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第24話 奪還

 出立の準備を終えたリヨンは、窓辺に立ったまま小さく息を吐いた。  グラディウスへ戻る。  その事実を頭では理解しているのに、妙に落ち着かなかった。 「……本当に行くの?」  背後から聞こえた声に振り返る。  イリーナが、不満を隠そうともせず腕を組んでいた。  淡い金髪を揺らしながらこちらを見るその瞳には、明らかな心配が浮かんでいる。 「まだ断れるでしょう?」  幼さの残る純粋な疑問に、俺は苦笑しながら答えた。 「断ったら、今度こそ国同士の問題になる」 「それは建前でしょ」  即座に返され、俺は言葉に詰まった。  イリーナはじっとこちらを見る。  まさか、そんな言葉が彼女から出るとは。  年齢が近いこともあり、イリーナは昔からよく俺に懐いていた。  5歳年下の彼女は俺より年上の兄たちに囲まれていたことから、自然と遊び相手には俺が選ばれていた。  外に遊びに行きたいと言われれば子守として一緒に出かけたし、勉強が苦手な彼女に教えたこともあった。  リヨンにとっては、少し手のかかる妹のような存在。  だがイリーナにとっては、それ以上の感情があることを、俺も薄々気づいていた。 「……リヨン、行きたいんじゃないの?」 「っ、そんなこと」 「ないって言い切れない顔してる」  図星だった。  リヨンは視線を逸らす。  戦争を避けるため。  同盟のため。  それは本当だ。  だが、それだけではない。  ――ヴィルユーグと、ちゃんと話さなければならない。  逃げるように城を出たままでは、終われない気がしていた。 「……国同士の問題でもあるけど」  ぽつりと呟く。 「多分、俺とあの人の問題でもある」  イリーナは少しだけ目を見開き、それからふっと息を吐いた。  どこか寂しそうに笑う。そんな表情もするようになったのか、と俺は驚いた。 「……ずるいわね、あの人」 「何がだ」 「リヨンをそんな顔にさせるんだもの」  俺は返事に困り、苦笑するしかなかった。  イリーナはゆっくり俺に近づくと、そっと外套を整える。 「ちゃんと帰ってきてね」 「……ああ」  その言葉に込められた感情を、俺は深く考えないようにしながら頷いた。  城門前には、既にグラディウス側の馬車が用意されていた。  王族用の豪奢な黒塗りの馬車。  俺は当然、護衛騎士たちと別の馬車に乗るつもりだった。  だが、その直前に止められる。 「リヨンは私と乗れ」  ヴィルユーグから当然のように告げられ、周囲がざわついた。 「……は?」 「聞こえなかったか」 「いや、聞こえましたけど……」  ヴィルユーグは従者が乗るのも断り、さっさと馬車に乗り込んでいった。  なぜ二人きりなのか。  そう問い詰めたいが、この場で王に逆らえるはずもない。  結局、俺は半ば諦めながら馬車へ乗り込んだ。  馬車の中は見た目よりも広い。  深緑色の長椅子に、柔らかな絨毯。揺れを抑えるためか、造りもかなり頑丈だ。  向かいへ座ろうとした瞬間。 「ここに座れ」  ヴィルユーグが隣を軽く叩く。 「……狭くなるじゃないですか」 「遠い」 「近くなくていいでしょう……」 「座れ」  王様の言うことは絶対なのか。  俺は渋々隣へ腰を下ろす。  近い。肩が触れそうな距離。  馬車が揺れるたび、互いの体温まで感じてしまう。 (近い近い近い……)  隣を見る勇気が出ない。  一方のヴィルユーグは平然としているように見える。  むしろ、少し機嫌が良さそうに思えるのは錯覚だろうか。  馬車が動き出した。  何を話せばいいのかわからず、俺はただ黙ったまま窓の景色を見ている。  きっと彼から何か言われるだろうと思って身構えながら。  勝手に城を出た件。  手紙の件。  怒られても仕方がない。  出発して数分が経っただろうか。すっと、いきなりヴィルユーグの指が俺の膝に触れた。 「え……な、何ですか」  びくんと体が跳ねそうになるのを堪えて、俺はヴィルユーグの方を向いた。  こちらを見ているヴィルユーグと目が合う。 「……勝手に出て行っただろう」  そう言ったヴィルユーグは、なぜか怒っているようには聞こえなかった。  むしろ……拗ねている。 「朝になれば戻ると思っていた」 「……」 「話も終わっていなかった」  その言い方が、妙に子どもっぽく聞こえてしまって、俺は困惑した。 (なんだこれ……)  責められているはずなのに、どうしたらいいのかわからない。 「……怒っていないんですか」  俺は恐る恐る尋ねる。  ヴィルユーグは少しだけ目を細めた。 「怒っていない」 「え」 「出て行かれたことは不愉快だったが、お前が嫌だったのなら仕方ない」  淡々とした声。  だが、その内容にリヨンは目を見開いた。 「嫌だったのなら、悪かった」  あの冷酷王ヴィルユーグが、謝った。  信じられず固まるリヨンを見て、ヴィルユーグは少し視線を逸らす。 「今後は無理に触れない」 「……」 「夜も呼ばない」 「……」 「お前が嫌がることはしない」  その言葉に、胸がざわつく。  嫌だったわけではない。  剣を合わせるのも、共に仕事をするのも、夜の添い寝だって……。  そう気づいてしまい、俺は慌てた。 「いや、別に嫌だったわけでは……!」  ヴィルユーグがこちらを見る。  真っ直ぐな視線に射抜かれ、俺の顔に一気に熱が集まる。 「その……一緒に寝るのも、嫌ではなかったですし……」  言ってしまってからハッと気づく。  死ぬほど恥ずかしい!  今すぐ窓から飛び降りたい。  ヴィルユーグは一瞬だけ動きを止め、それからほんの僅かに口元を緩めた。  その変化を見てしまい、さらに羞恥が増す。 「……そうか」  短い返事だったが、明らかに嬉しそうだった。  顔を見られたくなくて俯いてしまう。  その時、いきなりガタンっと馬車が大きく揺れた。 「うわっ」  体勢を崩しかけたリヨンの腕を、ヴィルユーグが掴む。  そして、次の瞬間。  ぐい、とヴィルユーグの方へと引き寄せられた。 「っ……!?」  気づけば、ヴィルユーグの胸元に抱き込まれていた。  逞しい腕、近い体温。  ぶわっと体温が2℃くらい上がったような気がする。 「へ、陛下……!」  耳のすぐ近くで、低い声が落ちる。 「……ヴィル」 「え?」  俺は思わず顔を上げた。  黒い瞳が、真っ直ぐこちらを見下ろしている。 「そう呼べ」 「は……?」  一瞬、意味が分からなかった。  だがヴィルユーグは至って真面目な顔をしている。 「アレクシスはいいのに、私は駄目なのか」 「っ……!」  嘘だろう。  まさか……あの時のことを気にしていたのか。 「い、いや、あれは向こうから勝手に……!」 「私は駄目か」  もう一度、同じことを問われる。  抱き締められたまま、逃げ場もない。  近すぎる距離でそんなことを言われて、平静でいられるわけがなかった。 (なんなんだこの人……!)  王のくせに。  冷酷だと言われていたくせに。  こんな風に拗ねたような顔をするなんて聞いていない。  俺はしばらく抵抗するように視線を彷徨わせていたが、やがて観念したように小さく息を吐いた。 「……ヴィル」  そう呼んだ途端、ヴィルユーグの目がわずかに見開かれる。  それから、ほんの僅かに口元が緩んだ。  満足だと言うように。  それを見た瞬間、リヨンの心臓がさらにうるさく跳ねた。 「……安心した」  ぽつりと落ちた声が、妙に優しかった。  強い腕は、まだ離れない。  窓の外では、遠くグラディウスの城が見え始めていた。 (……俺はまた、この人の隣へ戻るのか)  そう思いながらも。  ヴィルユーグの腕を、振り払うことはできなかった。

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