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第23話 交渉

 長旅の直後だというのに、疲労を感じさせない鋭い眼差し。圧倒的な威圧感に、その場にいた誰もが息を呑んだ。  ――ヴィルユーグ。  視線が、合う。 (っ……)  ドクン、と心臓が跳ねた。  逃げるように城を出てから、まだ数日しか経っていない。  それなのに、ずっと会っていなかったような感覚があった。  ヴィルユーグは何も言わないで、ただ真っ直ぐにこちらを見ている。  怒っているのだろうか。  喉の奥がひりつく。  あの日、俺はまともに話もせずに出て行った。  手紙の件で言い争い、そのまま逃げるように城を飛び出したのだ。  合理的すぎる男、ヴィルユーグ。  だからこそ――あの行動を、裏切りと受け取っていてもおかしくない。 「突然の来訪、失礼する」  ヴィルユーグが口を開く。  低く、よく通る声。  アルヴェリア王もすぐに表情を引き締めた。 「ヴィルユーグ王。まさか貴殿自ら来るとは思わなかった」  若干上擦った声での言葉だったが、ヴィルユーグは意に返さず淡々と返答した。 「急ぐべき案件だと判断した」  ヴィルユーグの表情からは一切何も感情を読み取ることができない。  だからこそ、逆に落ち着かなくなる。  ヴィルユーグは会議卓へ歩み寄ると、地図の上に視線を落とした。 「国境付近の衝突については既に報告を受けている」  その一言で、会議室がまたざわつく。 「早いな……」 「こちらでも隣国の動きを警戒していた。軍備の増強、補給路の整備、国境周辺の人員配置。どれも小競り合いの準備としては過剰だ」  冷静な分析。  まるで既に戦場を見据えているようだった。  リヨンは無意識に息を呑む。 (……やはり、この人は)  恐ろしく有能だ。  感情で動いているわけではない。  王として、必要だからここにいる。  その事実に、なぜか少し安堵してしまう自分がいた。 「このままでは戦争になる可能性が高い」  ヴィルユーグは静かに告げた。 「故に、同盟を急ぐ必要がある」  アルヴェリア王は腕を組み、深く頷く。 「こちらも同意見だ。では、同盟を受けてくれるのか?」  一瞬、空気が緩んだ。まさに、たった今会議で話されていた内容だ。同盟がすぐにでも成立しそうなのは行幸といえる。 「構わない」  ヴィルユーグは即答したあと、僅かに間を置いた。 「――ただし、条件がある」  再び室内に緊張が走った。  アルヴェリア王の眉がピクリと動く。 「条件?」  ヴィルユーグはゆっくりと顔を上げた。  漆黒の瞳が、真っ直ぐにリヨンを射抜く。 「リヨンを寄越せ」  その瞬間、会議室内の時間が止まったかのように静まり返った。 「……は?」  俺は目を見開き、ヴィルユーグを凝視した。何を言われたのかわからない。 「リヨンを!?」  騎士たちもざわめき始める。  王でさえ、僅かに目を見開いていた。 「それは……どういう意味だろうか」  アルヴェリア王が低く問う。  ヴィルユーグは微動だにしない。 「リヨンは有能だ。軍事だけでなく政治的視点も持っている。既に我が国の事情も理解している以上、同盟の橋渡し役として最適だ」  淡々と並べられる理由。 「こちらとしても、信用できる人材を置いておきたい」  俺は驚きで目を瞬かせた。まさか、ヴィルユーグが自分をこんなに評価していたなんて。  俺の後ろにいた団長が背中を小突き、「お前、よくやったな」と囁いた。 「確かにリヨンは有能だとは思うが……それほど欲しい人材か」  王の問いに、ヴィルユーグは少しだけ沈黙した。  その静寂が妙に長く感じる。  やがて、ヴィルユーグは口を開いた。 「……私には彼が必要だ」  その声は先程までより、ほんの少しだけ熱を帯びていた。  さらに、言葉が続けられる。 「手放す気はない」  ざわり、と空気が揺れる。  筆記係がペンを落とした。  騎士たちも目を丸くしながら、リヨンの方を一斉に見る。  リヨンの顔は、一気に熱を持ち始めた。 (な、なにを言ってるんだこの人は!?)  思い出してしまう。 『お前が代わりに嫁になればいいかもしれない』 『手に入れたいとも思っている』  そして、熱に浮かされた夜の、あのキス。  羞恥と混乱で頭がおかしくなりそうだった。  今すぐにでも、この場から逃げ出したい。 「本人の意思はどうなる」  王の声に、リヨンははっと顔を上げた。  騎士たちだけでなく大臣や王、全員の視線が、自分へ向けられている。  言葉が出ない。  何か言わなければならないのに。  俺は咄嗟にヴィルユーグを見た。  漆黒の瞳が、静かにこちらを見返している。  先ほどの、無感情な眼ではない。  逃がさない。  そんな意思を感じる視線。  早鐘を打つ心臓がうるさい。  ヴィルユーグはゆっくりと口を開く。 「……帰るぞ」  いつもの命令のような声音。  だがそこには、確かな執着が滲んでいた。  リヨンは……頷くしかできなかった。

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