30 / 32
第30話 渇望
早足のヴィルユーグに追いつくのは、容易ではない。
普段共だって歩く時はそうは思わないのだが、一人で歩く時はリーチの長さを遺憾なく発揮する。
しかし、後ろをついてきた俺に気づいたヴィルユーグは歩幅を緩めた。
俺を横目でチラリと見るが、何も言わない。
それでも、拒否の言葉が無いから、ついてこいってことなのだろう。
執務室へ入った瞬間、扉が重く閉まる音が響いた。
ヴィルユーグは会議資料を机へ置きながら、こちらを振り返る。
「……随分な顔をしているな」
「誰のせいです」
俺は即答する。
ヴィルユーグは僅かに眉を上げる。
「会議中だというのに、珍しく感情的だった」
「感情的にもなります」
俺は机の前まで歩み寄る。
「なぜ俺を側へ置かないんです」
ヴィルユーグは静かに息を吐いた。
呆れているような仕草に、カチンとくる。
「会議で説明したはずだ」
「聞きました。ですが納得はしていません」
ワガママを言っている自覚はある。でも、止められなかった。
いつものように冷静で、まるで子どもを嗜めるかのような態度が妙に腹立たしかったからだ。
「俺はあなたの護衛でしょう」
「だからこそだ」
俺は思わず眉を寄せる。
「意味が分かりません」
ヴィルユーグは数秒沈黙した。
そして、口を開く。
「お前を前線中央へ置きたくない」
「……なぜです?」
「敵は確実にこちらの中枢を狙う。お前が私の側にいれば、当然巻き込まれる」
俺は息を呑む。
心拍数がグッと上がるのを感じた。
「だからアルヴェリア側へ回すんですか」
「そうだ」
あまりにも当然のように言われて、逆に頭が熱くなる。
「自分は戦場へ出るくせに!」
思わず声が荒くなった。
ヴィルユーグの眉が僅かに動く。
「それは、王だからだ」
「そんなもの、理由になりません!」
俺は机へ両手をついた。
「毒を盛られたばかりでしょう!」
「だから後方へ下がれと?」
「そうは言ってません!」
叫ぶように返してから、自分でも驚く。
こんな感情的になるつもりではなかった。
それでも、止まらない。
「あなたはいつもそうだ……!」
ヴィルユーグの漆黒の瞳が細められる。
「自分が死ぬ可能性を軽く扱う!」
部屋の空気が張り詰める。
だがヴィルユーグは怒鳴り返さなかった。
むしろ、何か諦めたように目を伏せる。
「……王とはそういうものだ」
「違う」
俺は首を振る。
「もっと、自分を大事にしてください」
ヴィルユーグがこちらを見る。
「お前は、私が死ぬのが嫌か」
不意打ちのような問いだった。
俺は返答に詰まる。
それでも、答えはわかっていた。
嫌に決まっている。
だが、それをどう言えばいいのか分からない。
「……それは」
「騎士だからか」
「違う」
即答した瞬間、自分自身驚いた。
ヴィルユーグが毒で倒れた時。
"騎士として"何もできない自分が情けなかった
でも、抱いた気持ちはそれだけでなかった。
失いたくない。だから、守りたい。
「……俺は」
言葉が続かない。
ヴィルユーグがゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「私は怖い」
俺は目を見開く。
ヴィルユーグが、そんな言葉を口にするとは思わなかった。
「お前は一度、私の前から消えた」
俺がヴィルユーグの言葉に耐えられず、逃げ出した夜のことだった。
「あの時、どれほど必死だったと思う」
耳元で囁かれる低い声。
怒りではない。
傷ついたような声音だった。
「また失うくらいなら、戦場へ出る方がまだましだ」
ギュッと胸が締め付けられる。
ヴィルユーグは本気なのだ。
王としてではなく。
一人の男として。
リヨンを失いたくないと思っている。
その事実が、俺の心を激しく揺らした。
「……俺は、あなたの側で戦いたい」
気づけば、するりと言葉が出ていた。
ヴィルユーグの瞳が揺れる。
「離れたくないんです」
そう告げた瞬間。
俺はヴィルユーグに強く腕を引かれた。
「っ……!」
男の胸の中へ閉じ込められる。
「……リヨン」
耳元へ落ちる、熱を帯びた声。
(ああ、俺の気持ちが伝わったんだな)
「お前は、本当に残酷だ」
抱き締める力が強くなる。
まるで今まさに愛しい人を失うことを恐れているみたいに。
俺は逃げなかった。
むしろ、自分からヴィルユーグの首に両腕を回し引き寄せる。
その反応に、ヴィルユーグが息を呑むのが分かった。
「……卑怯なんだよ、ヴィルは」
震える声でそう呟く。
そして、俺はヴィルユーグの唇に自分のを重ねた。
俺からキスをするのは初めてだ。
お互いを味わうように、何度も角度を変えてはくっつける。
やわらかな唇の感触を確かめた後、ヴィルユーグは舌で俺の唇をノックした。
抗わずに薄く口を開くと、ぬるっと舌が入り込む。
我が物顔で口の中を蹂躙していく舌に、俺は軽く歯を立てる。
すると、諌めるようにヴィルユーグの手が俺の髪を引っ張った。その刺激さえも、快感の一つにすり替わっていく。
お互いの舌を絡めて擦り合わせると、体が蕩けていく感覚がした。
必死でヴィルユーグにしがみつき何とか立っているが、もうそろそろ限界が近い。
ヴィルユーグがゆっくり身体を離し、至近距離でこちらを見た。
黒い瞳の奥に、隠しきれない熱が滲んでいた。
「今なら、まだ止められる」
以前交わした約束。
リヨンが嫌なら触れないし、無理強いはしない。
俺はしばらくその瞳を見つめ――ゆっくり首を振る。
「……嫌じゃ、ない」
次の瞬間。
ヴィルユーグは俺の体を抱き上げ、性急な足取りで寝台へと運んだ。
ともだちにシェアしよう!

