で緊急会議が開かれた。 「この件、どう見る」  王の問いに、騎士団長が静かに口を開く。 「偶発的衝突に見せかけた、探りの可能性があります」 「……戦の兆しか」 「否定はできません」  重い沈黙が広がる。数十年、停戦を貫き通してきたアルヴェリアは悪い意味でも平和ボケしていた。  誰しもが、武力行使に発展するのを恐れている。  それは、リヨンも例外ではなかった。 「グラディウスとの同盟を急ぐべきです」  俺は沈黙を破るように、声を上げた。 「少なくとも、戦になる前に外交で抑え込む必要があります」  ざわめきが広がる。 「では、お前が再び――」 「いえ」  王の言葉を遮り、俺は首を振った。 「外交官を派遣すべきです。俺は騎士であり、交渉専門ではありません」  もっともなことをつらつらと並べ立ててはいるが……本音を言えば。  今はヴィルユーグに会いたくなかった。  ――いや。  本当に、それだけか?  自分でも分からない感情が胸の奥で渦巻く。  その時だった。  会議室の扉が勢いよく開かれる。 「ご報告!!」  侍従が顔を真っ青にして駆け込んできた。 「グラディウス国王陛下がご到着されました!!」  一瞬、何が起こったのかわからなかった。  そこにいた全員が同じ気持ちで、空気が凍りつく。 「……は?」  あり得ない。あの男が、自分から動くなどとするなんて。  ざわめく会議室の中、重厚な扉がゆっくりと開いた。  リヨンにとって、見慣れた黒衣の男が現れた。  圧倒的な存在感。  冷たい漆黒の瞳。  そして――。  ヴィルユーグは真っ直ぐに、俺を見た。

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